第15章:喪失
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## 1
朝日が昇らない。
いや——昇っているのだろう。灰色の雲の向こうで。
ヒロは窓の外を見つめていた。
部屋に、一人。
左脇腹が、鈍く痛む。イヴの治療で傷は塞がった。だが、内臓は完全には治っていない。深く息をすると、血の味がする。
左手の三本の指は、相変わらず曲がらない。
背中の傷も、まだ痛む。
——だが、それでも。
生きている。
サヤは——
「ガウ……」
ハチが、足元で小さく鳴いた。
いつもと違う。元気がない。
「……わかってるのか」
ハチが、こちらを見上げた。
黄色い光が、悲しげに揺れている。
ヒロは、ハチの頭を撫でた。
「……ありがとな」
ノックの音がした。
「覚醒者殿」
タカミチの声。
「……入れ」
扉が開く。
タカミチが入ってきた。顔が疲れている。目が赤い。
「……準備が、整いました」
「わかった」
立ち上がる。
左脇腹に、鋭い痛み。
——だが、歩ける。
サヤを——
見送らなければ。
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## 2
城の外。
小さな丘の上。
人々が集まっていた。
兵士たち。村から来た者たち。タカミチ。イヴ。
そして——
レンがいた。
サヤの遺体のそばに、跪いている。
サヤは——
白い布に包まれていた。顔だけが見える。
穏やかな顔。
まるで、眠っているような。
ヒロは、そばに歩み寄った。
膝をつく。
左脇腹が、激しく痛む。だが——構わない。
サヤの顔を、見つめた。
冷たい。
もう、温かくない。
「……サヤ」
声が、出なかった。
喉が、詰まっている。
「……約束、守れなかったな」
星を見る約束。
戦いが終わったら。
でも——
終わらなかった。
「すまん……」
涙が、落ちた。
サヤの頬に。
「……すまん」
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## 3
埋葬が始まった。
兵士たちが、サヤの遺体を持ち上げる。
ゆっくりと、穴に降ろしていく。
土が、被せられていく。
一握りずつ。
ヒロも、土を手に取った。
冷たい。湿っている。
——この土の下に。
サヤが。
手が、震えた。
土が、こぼれ落ちる。
「……っ」
もう一度、土を掴む。
穴の中へ。
落ちる音。
鈍い音。
それが——
心に、突き刺さった。
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## 4
全てが終わった。
土が盛られ、小さな墓標が立てられた。
サヤの弓が、そこに立てかけられている。
人々が、一人ずつ去っていく。
最後に、タカミチが頭を下げた。
「……覚醒者殿。無理をなさらず」
「……ああ」
タカミチも去った。
残ったのは——
ヒロと、レンと、イヴ。
そして、ハチ。
沈黙。
風が吹く。
冷たい風。
レンが、墓の前に跪いていた。
動かない。
まるで、石像のように。
イヴが、そばに来た。
「……ヒロ」
「なんだ」
「あなたは——悪くない」
その言葉が、胸に刺さった。
「……悪いよ」
「いいえ」
イヴの声が、静かだった。
「サヤは——自分で選んだ」
「……俺を、庇って死ぬことを?」
「あなたを、守ることを」
イヴの目が、こちらを見つめている。
「それは——彼女の意志です」
「でも——」
「あなたに力があれば、と思いますか」
ヒロは、何も言えなかった。
——思っている。
もっと早く、能力を完全に制御していれば。
もっと強ければ。
「でも——」
イヴが続けた。
「力があっても、守れないこともある」
「……」
「あなたは——全てを守れるわけではない」
その言葉が——
重かった。
「では——俺は、何のために」
「生きるためです」
イヴが、ヒロの肩に手を置いた。
「サヤは、あなたに生きてほしいと言った」
「……」
「その想いを——無駄にしないでください」
ヒロは——
サヤの墓を見つめた。
弓が、風に揺れている。
——生きる。
それだけか。
それで——
いいのか。
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## 5
イヴが去った。
残ったのは、ヒロとレンとハチ。
レンは、まだ墓の前に跪いている。
ヒロは、そばに座った。
左脇腹が痛む。だが——我慢できる。
「……レン」
彼女は、答えなかった。
「……お前も、辛いんだな」
レンの肩が、わずかに震えた。
「……私は」
小さな声。
「何も、できなかった」
「……」
「サヤは——私を、守ってくれた」
レンがこちらを見た。
目が、赤い。泣いていたのだろう。
「村で。旅で。戦いで」
「……ああ」
「でも——私は、何もできなかった」
レンの手が、拳を握っている。
「あの時——私が、もっと早く動いていれば」
「レン——」
「サヤは、死ななかった」
「……違う」
ヒロは、レンの手を掴んだ。
彼女が驚いたように、こちらを見る。
「お前のせいじゃない」
「でも——」
「俺のせいでもない」
ヒロは、自分に言い聞かせるように言った。
「サヤは——自分で選んだ」
レンの目が、揺れた。
「お前を守ることを。俺を守ることを」
「……」
「それを——無駄にするな」
レンは、何も言わなかった。
ただ——
涙が、一筋流れた。
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## 6
どれくらい、そうしていただろう。
気づいた時、空が暗くなっていた。
夜が、来ている。
レンは、墓の前で眠っていた。
疲れ果てて、倒れるように。
ヒロは、自分の上着を脱いで、彼女にかけた。
左脇腹が、痛む。
——だが、気にしない。
サヤの墓を、見つめた。
「……サヤ」
呟く。
「お前が言った通り、生きる」
風が吹いた。
「でも——」
空を見上げる。
灰色の雲。
星は、見えない。
「いつか——星を見る」
約束する。
「お前の分も」
サヤの弓が、風に揺れた。
まるで——
答えるように。
ヒロは——
小さく笑った。
涙が、流れた。
「……ありがとな」
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## 7
翌朝。
ヒロは、イヴの部屋にいた。
「傷の状態は?」
イヴが聞いた。
「……痛むが、動ける」
「内臓損傷は深刻です。激しい運動をすれば、出血します」
「わかってる」
「本当に?」
イヴが、こちらを見つめた。
「……気をつける」
「期待はしていません」
彼女が小さく笑った。
だが——すぐに真顔に戻る。
「ヒロ」
「なんだ」
「悲しみは——消えません」
その言葉が、胸に響いた。
「ですが——」
イヴが続ける。
「それを抱えたまま、前に進むことはできます」
「……」
「サヤは——あなたに前に進んでほしかったはずです」
ヒロは——
頷いた。
「……ああ」
前に進む。
サヤの想いを、背負って。
イヴが立ち上がった。
「では——訓練を再開しましょう」
「もう?」
「ええ」
彼女の目が、真剣だった。
「次の戦いは——必ず来ます」
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## 8
訓練場。
レンがいた。
弓を構え、的を狙っている。
矢を放つ。
的の中心に、突き刺さる。
また矢を番える。
放つ。
また中心。
何度も、何度も。
ヒロが近づいても、気づかない。
集中している。
——いや。
逃げているのかもしれない。
悲しみから。
ヒロは、わかる気がした。
自分も——
同じだから。
「……レン」
彼女が、振り向いた。
「……ヒロ」
「訓練か」
「……ああ」
レンが弓を下ろした。
「弱いままじゃ——何も守れない」
その言葉に、ヒロは頷いた。
「……そうだな」
「お前も——訓練するのか」
「ああ」
レンが、こちらを見つめた。
「……傷は」
「大丈夫だ」
「嘘つき」
レンが、小さく笑った。
泣きそうな、笑顔。
「お前は——いつも無理をする」
「……お前もな」
二人は、見つめ合った。
同じ痛みを、抱えている。
同じ決意を、持っている。
「……一緒に、訓練するか」
ヒロが聞いた。
レンは——
少しだけ迷ってから、頷いた。
「……ああ」
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## 9
数日が過ぎた。
ヒロは、毎日訓練していた。
ナノマシンの制御。体術。状況判断。
左脇腹は、まだ痛む。激しく動くと、血を吐く。
だが——止まれない。
次の戦いが、来る。
その時——
守れなければ。
レンも、毎日訓練していた。
弓術。剣術。体術。
休まない。限界まで追い込む。
夜、訓練場で倒れていることもあった。
ヒロが見つけて、運ぶ。
彼女は——何も言わない。
ただ——
「……ありがとう」
と、小さく呟く。
二人の間に——
言葉にならない何かが、生まれていた。
同じ喪失。
同じ自責。
同じ決意。
それが——
二人を、繋いでいた。
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## 10
ある夜。
ヒロは、サヤの墓を訪れた。
月が出ていた。灰色の雲の隙間から、わずかに。
墓標に、弓が立てかけられている。
風が吹く。
「……サヤ」
呟く。
「俺は——前に進む」
月明かりが、墓を照らしている。
「お前の想いを、無駄にしない」
左手を、墓標に置く。
三本の指は、曲がらない。
でも——
感じる。
木の冷たさ。
「お前が守りたかったものを——俺が守る」
風が、答えるように吹いた。
「そして——いつか」
空を見上げる。
灰色の雲。
だが——隙間がある。
わずかに、星が見える。
「この世界に、光を取り戻す」
約束する。
「お前と見たかった——青い空を」
星が、瞬いた。
まるで——
サヤが、笑っているような。
ヒロは——
小さく笑った。
「……待ってろ」
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## 11
翌朝。
タカミチが、部屋に来た。
顔が、緊張している。
「覚醒者殿」
「……何があった」
「斥候の報告です」
タカミチが、息を呑んだ。
「帝国軍——第三波が、迫っています」
ヒロの背筋が、冷たくなった。
「いつ来る」
「三日後、と」
「……わかった」
立ち上がる。
左脇腹が、痛む。
だが——
もう、迷わない。
「全軍に、招集をかけろ」
「はい」
タカミチが、敬礼した。
「それと——」
ヒロが続ける。
「レンを呼んでくれ」
「……わかりました」
タカミチが出て行く。
一人になる。
ヒロは——
窓の外を見た。
灰色の空。
だが——
いつか、晴れる。
そう信じて。
サヤの想いを、背負って。
前に進む。
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## 12
レンが来た。
「……呼んだか」
「ああ」
ヒロは、彼女を見つめた。
「三日後——戦いが来る」
「……わかってる」
レンの目が、決意に満ちている。
「お前は——戦えるか」
「……当然だ」
レンが、剣の柄を握った。
「私は——もう、何もできないままじゃいない」
その言葉に、ヒロは頷いた。
「……頼む」
「ああ」
レンが、こちらに歩み寄った。
「ヒロ」
「なんだ」
「……お前も、無理をするな」
彼女の目が、心配そうだった。
「サヤは——お前に生きてほしいと言った」
「……ああ」
「なら——死ぬな」
レンが、ヒロの手を握った。
「……約束しろ」
ヒロは——
彼女の手を、握り返した。
「……約束する」
レンが、小さく笑った。
「……嘘つき」
「嘘じゃない」
「絶対、嘘だ」
レンの目から、涙が一筋流れた。
「でも——信じる」
「……ありがとう」
二人は、そのまま手を繋いでいた。
静かな朝。
戦いの前の——
静けさ。
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## 13
夜。
ヒロは、一人で訓練していた。
ナノマシンの制御。
小さな機械を停止させる。
起動させる。
繰り返す。
少しずつ——安定してきた。
だが——
まだ足りない。
次の戦いは——
もっと大きい。
「……もっと」
集中する。
意識を、研ぎ澄ます。
機械の内部が、見える。
光の糸。電流の流れ。
——止まれ。
機械が、停止した。
「……っ」
頭痛。
鼻血が、流れる。
だが——
止まらない。
もっと——
「ヒロ」
声がして、振り向いた。
イヴがいた。
「……イヴ」
「やりすぎです」
彼女が近づいてきた。
「このままでは、体が持ちません」
「……わかってる」
「わかっていません」
イヴの声が、厳しかった。
「あなたは——自分を犠牲にしすぎます」
「……」
「サヤのように、なりたいのですか」
その言葉が——
胸に、突き刺さった。
「……違う」
「では、休んでください」
イヴが、ヒロの肩に手を置いた。
「あなたが倒れれば——誰が、民を守るのですか」
ヒロは——
何も言えなかった。
「……わかった」
「本当に?」
「……本当だ」
イヴが、小さく笑った。
「では——部屋に戻りなさい」
「ああ」
立ち上がる。
左脇腹が、鈍く痛む。
——だが。
まだ、動ける。
あと三日。
それまでに——
準備を整える。
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## 14
三日目の朝。
ヒロは、サヤの墓を訪れた。
最後に——会いたかった。
墓標の前に、跪く。
「……サヤ」
呟く。
「今日——戦いが来る」
風が吹く。
サヤの弓が、揺れる。
「俺は——お前の想いを背負って、戦う」
左手を、墓標に置く。
「守る。お前が守りたかったものを」
空を見上げる。
灰色の雲。
だが——
いつか、晴れる。
「そして——いつか、星を見る」
約束する。
「お前の分も」
風が——
優しく吹いた。
まるで——
サヤが、応えているような。
ヒロは——
立ち上がった。
左脇腹が、痛む。
だが——
もう、迷わない。
前を向く。
城が見える。
そこで——
仲間が、待っている。
レン。イヴ。タカミチ。ハチ。
そして——
守るべき、民たちが。
「……行くか」
ヒロは、歩き出した。
サヤの墓を、背に。
前へ。
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**【第15章 完】**
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*次章予告:*
*帝国軍、第三波。*
*百人以上の民が、危機に。*
*ヒロは限界を超えて——視力を失う——。*




