止まらない吐き気
「ジョズワール公爵家という肩書以外なんのとりえもない男と結婚してあげたのよ。でも、子供にあの男のぼんやりした顔やずんぐりした体型を受け継がせるなんてね。その点、彼は完璧でしょ。感謝して頂戴ね」
エステルはとっさに母が言っていることを理解できなかった。
確かによく見れば母の横にいる男は自分に似ている。
最初は親戚筋の男を連れているのかと思った。だったら自分にも似ていて不思議はないから、でも違った。
(この男が私の実の父……)
「十年以上の時を経て実の親子が再会したんだ、今日はなんてめでたい日だろう!」
アーブレーと名乗った男が大げさに『感動』を演出する。
それから、何を話したのか、エステルはよく覚えていない。早々に母の新居を退出し、自身の住まう公爵邸へと馬車を走らせた。
(吐き気が止まらない……)
母とその連れ合いは、また連絡するとも、公爵邸を訪ねてくるとも、そそくさと部屋を出るエステルい向かって告げていた。
(どうしよう、こんな話、明るみにできることではないわ)
エステルにとっては父だと信じていた亡き公爵は、思い出せば今も胸がじんわり温かくなってくるような存在である。離婚するようなもめ事を起こしただけでは飽き足らず、最初から父を裏切っていた。そして、自分自身こそがその裏切りの証なのだ。
誰もいない馬車の中で、突っ伏してできれば大声で泣きわめきたかった。
しかし、馬車はそんな暇も与えず公爵邸の玄関口に到着した。
しっかりしなきゃと自分を鼓舞してエステルは表情を取り繕う。そして屋敷の玄関を入ると二つの小さな存在がエステルに抱き着いてきた。
「おかえりなさい、エステル姉さま」
「遅いじゃない、待ちくたびれたよ」
現公爵である叔父夫婦の息子、十歳のシリルと七歳のリュカである。
「お土産は?」
「そう、お土産!」
二人は買い物に行っていたエステルにおねだりする。
「お土産なら、もうとっくに屋敷に届いているはずなんだけど……」
途中、母と会ったエステルは、買い物した商品だけを先に屋敷に届けるよう同行していた使用人に言いつけていたはずだ。
「もちろん、届いているよ。でも、エステル姉さまが帰ってくるまで開けちゃダメってお母様が……」
リュカがバラ色のほほを膨らます。
「まあ、そうだったの。チョコレートを買ったのよ。一緒に食べましょう」
エステルは二人を自分の部屋へといざなう。
兄公爵の後を継いだ叔父は、兄の忘れ形見であるエステルのことも決して粗略に扱わず良くしてくれていた。そのため夫人との関係も良好であり、彼らの子供たちは弟のようになついてくれている。
(もし、叔父一家に知られたら……)
従弟の子らにふるまうチョコレートも、今のエステルには苦みしか感じられずにいた。