第10章:暴走
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## 1
三日が経った。
背中の傷が、まだ痛む。
朝、目が覚めるたび、体が重い。包帯を巻き直すと、乾いた血が剥がれる。鈍い痛みが走る。
「ピピ……」
ハチが心配そうに見つめていた。
「平気だ」
嘘だった。平気じゃない。だが——動ける。それで十分だ。
部屋を出ると、廊下でサヤと会った。
「……顔色が悪い」
「寝不足だ」
「無理するな」
サヤの目が、こちらを見つめている。心配している。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「訓練に行く」
「ああ」
二人で城の中庭へ向かった。
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## 2
中庭に、イヴが待っていた。
銀色の髪が朝日に輝いている。いつもと変わらない表情。無機質だが、冷たくはない。
「おはようございます」
「おはよう」
ヒロは中庭の中央に立った。サヤは壁際に座り、こちらを見ている。
「今日は、昨日の続きです」
イヴが小さな金属片を手のひらに乗せた。
旧文明の部品。ハチの内部から取り出したものだ。
「この部品を——止めてください」
「止める?」
「電流が流れています。それを、遮断してください」
ヒロは金属片を見つめた。
目を閉じる。呼吸を整える。
——感じる。
金属の奥に、何かがある。微かな電流。光の糸のように、流れている。
——止めろ。
意識を集中する。
金属片の光が——消えた。
「できました」
イヴの声が聞こえた。
目を開ける。頭痛はない。鼻血も出ていない。
「……できた」
「三日前より、ずっと良くなっています」
イヴが頷いた。
「制御が、安定してきました」
壁際から、サヤが拍手した。小さな音。だが——嬉しかった。
「すごいな」
サヤが笑っていた。
心臓が跳ねた。
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## 3
夕暮れ。
訓練が終わり、ヒロは城壁に登っていた。
風が吹いている。冷たい空気が、汗ばんだ肌を冷やす。
城下町が見える。人々が家路につき始めている。煙突から煙が上がっている。夕食の準備だろう。
「ここにいたのか」
声がして振り返ると、サヤがいた。
弓を持たず、刀も帯びていない。
「お前も、休憩か」
「ああ」
サヤが隣に立った。
二人で、街を眺める。
沈黙。
だが——嫌な沈黙じゃなかった。
「あの時——」
サヤが口を開いた。
「建物が崩れた時、怖かった」
ヒロは黙って聞いていた。
「お前が、瓦礫の下敷きになって。動かなくて」
サヤの声が震えている。
「死んだと思った」
「……すまん」
「謝るな」
サヤが首を振った。
「ただ——もう、あんなことするな」
「できない約束だ」
「わかってる」
サヤが小さく笑った。
「お前は、そういう奴だ」
風が吹く。サヤの髪が揺れる。
「だから——私が守る」
「お前が?」
「そうだ」
サヤがこちらを見た。まっすぐな目。
「お前が誰かを守るなら、私がお前を守る」
胸の奥が、熱くなった。
何と言えばいいのか、わからなかった。
「……ありがとう」
それだけしか、言えなかった。
サヤが笑う。
夕日が、彼女の顔を照らしている。
——きれいだ。
そう思った。
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## 4
夜。
部屋に戻ると、ハチが眠っていた。
ヒロは窓辺に座り、外を眺めた。
月が出ている。街は静かだ。
サヤの顔が、浮かんだ。
笑顔。弓を構える横顔。心配そうな目。夕日に照らされた顔。
——これは、なんだ。
胸の奥が、温かい。熱い。鼓動が早い。
手のひらを胸に当てる。
心臓が、強く打っている。
——まさか。
違う。そんなはずがない。
俺には——彩花がいた。妻がいた。
五百年前の家族。もう、戻らない。
だが——
サヤの顔が、また浮かぶ。
「お前が誰かを守るなら、私がお前を守る」
あの言葉。あの目。
胸が、苦しい。
——やめろ。
考えるな。
だが——止まらない。
その時。
ランプの明かりが揺れた。
強くなる。弱くなる。点滅する。
「……なに?」
立ち上がる。
壁の中から、軋む音が聞こえた。
配管が震えている。金属が擦れる音。
「くっ……」
頭が痛い。
またか。またあの感覚。
体の中が、熱い。
視界が歪む。
部屋の中の全てが——違って見える。
ランプの内部。配線。電流の流れ。壁の中の配管。水の流れ。
全てが、光の糸のように見える。
——止めろ。
意識が、叫んだ。
違う——止めたいんじゃない——
だが、制御できない。
ランプが破裂した。
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## 5
ガラスが飛び散る。
ランプが消える。部屋が暗闇に包まれる。
「がっ……」
膝をつく。頭が割れそうだ。
壁が軋んでいる。配管が震えている。
廊下から、叫び声が聞こえた。
「誰か——!」
「医者を!」
何が起きた。
ヒロは部屋を飛び出した。
廊下に、兵士が倒れていた。
腕が——変な方向に曲がっている。
右腕に装着していた義手。旧文明の神器だ。それが暴走し、持ち主の腕を締め上げている。
「うっ……ああっ……」
兵士が苦しんでいる。
「動くな!」
ヒロが駆け寄った。
義手を見る。制御システムが暴走している。誤作動だ。
——俺のせいだ。
わかる。さっき、部屋で感情が高ぶった時。能力が暴走した。
周囲の機械全てに、影響を与えた。
「外せ——!」
兵士が叫ぶ。
ヒロは義手に触れた。
制御システムに、意識を向ける。
——止まれ。
電流が途絶える。義手が力を失う。
兵士の腕から、義手が外れた。
「はあ……はあ……」
兵士が荒い息をしている。腕が腫れている。骨は——折れているかもしれない。
「すまない……すまない……」
ヒロは頭を下げた。
「え……?」
兵士が困惑している。
「覚醒者殿、なぜ……」
「俺のせいだ」
何度謝っても、足りない。
足音が近づいてきた。
イヴとサヤが駆けつけた。
「何が……」
サヤが兵士を見て、息を呑んだ。
イヴがヒロを見つめている。
「……能力が、暴走しましたね」
「ああ」
「部屋で、何を考えていましたか」
「……関係ない」
「関係あります」
イヴの声が、厳しい。
「ナノマシンは、あなたの感情に反応します。強い感情——特に、抑圧した感情が、暴走を引き起こす」
サヤが、こちらを見ていた。
何も言わない。ただ——見つめている。
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## 6
医療室。
負傷した兵士が、手当てを受けていた。
骨は折れていなかった。打撲と捻挫。数日で治る。
だが——
ヒロは廊下で壁に背を預けていた。
「俺は——危険だ」
呟く。
イヴが隣に立っていた。
「感情を受け入れなければ、制御はできません」
「受け入れたら、また暴走する」
「違います」
イヴが首を振った。
「抑圧するから、暴走するのです。感情を認め、受け入れ、導く。それができれば——」
「できない」
ヒロが遮った。
「俺には——無理だ」
イヴは何も言わなかった。
沈黙が流れる。
「彼女のことですか」
イヴが静かに言った。
「……何の話だ」
「サヤのことです」
心臓が跳ねた。
「あなたは、彼女に惹かれている。だが——認めたくない」
「……黙れ」
「過去に囚われているからです。五百年前の家族に」
「黙れ」
「ですが——」
「黙れ!」
叫んでいた。
廊下のランプが揺れた。
イヴが一歩下がる。
ヒロは拳を握りしめていた。
「……悪かった」
「いいえ」
イヴが首を振った。
「あなたは、正直です。それは——良いことです」
そう言って、イヴは去っていった。
一人になる。
壁に背を預けたまま、ヒロは天井を見上げた。
——俺は、危険だ。
サヤのそばにいてはいけない。
誰のそばにも——いてはいけない。
窓の外で、月が雲に隠れた。
闇が、廊下を包んだ。
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**【第10章 完】**
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*次章予告:*
*イヴの訓練が始まる。*
*「感情を受け入れろ」*
*そして——レンを襲う刺客。*
*守るために、ヒロは再び——自分を犠牲にする。*




