第三十話・元婚約者セドリック2
その自信がどこから湧いて来ていたのかは分からないが、どうやらセドリックは私から一方的にとても想われていると勘違いしていたみたいだ。婚約破棄のあの茶番も後で冗談だったと打ち消せば、惚れた弱みで私が簡単に許すとでも思っていたのだろうか。全く自惚れないで欲しいものだ。
「そちらから強引に頼み込まれての婚約だったから、あなたのお父様がお怒りになるのも無理ないと思うの」
私の言葉にセドリックは驚いた顔をしていた。彼は自分の方が望まれて婚約したと信じていたらしく、最初に話を持ち掛けられた後、うちの父が一度断ったことも知らなかったらしい。とんだ自信家だったみたい。
その上、学園生活では控え目だったナーシャ達が強い物言いをするのが彼的には意外だったらしく、口をぽかんと開けて呆気に取られている。彼は私達のことをクラスのおとなしいグループで、口応えなんてできそうにないとでも思っていたのだろう。それはただの勘違いでしかない。私達は学園では淑女としてあえて控え目に振舞っていただけだ。気の弱い女子なわけじゃない。
「パーティーのエスコートもしてくれない相手に誰が惚れるっていうの? まあ、何の冗談かしら?」
「ああ、当日に別行動を言い渡されたんでしょう? ありえないわよねぇ。学園でもいつもアイラのことを放っておいたくせに」
彼女達が口々に非難すると、セドリックから表情が消えていく。思い込みの自信とは恐ろしいもので、彼はあんなことをしでかしても私がまだ友人として関わりたがっていると思っていたことにビックリだ。全く話にならない。
私達からこれでもかと言うほど完璧に否定されてようやく理解できたらしく、ヨロヨロとふら付きながらセドリックは一人で帰って行った。きっと彼とはもう二度と会うことが無い気がする。
元婚約者との縁が完全に切れたことで、私はまた一つ覚悟が決まったように感じた。家族や友人達にも話を聞いてもらうことができたし、この里帰りは私にとって一つの節目にもなる有意義な時間だった。一歩踏み出すための心の整理には丁度良かった。
それに、自分が思っていた以上に王都を離れてからパトリック様を思い出すのが多いことに気付き、私は少しばかり戸惑ってもいた。セドリックとパトリック様を比べるだなんて不敬もいいところだけれど、王子殿下が彼のように私のことを蔑ろにしたことなんて一度もない。元婚約者が私のために何かしてくれたことはあっただろうか? 私は胸元に飾ったアヴェン石のブローチへそっと手を触れる。
——パトリック様の疑惑はいつ頃に晴れるのかしら……?
除隊した元騎士達の捜索をしているところだとユーベル様はおっしゃっていた。それ以上は業務に大きく関わるからと話しては貰えなかったけれど、パトリック様の小隊が中心になって動いているのだろうか。私がこうしてロックウェル領に戻っている今現在は、ユーベル様も騎士隊として任務に戻っているはずだ。あの女性騎士様が制服を着用して男性達に紛れて剣を振るう姿は想像するだけでも麗しい。次に登城する際に騎士団の鍛錬場を見学させてもらえるよう頼んでみようかしらと、私はまた王都へ戻った後のことを自然と考えていた。
ナーシャ達とのささやかなディナー会を終えて、玄関前から彼女らが馬車に乗り込むのを見送っていた時、一旦乗り掛けていたエミリアが再び降りてきて、私へと両腕を伸ばして来た。キュッと私のことを強く抱き寄せてから、エミリアは少し涙声になりながら耳元に囁いてきた。
「アイラはずっと、アイラのままで変わらずにいてね……」
「ええ、大丈夫よ。心配しないで」
私は聖女になり、ゆくゆくは王子妃にまでなる道まで歩み始めている。そのせいで互いの関係が変わっていってしまう可能性は私自身も否定はできない。それでも私は私のままであり続けることを友人に向かって誓う。私はどこへ行っても私であると。
二人が乗った馬車を手を振って見送り、門を出て通りの向こうへ消えてしまうまでずっと目で追い続けた。
翌日から私は時間があれば母と一緒に厨房に立つようになった。通いの料理人が使っていない時間を見計らって、母から秘伝のベリーパイの作り方を教えてもらう為だ。
「この時にしっかりと粉を振るっておかないと舌触りが良くならないのよ」
「お母様はこのレシピを誰から教えて貰ったの?」
「これはね、お婆様——つまり、アイラにとってはひいお婆様になる方の秘伝のレシピなのよ。お婆様のお屋敷の裏には大きな森があって、近所の子供達が毎日のようにベリーを摘んで売りにやって来ていたらしいの」
曾祖母は子供達のお小遣い稼ぎに協力してあげるつもりで、沢山のベリーを買い取ってはジャムやお菓子の材料に使っていた。その中で一番家族から喜ばれたのがこのパイのレシピなんだと言う。
一緒に住んでいた大叔父はこのパイには飽きて見るのも嫌だと言っていたらしいが、休暇中に祖母の家へ遊びに行っていた母はとても気に入ってレシピを教えて欲しいとせがんだらしい。
「お婆様はとっくに亡くなってしまったけど、こうやってアイラにも受け継いで貰えるのなら、きっと喜んで下さっていると思うわ」
母は粉の付いた手を洗ってから棚を開けて焼き型を取り出している。一つでも多くの家族との思い出を神殿に持ち帰ろうと、私はその後ろ姿をじっと眺めていた。型を見つけると母はそれに溶かしたバターを塗りながら、私へ揶揄うような笑みを浮かべて言ってくる。
「第三王子殿下のお口に合うと良いわね」
「なっ⁉」
何を言ってるの、と驚いて口をパクパクさせる私に、お母様は「分かっているのよ」とでも言いたげに頷き返している。
「王都には珍しい物も沢山あるでしょうけど、こういうのは別物だからきっと喜んで下さるわよ」
「ど、どうしてそこでパトリック様が出てくるのよ……」
「あら、違うの? てっきり、パトリック殿下に食べて貰うつもりだと思ったんだけど」
違う違うと首を横へブンブン振って、私は必死で否定する。上手く作れるようになったなら、次のお茶会の時にお持ちしようだなんて少しくらい考えなかったわけじゃないけれど、それを改めて指摘されると変な汗が出る。顔を真っ赤にして焦る私のことをお母様は何だか嬉しそうに声を出して笑い続けていた。




