第4章:夢と歯車
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## 1
村は静かだった。
盗賊の襲撃から三日が経った。傷ついた者たちも回復し始め、日常が戻りつつあった。
だが、ヒロにはまだやることが残っていた。
納屋に横たわるハチ。バッテリーが切れて動かなくなった相棒。
「待ってろよ」
毎日、ヒロは納屋に通った。ハチの横に座り、どうすれば直せるか考え続けた。
問題はバッテリーだ。旧文明のバッテリーは、もう手に入らない。充電する方法もない。
——いや、待て。
ヒロは考えた。
充電する方法はある。発電すればいい。
問題は、発電機がないことだ。この時代には電気そのものがない。
だが——発電の原理は単純だ。コイルの中で磁石を回転させれば、電気が生まれる。
手回し発電機を作れないだろうか。
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## 2
朝。
林に向かうと、サヤがいた。
弓を持ち、木に向かって矢を放っていた。矢は正確に的に刺さっている。
「……来たか」
サヤが振り向いた。
「今日も訓練する。来い」
「え?」
「弓だ。お前が使える武器は弓しかない。ライフルの弾はあと1発だけだろう」
それは確かだった。
「……なぜ、俺に教えてくれる」
「借りを返している」
「借り?」
「お前が盗賊と戦った。村を守ろうとした」
サヤは目を逸らした。
「それだけだ」
ヒロは弓を受け取った。
サヤが近づき、姿勢を直してくれた。
「足を開け。肩幅より広く」
言われた通りにする。
「弓を上げろ。腕が震えるな」
弓を引く。腕が震える。弦が重い。
「力で引くな」
サヤが近づき、ヒロの腕を掴んだ。手が冷たい。
「押せ。左手で的を押し出すように。右手は添えるだけ」
言われた通りにする。確かに、力の入れ方が変わると楽になる。
「放て」
矢を放った。
的の二メートル下に突き刺さった。
「……最悪だ」
サヤが言った。表情は変わらないが、声にかすかな呆れが混じっている。
「だが、最初はそんなものだ。明日も来い」
それだけ言って、サヤは去っていった。
背中を見送りながら、ヒロは思った。
——なぜ、教えてくれる?
昨日、命を救おうとした。それが理由だろうか。だが、あの時自分は何も救えなかった。誰かが代わりに盗賊を倒してくれただけだ。
——借りを返す、と言っていた。
だが、借りなど作った覚えはない。
複雑な気持ちを抱えたまま、村へ戻った。
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## 3
夕暮れ。
訓練を終え、林を出ようとした時。
「……待て」
サヤが呼び止めた。
「なんだ?」
「少し、話がある」
いつもと違う、静かな声だった。
二人で木の根元に座った。夕日が山の向こうに沈みかけている。空は茜色に染まっている。
長い沈黙。
「……お前」
サヤが口を開いた。
「家族は、いたのか」
「……ああ」
予想外の質問だった。
「妻がいた。娘も」
「……そうか」
サヤの横顔を見る。何かを堪えているような表情。
「……私も」
小さな声。
「両親がいた」
「いた、というのは——」
「三年前。盗賊に」
言葉が途切れた。
ヒロは何も言えなかった。ただ、夕日を見つめた。
「父は、私を逃がすために戦った。母は、私を抱えて走った」
サヤの声が震えている。
「でも、追いつかれて——母は、私を崖下に突き落とした。自分は囮になって」
「……サヤ」
「私は、何もできなかった。ただ、落ちながら——母が刺されるのを、見ていた」
沈黙。
風が吹いた。木々がざわめく。
「だから、借りがあるなんて——本当は違う」
サヤがこちらを見た。目が潤んでいる。
「お前が、村を守ろうとした。たとえ失敗しても、逃げなかった。それが——」
言葉が途切れる。
「——羨ましかったのかもしれない」
ヒロは——
手を伸ばした。
サヤの肩に触れた。
「俺も、何も守れなかった」
「……え?」
「妻も娘も。眠りについて、目が覚めたら——500年経っていた」
サヤの目が見開かれた。
「お前は——」
「みんな、もういない。誰も」
胸の奥が痛んだ。初めて、誰かに話した。
「だから——今度こそ、守りたいと思った。この村を。お前たちを」
サヤが黙った。
長い沈黙。
「……馬鹿だな」
小さく、サヤが笑った。泣きそうな笑顔。
「自分のことも守れないのに」
「そうかもな」
「……だから、私が守る」
サヤが立ち上がった。
「お前を。守る」
夕日が沈み、薄暗くなっていく。
サヤの横顔が、夕焼けに照らされていた。
——綺麗だ、と思った。
「帰るぞ」
サヤが歩き出した。
「訓練は明日も続く。さぼるな」
「ああ」
後を追う。
胸の奥が、温かかった。
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## 4
日が沈み、夜が来た。
囲炉裏の火を眺めながら、眠りに落ちた。
——パパ。
白い空間に立っている。
目の前に、娘がいた。
彩花。七歳の姿。あの日と同じ笑顔。ピンクのワンピースを着ている。靴のマジックテープが外れかけている。
——パパ、約束したでしょ。
「彩花……」
手を伸ばす。だが、触れられない。彼女の体は霧のように揺らいでいる。
——待ってるから。
「待ってる? どこで?」
——約束だよ。
娘の声が遠くなっていく。姿が薄れていく。
「待ってくれ——!」
目が覚めた。
暗い部屋。囲炉裏の火は消えかけている。老婆の寝息が聞こえる。
額に手を当てる。汗をかいていた。冷たい汗。
「彩花……」
声にならなかった。
——待ってるから。
その言葉の意味が、わからない。彩花は500年前の人間だ。もう、どこにもいない。
なのに——あの夢は、なんだったのか。
眠れなくなった。
起き上がり、外に出る。月が高い。満月に近い。銀色の光が村を照らしている。
ふと、納屋の方に目が向いた。
扉が、少しだけ開いている。
——閉めたはずだ。
胸がざわついた。
足音を殺して近づく。扉の隙間から中を覗く。
——誰もいない。
月明かりが差し込む中、ハチが横たわっている。変わらない姿。
だが——何かが違う。
ハチの横に、見覚えのないものが置かれていた。
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## 5
小さな金属の箱だった。
手のひらサイズ。表面には、旧文明時代の刻印がある。知っている刻印だ。自分がかつて働いていた企業のロゴ。
——なぜ、こんなものが?
手に取る。重い。中に何か入っている。
蓋を開けた。
中には——電子部品が詰まっていた。
コイル。コンデンサ。回路基板の断片。そして、小型のモーター。
心臓が跳ねた。
——これは……。
手回し発電機。
この部品を組み合わせれば、手回し発電機を作れる。発電機があれば——ハチのバッテリーを充電できる。
誰がこれを置いた?
周囲を見回す。誰もいない。足跡もない。まるで幽霊のように——
思い出した。
盗賊との戦いで、誰かが矢で敵を倒していた。姿を見せない射手。
老婆はサヤだと言っていた。だが、本当にそうなのか。
もしかして——別の誰かがいるのではないか。
だが、考えている暇はなかった。目の前にあるのは、ハチを救う手段だ。
工具箱を取り出した。
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## 6
コイルとモーターを組み合わせ、発電機の骨格を作る。
夜通しの作業だった。
指がかじかむ。息が白い。だが、手を止められなかった。
旧文明時代の電子工学の知識がよみがえってくる。発電の原理は単純だ。コイルの中で磁石を回転させれば、電気が生まれる。
問題は効率だ。ハチのバッテリーを充電するには、十分な電圧と電流が必要だ。
何度も調整を繰り返す。コイルの巻き数を変え、磁石の位置を調整する。
夜明けが近づく頃、ようやく形になった。
手回し式の発電機。ハンドルを回すと、小さなLEDが点灯した。
「よし……」
ハチのバッテリー端子に接続する。ハンドルを回し始める。
最初は何も起きなかった。腕が痛くなるほど回し続けた。汗が額を流れる。
そして——
赤い、弱々しい光。
——バッテリー残量 5%。
「……!」
まだ十分ではない。だが、起動には足りるかもしれない。
起動スイッチを押す。
ウィーン……
駆動音がした。かすれた、弱々しい音。
ハチの脚がピクリと動いた。
頭部のセンサーがゆっくりとこちらを向く。赤いカメラアイが、ぼんやりと点灯する。
「ピ……ピピッ」
——鳴いた。
「ハチ……!」
ヒロはハチの体を抱きしめた。冷たい金属の体。だが、その中で何かが動いている。
生きている。
「すまなかった……迎えに来るのが遅くなって……」
「ピピッ」
ハチが弱々しく首をこちらに擦りつけた。まるで「大丈夫だよ」と言っているように。
涙がにじんだ。
この世界で、最初の仲間。500年前から一緒にいた、唯一の存在。
「もう離さない。約束する」
ハチが弱々しく尻尾を振った。
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## 7
「どうした」
声がした。振り向くと、サヤが納屋の入り口に立っていた。
ハチを見て、警戒の色を浮かべている。手が弓に伸びかけている。
「俺の相棒だ」
ヒロはハチの前に立った。庇うように。
「動くようになったのか」
「ああ。発電機を作って、バッテリーを充電した」
サヤの目が一瞬、驚きで見開かれた。だが、すぐに元の無表情に戻った。
「……便利な相棒だな」
「ああ」
サヤがハチに近づいた。警戒しながらも、興味があるようだった。
「ピピッ」
ハチが小さく鳴いた。友好的な挨拶。
「……噛まないのか」
「噛まない。俺の仲間には敵意を持たない」
「仲間、か」
サヤが小さく笑った。
「変な奴だな、お前は」
「よく言われる」
二人で納屋を出た。
外は朝日に照らされていた。灰色の空にも、わずかに光が差し込んでいる。
新しい一日が始まる。
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**【第4章 完】**
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*次章予告:*
*東嶺国からの使者。*
*技術顧問としての招聘。*
*そして——闇に潜む密偵——。*




