第三十五話・王都の劇場
生まれ育ったロックウェル領には小さな劇場が一棟しか無かった。それは裕福な平民がふらっと立ち寄れるような着飾らないものだったけれど、ユーベル様に聞くところによれば王都のはそうでもないらしい。
「殿下が贈られたのはかなり格式の高い劇場で、一部の貴族にとって社交の場にもなっていますね」
「劇場にもいろいろあるんですね……」
「ええ、流れの劇団が演じる平民向けのものもありますが、こちらは専属の劇団を抱えていて本格的な舞台装置で評判の劇場で――あら、しかもこのチケットだと……」
私の手元のチケットを覗き込んで、ユーベル様が意味深な含み笑いを浮かべていた。私が「どうかしました?」と訊ねても、「いいえ、なんでもありません」と惚けいたのが気になって仕方ない。
そのユーベル様の笑みの理由が分かったのは、私とナナが開演前の劇場に到着した後だった。彼女の指示に従いちょっとしたドレスでめかした私達は、案内係にチケットを提示して席へと誘導された先で、発狂寸前の声が出るのを必死で抑え合うことになる。
「で、殿下っ⁉」
私達が連れて来られたのは二階中央の個室席。ユーベル様から「とても良いお席ですよ」と聞いていたから期待はしていたけれど、途中で覗き見た一階とは比べ物にならないような豪奢なソファーが舞台へ向けて二つ並んで置かれ、飲み物の給仕などをする専属の世話人が常駐している。そんな特別席で私達の到着を先に待っていたのは、チケットを贈ってくれた張本人、パトリック様だった。
しかも、第三王子殿下はお一人ではなく、穏やかな笑みを浮かべている初対面の男女の存在まで。三人は私達に気付くと、迎えるように揃って席から立ち上がる。
「やあ、アイラ。すまない、驚かせてしまったようだね」
「ええ、まさかご一緒とは思っていなかったので……」
ユーベル様が含み笑いしていたのは、この席が私とナナの二人だけでは広過ぎると気付いたからなのだろう。どう考えても五、六人用で、きっと他にも同席する相手がいるはずだと。そのことを教えてくれなかったのは、直属の上司が企んだサプライズに水を差さないようにとの気遣いだろうか。
——いや、心臓に悪いから、教えておいて欲しかったんだけど……
隣でアワアワと焦っている侍女を横目に、私はパトリック様のお連れの方へ深く頭を下げる。顔を合わせるのは全くの初めてだけれど、その顔立ちを一目見ただけですぐに察した。
「お初にお目にかかります、第二王子アロン殿下。アイラ・ロックウェルと申します」
国王陛下と同じ栗色の髪を後ろに束ねた第二王子は、王族特有の青色の瞳にかけた銀縁の眼鏡をそっと外してから、胸に手を当ててパトリック様とよく似た王子スマイルで応える。
「お会いできて光栄です、聖女アイラ様」
弟と違って細身で小柄なアロン殿下の声はとても穏やかだ。そして、ちらりと隣にいる黒髪の物静かそうな女性へと視線を移してから、社交ではないとても優しい笑みを浮かべた。
「彼女は隣国の第二王女、ソフィア姫です。短期の留学中で、私の特別な友人でもありますので、本日の同席をお許し下さい」
「どうぞお見知りおきくださいませ、聖女様」
衣擦れの音も立てずに静かに礼を取って挨拶してくれたソフィア姫の優雅さに、私とナナは一瞬で釘付けになった。これぞ生まれ持ってのお姫様の所作だ。私がどんなに頑張ってもこの域に達することは叶わない。
「こちらこそ、お会いできて光栄に思います。アロン様、ソフィア様」
私が簡単にナナのことを紹介し終えると、二人はソファーの一つに仲良く並んで座った。ただの友人というにはとても親しそうに見えたが、このお忍び感たっぷりな場所では詰まらない詮索はご法度だ。
王族と並んで座るなんてとんでもないと侍女が嫌がるので、私はパトリック様と一緒にもう一つのソファーへと腰掛ける。三人だって余裕で座れそうだったけれど、緊張で観劇を楽しめる自信がないとナナは言い張っていた。で、個室の後方に椅子を用意してもらって、そこで一人で落ち着いたみたいだ。
「素敵な贈り物をありがとうございます」
そういえばまだお礼を伝えていなかったことを思い出し、隣のパトリック様の耳元へ向けて声を掛ける。一階席の八割近くが埋まり始め、劇場内がざわつき出したので近付いて話さないと聞き取り辛くなってきた。
今日はユーベル様に見立ててもらったドレスに、いただいたピンクのストールを合わせて来た。私が別のストールを持って行こうとした際、ユーベル様から猛反発された理由をようやく察する。
私が膝の上に乗せているストールに視線を落とした後、パトリック様は胸元のブローチを確認していた。贈ったばかりのストールよりもアヴェン石のブローチを付けていることの方を喜んでいるのがとてもよく分かった。
「本当に毎日付けているので、無いと不安になるんです」
ブローチに手を触れて微笑みながらそう言うと、パトリック様は「ふーん」と素っ気ない顔で小鼻を指先で掻いていた。でも耳が赤くなっていたから少し照れていたのだろうか。




