第十話・聖女のローブ
司教様の到着が翌日になると聞かされたのは、私が書庫へ向かう為に部屋をちょうど出ようとした時だった。
ノックした扉が侍女ではなく私本人が開いたことに、入ってきた神官が少し驚いた表情になる。
本来出迎えるべき侍女はソファーに座って刺繍に興じていたのだから当然だろう。傍から見れば、立場が真逆だ。
「ごきげんよう、神官様」
何度か礼拝への付き添いで顔を合わせたことのある若い神官だったから、私は少し親し気に挨拶する。毎日のように神官達がやってきて「何かご不便はございませんか?」と機嫌を取りに来るので神官という存在にはとっくに慣れてしまった。
けれど、できればそっとしといて欲しいというのが本音だ。まだ全然、聖女の自覚なんて芽生えそうにない。
普段なら二言三言ほど言葉を交わすだけで出て行くはずだが、その日の神官は手に大きな布に包まれた荷物を抱えていた。洋品店にドレスやコートなどを誂えてもらうと似たような物に入って納品されることが多いが、この質素な神殿の中で見かけるとは思わなかった。
私の視線に気付いた神官がそれを遅れて応対に立ち上がったナナへと手渡してから説明し始める。
「ローブだけではございますが急ぎで用意させていただきました。司教との面会時に是非ともお召しいただければ」
「司教様はいつ頃にいらっしゃるのでしょうか?」
「明日の午後には到着の予定でございます。聖女様にお会いできるのをとても楽しみにされているようです」
受け取った布を開き、中から純白のローブを取り出したナナが「ふぁあ……」と背後で感嘆の声を上げている。
特別な装飾はないけれど上質な糸で織られたのが一目で判る光沢のあるローブ。それをチラ見してから、私は目の前の神官へと続けて訊ねた。
「元より予定しておりました参拝期間がもうすぐ終わるはずなのですが、私達はいつ頃に領地へ戻ることができるのでしょうか?」
「ええっと、そのことに関しましては……」
それまでハキハキと受け答えしてくれていた神官が急に言葉を濁し始める。
神殿の誰かが訪ねてくる度に、「そろそろ帰る旅支度をしないといけませんね」などと話を振ってみても皆一斉に困惑の表情になってしまうのだ。
——パトリック様がおっしゃっていた通り、もう自由に神殿の外へ出るのは難しいのかしら?
全ての判断は明日やって来るという司教様に委ねられているようで、ここの神官に聞いてもどうにもならなさそうだった。
彼らも私と同じくらい、聖女や聖獣の扱いに戸惑っているように見えた。
諦めて、私はいつも通りに情報を求めて書庫へと向かう。
「やあ、ロックウェル嬢」
書庫の分厚い扉を開くとすぐ、入り口近くの机で書物に目を通していたらしい第三王子がにこやかな笑顔を見せながら手を振ってきた。
思わず引き返そうと後ろを向いた私の背中へ、パトリック様の「いや、待って待って!」と慌てて止める声が聞こえてくる。
「申し訳ありません。殿下がご利用されている時間だとは知らず……」
「いやいや、今のは気を遣って出て行こうとしたっていう風には全然見えなかったけど?」
王子の邪魔をしないよう遠慮したという体を装う私のことを、パトリック様が訝し気な目で見ている。
正直、今はこれ以上考え事を増やしたくなかった。王子にまた纏わりつかれるのは面倒だと逃げかけたのは事実。
だって、明日は司教様との面会があるし、とりあえずは聖女という存在の意味を探すのに精いっぱいだから。
私はこれからどうすればいいんだろうか?
書庫内を見回してみると他に利用者はいないようだったけれど、この場の静寂が私達に自然と声を潜めさせる。
パトリック様に促され、私は隣の椅子に腰を下ろす。彼の前には宗教史以外に政策論などの本も積み上がっていて、幅広いジャンルを読み漁っていたようだった。
指し示されるがまま、私は彼が今まで熱心に読んでいた書物のページに目を落とした。
「二百年前に現れた聖女はこの神殿で生涯を過ごしたそうだ。朝晩の礼拝を熱心にしていて、遺体は世界樹の根元に埋められたという記述がある」
「遺体が……」
それはつまり、ここに居たら私も同じ運命を辿るということ。死んだ後も故郷に帰ることは叶わない。
「まあ、この聖女は元から信仰心が強かっただけかもしれないが。聖女として目覚めた年齢にもよるだろうし」
ショックを受けている私のことを、パトリック様はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら見ている。
今日辺りには彼が送ったという求婚の書簡がロックウェル領にいる両親の元へ届いていることだろう。
「私は、パトリック様からの求婚を受け入れるしかないということなんでしょうか?」
「別にそこまで無理強いするつもりはないが」
「でも、神殿の後ろ盾をお望みなのですよね? 私はお断りすることも許されるんでしょうか?」
王族からの求婚を断れるわけがない。分かっていて聞く私のことをパトリック様は面白いものでも見るような目で見てくる。
「明日の司教との面会、俺も立ち会わせてもらう」
「それは神殿への王家の干渉と取られるのでは?」
「そんなの、理由なんて何とでもなるさ」
我が儘王子の発言に、私は心の中で深い溜め息を吐く。王子と神殿との板挟みで私の意思なんてどこにも存在しない。




