そして私は包丁を買いに行った
私のお母さん。
メジャーリーガーの大谷翔平さんが好き。
よくお母さんが言ってたわ。
「うちの子は誰も成功しない。誰も私のことを喜ばせてくれない。」
ってね。
「大谷翔平が自分の息子だったらよかったのに。」
こういうことを自分の子供に言っちゃうのが私の「お母さん」。
⋯血の繋がった、私の、本物のお母さん。
無条件に私を愛してくれることは一度だってなかった。
自分の幸せに繋がっていないと、子供の幸せを願えない。
そんなお母さんだった。
漫画やアニメに出てくるお母さんとは違ってた。
勝負事ではとにかく「頑張れ、負けるな。」と言い、自分の子供が勝負に負けると家に帰ってしまうような。
そんなお母さんだった。
正直、私はお母さんのことを何も尊敬できなかった。
薬にならない毒、そのものだった。
私を蝕み、私を殺す。
私の帰りたい家に、お母さんはいらない。
お母さんのいる家に帰りたいと思ったことがない。
ここは私の帰る居場所じゃない。
⋯⋯可哀想なお母さん。
彼女が幸せそうにはちっとも見えなかった。
美しい顔で醜い言葉を吐いていた。
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「彼女が憎いの?」
「お母さんのことは嫌いじゃないよ。でも好きにはなれない。」
「好きだからこそ、幻滅しちゃったんじゃない?自分はこんな女から生まれたのか、ってさ。」
「⋯そうかもしれない。⋯⋯なかったことにできる?」
「なかったことにするって、どういう意味?」
「私が、あのお母さんから生まれたことを、なかったことに。」
「彼女を殺したいのかい?」
「わからない。⋯⋯ただ、私は『お母さん』から生まれてきたかった。それだけなの。」
「そうか⋯⋯。あの人は、君のお母さんじゃないんだね?」
「⋯⋯ええ、そうなの。だって、抱きしめられたとき、ちっともあたたかくなかったわ。不思議なの。まったく嬉しくなかった。それに、骨ばってて⋯なんだか、柔らかくなかったのよ?なぜかしらね?痛かったわ。」
「お母さんじゃない人を、君はどうするの?」
「無視する、だとか、距離を置く、だとか。そういうことなの。」
「君は、彼女を殺そうとしているんだね。」
「いけないこと?それって、いけないことかしら?みんな心の中ではそう思っているでしょう?あたたかい、素敵な、理解のあるお母さんのもとに生まれていれば幸せになれたのに、って。私もそうなの。だから、殺さないと。」
「僕は止めないよ。ただ⋯⋯多くの人は君に賛同しないだろう。」
「かまわないわ。いつだってそうだったもの。私に理解者はいない。支えてくれる人も、慰めてくれる人もいなかったわ。」
「苦しかった?」
「苦しかったわ。」
「君は泣いたことはある?」
「ええ。生まれてきたときにね。『こんなお母さんから生まれてきたくなかった』って。大声でずっと泣いていたの。」
「それが君の拒絶そのものだったんだね。」
「そうよ?だから、泣きじゃくってたの。泣きやまないのは、根本の原因が解決しないから。おもちゃであやすとか、おしゃぶりを咥えさせておくとか、無意味なのよ。」
「君は、今も泣いているんだね?」
「ええ⋯⋯いつも。止まない雨はない、というけれど、私は止まない雨そのものなのよ。」
「洪水になって、溺れて、そして⋯⋯。」
「そう、死んでいくの。それが人間。」
「これが、人間なんだね。」
「そうです。これが人間なの。⋯⋯もう、行っていいかしら?」
「うん。どうもありがとう。気をつけていってらっしゃい。」
「ええ。ありがとう。さようなら。」
ーーーーさようなら。
この世界に、さようなら。
私を産んでくれたお母さんに、さようなら。
さようならをするために、私は外へと飛び出した。
もう一度、血まみれになって、私はこの世に生まれてこよう。
ーーーただ、生まれてくるだけではダメですか?
誰の役に立てなくても、笑って幸せに暮らすだけではダメですか?
お母さんのあたたかい胎動がこの世の空気を震わせていた。
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