第50話 因果応報と言われても、反論できぬこの境地(その1)
雫斗がクルモの捜索を一時中断したのは、嬉しさの余り歓喜したからではない、試練の間がおかしい事に気がついた為だ。動く事無くただ震えていただけのスライムが、広間の中央へとゆっくりと集まりだしたのだ。
それだけでは無い、周りの空気が引き絞った緊張の糸を、はじいて奏でている様に鳴り響いているのだ、まるで此れから始まる惨劇を予告するかの如く。雫斗は立ち上がり、中央に集まるスライムを注視しながらも周りの様子に気を配る。張り詰めた気配の中に何か違う気配を感じ取る事が出来るのだが、その正体を掴め切れずにいた。
そうこうする内にスライムが中央に塊りだした。まるで全ての個体が主導権を取る事に躍起に成っている様に、我先にと折り重なって行く。良く見ると新たに湧き出したスライム迄その狂乱に飛び込んでいく、普通ダンジョン内であれ外であれ、人の居る場所では魔物は湧いてこないというのに、此処ではお構いなしである。
唖然として見ている事しか出来ない雫斗だったが、頭をよぎる予感が有った。”逃げた方が良くないか?” しかし背後に逃走経路が有る事の安心感から躊躇してしまっていた、スライムが何の為にその狂乱を始めたのか気になったのだ。
次第にスライム饅頭の大きさが天井へと届きそうになっていったその時、眩しい光と共に地面の底が抜けた様な浮遊感に襲われる。一瞬の出来事だった、思わず身構えた雫斗が居るのは、先ほどの試練の間のとは違う広大な空間だった。雫斗はその広間に半身の構えで立ち尽くしていた、どうやら強制転移を受けたらしい。
その雫斗の見据える先には、巨大なスライムが鎮座していた。二階建ての家屋を余裕で飲み込みそうな体躯の迫力に気圧されながらも、雫斗が警戒しているのはスライムの前方で頭を下げている男だ。
この異様な状況でいささかの殺気も、いや気配すらない。多少小太りでは有るが、直立不動で頭を下げ、手を胸と腰に回す姿はまるでピエロの挨拶を思わせるが、みじんも滑稽さは感じさせ無い。在るのは薄気味悪さのみ。警戒して言葉を発しない雫斗に、しびれを切らした様に顔を上げ胡乱下に言い放つ。
「ようこそ!! 我が迷宮の深層へ。歓迎いたしますぞ、王の名を冠するお方よ」と言い”ニカッ”と口元を緩める。このような状況でなければ、親しみやすい表情と言葉ではあるが、如何せん周りの空気がそれを許さない。
「迷宮の深層? 此処はダンジョンの最下層って事。えええ~三層じゃないんだ」と雫斗は驚いた風を装って聞いてみた。
「然り!! 表の迷宮は仮初のもの、本質たるは此の舞台で在りますぞ。そして我こそが此の近隣の迷宮の核心たる存在でございます。とはいってもこの近辺には二つの迷宮しかございませんが、ぐふふふふ~。」そう言って、”したり、したり”と何度もうなずいている。どうやら雫斗はのっぴき為らない事態へと巻き込まれた様だ、こうなっては仕方ないと腹をくくる。
「本質とは? 僕たちが認識しているダンジョンと何が違うの?」雫斗は質問を重ねる、情報が足りない、時間稼ぎにしか成らないが、ここは話を引き延ばさなくてはと懸命に知恵を絞る。
「役割は同じではありますが、報酬と、Bet・・・つまり掛け金が、段違いでございます」と話に乗って来る、雫斗の焦りとは裏腹に聞けば答えてくれる相手に、”此れは、ワンちゃんいけるか”と雫斗は希望を感じた。
「報酬と、掛け金ね? 内容を聞いても良いかな?」と重ねて聞く雫斗に、激昂することなく嬉々と答え始めた。
「至極当然の事でございますれば、まず報酬に関して。・・・私めの管理しうる迷宮の権能たる機能を一部を残してすべて手に入れる事が出来まする。さらにこの迷宮を消し去ることも自由でございます、それは貴方の御心しだい。・・・さて掛け金でございますが、当然あなたの御命でございます。心してこの試練に向かいますよう、御心へと肝に留め置かれませ」と深々とお辞儀をする。辛辣さと、曖昧さを兼ね備えるヨアヒムよりも、その御仁に誠実さを感じるのは不道徳かもしれないが、雫斗は親しみ安さを感じていた。
「命を懸けるというなら、表も変わらないと思うのだけど」という雫斗に、その人?は根本から違うと反論する。
「何をおっしゃるかと思えば。表の迷宮なれば、敵わぬとなれば逃走も回避も出来ましょうが、今まさに此処に至った者がこの場を去れば、深淵の試練に挑む資格を放棄したとみなされましょう。もはや覚悟を決めて試練を克服する事のみが貴方様の御命を長らえ、あまつさえ迷宮の心理へとたどり着ける早道となりましょう、ささどうぞご存分にお力を振い奉ります様お願い申し上げます」と言われた雫斗は今更ながらに覚悟を決めた。しかし目の前の胡散臭い御仁がどの程度強いのか分からない、相変わらず気配がつかめないのだ。
「一応そのまま帰っても良いわけだ、ちなみに退避場所は何処かな?」と言聞いてみる、雫斗自身舞う覚悟を決めている、しかしある程度の情報を持ち帰る事が出来ればそれに越したことは無い。
「これは異なことをおっしゃいます。もうすでに御心を決めていますでしょうに。しかし聞かれたからにはお答えせねばなりません、後ろの壁際に脱出用のポータルが御座います、試練の最中であれそこに至る事が出来れば表の迷宮へと誘われる事とないまする。しかしそれ以降はどの迷宮であろうとも試練の間へのご招待は無い物とお考え下さい」と小太りの親父が言う。雫斗が後ろを振り返ると確かに魔法陣の明かりが見える。つまりバトルの前であれ最中であれそこに至る事が出来れば此処から出る事はできる様だ。
数ある魔物にも強さのばらつきはある、当然種類別でも違うが同じ種類でも個々の強さにも微妙に違いが有る、雫斗達はそれを気配で感じながら対応しているのだ。かつて遭遇したハイゴブリンや、ハイオークの強さはその当時の雫斗達にとって格上で脅威ではあった、しかし負けるとはみじんも感じなかったのだ。
だがハイオークを倒した後に出て来たオーガでは、当時の雫斗達では、どうこう出来る相手では無かった。保護した親子と、纏わり付いて来ていた”強面君”たちが居なければ迷わず逃走していたのだ。
「さて。時間も押してきている事ですし、そろそろ開演といきましょうか」と始めようとする御仁に、慌てて待ったをかける雫斗。
「君の名前を聞いていないんだけど。…あと勝利条件も」後ろに控えている巨大なスライムから、ひしひしと感じる強者の気配。その威圧はすさまじいが、散々スライムを倒してきている雫斗に恐怖は無い、しかもスライムダメージ特化の武器”トオルハンマー”も持っている。
もしもの時は秘密兵器がある、あの”ビーム”の破壊力は折り紙付きだ。難点は此の至近距離では雫斗自身も吹き飛ばされかれないが、いざと成れば使わないという選択肢はない。
問題は目の前の得体の知れない御仁だ、一向に強さの評価が出来ないのだ、名前から情報を拾えないかと破れかぶれで聞いてみたのだが、素直に答えてくれた。
「おおおお~!! 私めとした事が、失態、失態。・・・改めまして、”ヲッフォン”。わたくし、此の102迷宮群を預かります、キリドンテ・マリクルソンと申します。貴方様の試練が成就なされた暁には、不詳、此のわたくしめが、あなた様のしもべと相成りまする、その節は”キリー”と呼び、何卒よろしくお願い申し上げます。・・・さて、勝利の条件ではありますが、後ろに控えし我が迷宮の守りの要たる”ジャイアント・キングスライム”を倒す、従える、動きを封じる。どの条件であっても貴方様の勝利となりまする」と言って頭を下げ、脇へと下がっていく。
「えっ!! あなたが相手じゃないんだ」すごすごと下がる相手に驚いて雫斗がつぶやくと。その声が聞こえたのか、キリドンテが立ち止まり雫斗見て”ニッカッ”と笑って言う。
「何を隠そう、私めの戦闘力はゼロでございます。私めの役割はこの迷宮群の維持と管理。そして一切を見届ける事にございます。…では後悔なきよう全力で事にあたられませ」とペコッとお辞儀をして、そそくさと岩陰へと隠れてしまった。どうやら戦闘力ゼロは本当らしい、その後でひょっこッと顔を出して、此方をうかがう仕草が笑いを誘うが、今の雫斗にはそんな有余裕はない。彼の御仁が参戦しない事で勝率二割が、五分五分へと変わったのは嬉しいが、後ろに控えるジャイアント・キングスライムは舐めて戦って勝てる相手ではない、細心の注意を払って対峙する雫斗。
ジャイアント・キングスライムとの距離は約五十メートル、礫を放てば届かない距離ではないが、音速を遥に超えた礫の攻撃は雫斗の奥の手だ、ましてやビーム攻撃に至っては、いつ何時爆発するのか見当もつかない、このビーム攻撃は奥の手の、そのまた奥の手でしかない。
相手の力量が分からない内はちょっかいを出さず、じっと耐える。これは戦闘の基本で、時間制の試合ではないのだ、焦った方が負ける。暫くお互いの出方を伺っていたのだが、先手を切ったのはジャイアント・キングスライムだ。半身に構えている雫斗に向かって、槍の様な触手を打ち込んできたのだ。
ジャイアント・キングスライムがどういった攻撃をしてくるのか予測が立たない中で、此の遠距離攻撃は意表を突かれた、普通のスライムは纏わり付いてくる事しかしてこなかったので、てっきり魔法攻撃か何かだと思っていたのだ。
しかしその槍の触手の速さは躱せない程では無い、一応その攻撃からバックステップで距離を取りながら横へとずれて躱す、紙一重で躱せない事も無いが、如何せん初めて見る攻撃なのだ。無理をして予想外の事態に為ると目も当てられない。例えば拡散するとか、進行方向のベクトルを変えるとか。初見では回避不能になりかねないので、用心して突して来る攻撃から距離を取っているのだ。
だが大きく距離を取ると言う事は、己のバランスも崩れると言う事になる。それを見越したかの様に、追撃の触手が放たれる。次々に放たれる触手を躱していくと必然的に走り回って躱していくことになる、当然ジャイアント・キングスライムも雫斗の走る速さを予測して攻撃するのだが、次々躱していく雫斗に業を煮やしたのか、たまに雫斗の動きの先の先を読んだ攻撃をして来る。
その攻撃をアクロバティックに躱して行く雫斗だが、一向に近づく事も出来ずにジャイアント・キングスライムの攻撃に晒され続けている、一見するとその戦闘はじり貧に見える。
固定砲台と化すジャイアント・キングスライムに対して、機動力を生かして躱すだけの雫斗には勝算は無い、彼の方が何れは体力を消耗して動けなくなるのは目に見えているのだ。
しかし雫斗も闇雲に躱しているだけではない、体力面にしても接触収納を使って体力回復に特化したポーションを直接口に含んで飲むという荒業を、何百回とこなしてきているのだ、今では自然にできるまでになっていた。
攻撃を躱して居ながらもジャイアント・キングスライムからの、槍の攻撃の到達距離とその性質を見極めながら、躱す距離を僅かずつ短めているのだ。紙一重でジャイアント・キングスライムの攻撃を躱した雫斗は反撃に転じる。伸びきった触手の槍を、接触収納から取り出したトオルハンマーで叩き折ったのだ。
叩き折られた触手の先は光の粒へと変わって行く、次々と繰り出されてくる攻撃を紙一重で躱しては触手を叩き折っていく。暫く此の攻防を繰り広げていくと、消えた触手の分だけ目びれしたジャイアント・キングスライムが攻撃を止める。
ついに肉弾戦へと移行するのかと警戒する雫斗を他所に、上下に伸び縮みを繰り返す。すると新たなスライムが湧き出てきてジャイアント・キングスライムに合流していく。
「追加で召喚するんかい!!」慌てた雫斗はジャイアント・キングスライムに肉薄してトオルハンマーを叩き込む。叩き込まれたジャイアント・キングスライムの表面が爆散するが、元の体積が大きすぎて大したダメージとは成らなかった。
少傷とはいえ削られて喜ぶはずも無く、怒ったジャイアント・キングスライムが巨大な体を活かして雫斗を叩き潰そうとしてくる。大きな体を利用しての叩き潰つぶしには破壊力は有るが、如何せん大振りとなる。叩き付けられた場所には物凄い振動と砂煙が立ち込めるが、もうそこには雫斗の姿はない。
離脱していく雫斗に追い打ちの触手攻撃を仕掛けるジャイアント・キングスライム、しかしその攻撃は雫斗の神回避と触手の消滅という最初の攻防へと誘っていく。
肉薄攻撃・即退避。アンド触手の壊滅を繰り返す事数回、分かった事が有る。ジャイアント・キングスライムがスライムを新たに召喚しているときは、攻撃も防御も出来ない事を。
そこで雫斗は作戦を変える事にした、遠距離攻撃はジャイアント・キングスライムだけのものではない、召喚の儀式の伸び縮みが始まると、トオルハンマーを短鞭へと持ち替えて、投擲を始める雫斗。ただの投擲ではない、重さわずか10グラム程度の鋼鉄の塊だが、その速度は異次元のスピードなのだ。
時速4300キロメートル以上、音速の4・5倍の速度でジャイアント・キングスライムの体を貫通していく、しかしそれだけでは無い、貫通した周りを雫斗の放った礫の衝撃波がジャイアント・キングスライムの体を削り取っていく。貫かれる事数回、たまらず防御にまわるジャイアント・キングスライム。
打撃防御に特化したスライムだけはある、防衛に徹したジャイアント・キングスライムの装甲は伊達ではない。極超音速で飛来する礫を尽く弾き返していく、すかさず雫斗は走り込んで、スライムダメージ特化のトオルハンマーを叩き込む。トオルハンマーの打撃が撃ち込まれた周りを衝撃波が巻き込んでスライムの体を消滅させる、怒ったスライムのボディーバスターを回避して雫斗は距離を取る。
距離を取る雫斗を槍の触手攻撃で追撃するジャイアント・キングスライム、雫斗はその攻撃を躱しつつ槍の触手を破壊していく。何時の間にかジャイアント・キングスライムの方が打つ手が無くなり、じり貧となっていた。
スライムを召喚して自分の体積の補充を試みると、すかさず極超音速の礫の攻撃が来て召喚出来なくなり、体を強化して礫をはじくと肉薄されてハンマーの攻撃を受ける、槍の触手の攻撃で撃退すると躱されて触手を失う。後の無くなったジャイアント・キングスライムは賭けに出る、己の体をおとりに罠を仕掛けたのだ。
最早ルーティーンと化した、肉薄してのトオルハンマーでの攻撃に移行していく雫斗に対して、爆散していく己の体躯を無視して、伸び縮みの儀式を始める。スライムを召喚して補充するのではなく、ジャイアント・キングスライムの頭上に巨大な水の塊が出来ていく、最初の頃のジャイアント・キングスライムの体積を優に超える水の塊が、数百トンにも及ぶ水の塊が勢いをつけて一気に落ちてくる。




