表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

第1話 彼女が天に召されるまで、あと1時間

 彼女が天に召されるまで、あと1時間。

 激しい砂煙を上げて、赤髪の女戦士――アレクサンドリアが地面に転がる。マントが破れ、肩に血の染みが広がる。しかし、彼女は剣を取り落とすことはしなかった。すぐさま立ち上がり、息を切らせながらも眼前の敵をにらみつける。俺は背後に駆けつけ、魔法詠唱に備えて片手杖を構える。

 岩山を背にそびえ立つそれは、黒く巨大な爬虫類型の魔物。魔竜と呼ばれる悪魔の一種だ。そいつの口から吐き出される火炎の息で、辺りは炎がくすぶり、熱気と悪臭が立ちこめている。さながら冥界の様相だ。行ったことはないが。

「天よ、この者に癒やしを授けよ――ヒール!」

 俺は片手杖の先端を突き出して叫ぶ。とたん、アレクサンドリアの体の周りを白い光が取り囲む。光が消えると同時に肩の傷は癒えていた。あとに残るのは、すらりと伸びた背にかかる、薄汚れたマントのどす黒い染み。

「助かる、リュート」彼女は振り返って笑顔を見せたかと思うと、前を向き剣を構える。「援護を!」

 魔竜の火炎が襲い来る。熱風とともに鼻を突くひどいにおいに、頭が痛む。これに比べれば、あのときの苦い煙のにおいはまだましだったかもしれない。

 あと50分。


◇◇◇


「不良天使め、そんなもんが好きなのか?」

 8か月前。町外れの丘。青く澄んだ空には、壮大な純白の雲が浮かんでいる。

 背後から俺の紙巻きゆめぐさを奪ったのは、女戦士アレクサンドリア。草むらに仰向けに寝転がった俺は、上からのぞきこまれる。赤い髪がさらりと落ち、逆光の中、緑色の目が悪戯っぽく微笑んでいる。力ずくで取り上げられた夢見草は捨てられ、革のブーツで踏みつけられた。苦いにおいが消えていく。

「おい、ひでえな。人のもん勝手に取るんじゃねえよ」

「成長によくないらしいぞ」

「俺は20歳は超えてる。なんなら、2万歳を超えてる」

「天使が夢見草を吸うとは驚いたよ」

 言って、彼女は隣に腰を下ろす。俺は両腕を枕にして寝転がったまま答える。

「戦士が夢見草を嫌うとは驚いたよ」

「体が資本だ、と私は思う」

 と大真面目に彼女は一席ぶつ。悪魔討伐の依頼を受ける酒場で、どんな気持ちで立ち回ってるんだ、こいつは。俺は夢見草と酒のにおいの染みついた石造りの建物を思う。人間界に来て、あんな荒んだ場所があることを初めて知った。天界にはない。あの純白の雲の上には。

「なあリュート、私にも一本くれないか」

 気づくと、楽しげに目をきらきらさせた仲間の女の顔が近づいていた。

「なんで」と俺はぶっきらぼうに問う。「体が資本なんだろ」

「そうだけど、興味もある」

「あんたも重圧が?」

 言ってしまってから口をすべらせたことに気づいたが、もう遅い。アレクサンドリアは目を瞬かせていた。

「重圧?」

「なんでもない。欲しいならやるよ、ほら」

 一本だけな、と言って俺は起き上がる。ローブのふところから人間界で調達した安物の夢見草を出し、手のひらの上に置いてやった。正直言うと、これが初めて手に入れた草だ。街の薄汚れた露天商から。期待していたほど重圧を軽くしてはくれなかったが。

 アレクサンドリアはそれを親指と人差し指で挟んで日の光にかざし、しげしげと眺めている。やがて、唇にくわえた。大きな目を上に向け、うながされるので、俺は罰当たりな呪文を詠唱せざるを得なかった。

「天よ、この草に灯りをともせ――ライト」

 紙巻きの先端がぽっと赤くなり、やがてなんとも言えないにおいが漂ってくる。彼女はそれを一息に吸い込んで、とたんに激しく咳き込んだ。

「なにやってんだ」

 俺は慌てて背中をさすりにかかる。予想よりも華奢な背中が、手のひらの下で喘いでいる。アレクサンドリアはまだむせこみながら、しばらくするとどうにか呼吸を取り戻した。両腕を高く掲げ、深く息を吸っては吐いている。その中で「こんなもん、やめとけ」と言うので、俺は笑ってしまった。

「それを言うために自分で吸ってみたのか?」

「なんでも確かめてみなきゃな。そうだろ、リュート?」

 緑色の目で真剣に見上げてくる。

 俺はなにも答えられない。


◇◇◇


 くそったれ! あと45分。

 アレクサンドリアが天高く跳躍したかと思うと、その剣が魔竜の長大な尾を根元から切り落とした。

 凄まじい絶叫と地面を揺るがす震動。山が崩れ、四方から岩石が転がり落ちてくる。俺は背中に白い翼を出現させ、アレクサンドリアを抱えて空中に浮き上がった。竜の紫色の血が地面をけがしていく。しかし、苦しみもがく合間にも、こちらに向かって口が大きくひらかれたかと思うと、汚れた牙の間から灼熱の濁流が噴き出す。翼を焦がしながらもなんとかそれをやり過ごす。が、火傷は灼熱の痛みを発して確実に体力を奪っていく。俺は痛みをこらえながらも、火を避けようと空中を飛び回っていた。羽ばたく度に肉が裂けるようだ。火の息吹が連続し、近づこうにも近づけない。

「リュート、私を放り投げてくれ!」

 腕の中の女戦士が叫ぶ。

「まさか、そんな――」地面からは、教会の尖塔よりも高い位置にいる。

「いいから!」

 もがく彼女をそれ以上抱き留めることができず、俺は結果的に拘束を解いてしまった。アレクサンドリアは剣を振りかぶって落ちていく。その先は魔竜の頭上だった。剣が頭頂にめり込み、そのままの勢いで皮と骨の砕ける凄まじい音を立てながら、首、肩、胸、腹まで切り裂いていく。

 地響きを立てて、竜の巨体が左右に分かれて崩れ落ちた。その狭間の地面で、アレクサンドリアが全身紫色の血まみれになりながらひざまずいている。

「やった……!」

 俺は叫んで転がるように地上に降り、仲間のもとに駆け寄った。

「これで」アレクサンドリアは緊張から解放されたためか、震えながら笑う。「依頼達成だな。村の人々もほっとするだろう」

 そうだ、依頼達成――いや、おかしいな。俺は立ち止まる。

 天国までは、あと30分あるはずだ。

 背後で、恐ろしい轟音がした。振り返る。左右に分かたれたはずの魔竜の体が立ち上がりながら合体し、ひとつに戻っていく。

 見る間に、魔竜は傷跡ひとつなく復活した。そして、天を見上げて咆哮した。まるで天国へ挑戦状を叩きつけるみたいに。

 背中の翼が焼けつくように熱い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ