第三十一話・侍女のナナ
父と兄が騎士に交じって鍛錬用の模造剣を振っているのを、私は中庭のベンチでナナと並んで座りながら見ていた。自分では一切やらないが、身体を鍛えようとしている人を見るのは結構好きだ。子供の頃もこうして護衛騎士達の訓練を見学しつつ、喉を潤しに来た人達に冷えた水を差し出す役割を担っていた。薄切りの果実が浮かんでほんのりと柑橘の香りのする水をゴクゴクと美味しそうに一気飲みする騎士達。顔や首から汗の粒を滴らせている。
顔見知りの騎士を見つけて親し気に話し込んでいたナナがベンチへと戻ってきたのを確認し、私は言葉を慎重に選びながら侍女へと伝える。今朝からずっと早く言わなきゃと思っていたのに、もうすぐ日が落ちそうだ。大事なことなのに言い出しにくくて今になってしまった。
「司教様から連絡をいただいて、お披露目の日取りが決まったそうなのよ」
「え、それって王子殿下の問題は解決したってことですか……?」
「だと思うわ。手紙にはそこまで詳しいことは書かれていなかったけれど、準備もあるそうだから明日の午後には旅立つことに決めたの」
王家にまつわるゴシップを書くわけにもいかないからか、一番知りたいことは司教様から届いた連絡では知ることはできなかった。でも、聖女顕現のお披露目を行っても大丈夫だということは、パトリック様が抱えていた疑惑は消えたということだろうか。私は再び王都へ戻らなくてはいけなくなったのに、なぜだかホッとしていた。
「あ、じゃあ、私も今日は早めに上がらせていただいて、急いで準備しなくちゃですね!」
すっくとベンチから立ち上がったナナは、顎に指を当てながら荷造りの段取りを考え始めているようだった。その侍女に向かって私は眉を寄せて言い辛そうにする。
「次は、私一人で行こうと思ってるの。だからナナは――」
もちろん、彼女が一緒に居てくれたら何よりも心強い。でも、神殿では専属侍女を二人も雇ってもらっているしユーベル様だっている。王子殿下との婚約発表が済めば王子妃候補として王宮の一角に住むことになるだろうし、そうなってしまったらナナを一人で領へ追い返すことになる。途中で帰すくらいなら最初から連れて行かない方が良いんじゃないかという私の考えに、ナナはぷぅと頬を膨らませる。
「まぁた、そんなことを言うんですかっ⁉ 私は神殿にいらっしゃる間だけでもお傍にいようと決めてるんですけど! 何なら、いざという時には王宮の女官の試験も受けるつもりで、旦那様から推薦状も書いていただいてますしー」
「え、お父様から⁉ いつの間に……」
「ジェシー様も調べて下さったら、故郷から侍女を連れて王宮に入られた王子妃様は結構多いみたいですし、殿下の許可さえいただければ平気なんじゃないかって」
「……そうなのね」
ナナは「そうみたいです」と鼻を膨らませたドヤ顔を私へと向けてくる。私が一人で不安になって覚悟してを繰り返している間に、ナナや家族は私の為に調べたり動いたりしてくれていたのだ。ベンチに座ったまま私は両手で顔を覆い隠し、静かに肩を震わせた。自分の運命なんだから一人でなんとかしなきゃと無理に気負い過ぎていたのかもしれない。
ナナはそんな私の隣に座り直してから、背中を優しく擦って宥めてくれる。
「だから、私を置いて行こうとしないでください。折角、向こうでの生活が楽しくなってきたところなんですから」
「あなた、王都を満喫してたものね」
「ええ、まだまだ行ってみたいところが沢山ありますし、すごく気になるお店がもうすぐ開店するらしいんですよ」
「それは甘味のお店?」
「そうなんですよー。国王様にも献上することがあるっていう店の二号店らしいんですけど。今ある店はいつも混んでて並ばなくちゃいけないから、新しい店に期待なんです」
やけに詳しくなったお店情報を得意げに喋っているナナを見ていると、自分は必要以上に余計なことばかり考え過ぎているんじゃないかと思えてくる。もしかしたらそのくらいの気概でいるのがいいのかもしれない。
ほんの半月ほどの予定だった前回の旅立ちとは違い、私は持って行く物の選定に頭を悩ませる。国で一番物に溢れた王都なのだから、わざわざと思う物が大半。空き時間で読む本だって書庫に行けばいいし、街には書店もある。驚くことに森の神殿へ出掛ける時よりも荷物は少なくなりそうだった。聖女として身に着ける衣装も王城を訪れる時に着るドレスも何もかも向こうで用意してもらっていたから、普段着る為の服だけを鞄へと詰め込む。
少ない荷物での旅立ち。それがとてつもなく寂しくて仕方なくて、私は自室の中を見回してから深い溜め息を吐いた。
十六年を過ごしたこの家にまた帰ってくる時はあるのだろうか? 見慣れているはずの光景をしっかりと目に焼き付けてから、私は気持ちを切り替えるように大きく息を吐いて深呼吸する。私がどんなに後ろ向きになっても、運命は勝手に先へ先へと進み続ける。再び王都に戻った時にはもう、ただの男爵令嬢のアイラ・ロックウェルはどこにもいなくなる。




