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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

女子高の冷淡な彼女は川にチョコを投げ捨てた(わたしは拾ってやったがそれは欲求でありながらも恋の始まりであってキスの味はいまもする)

作者: 鴻山みね

 つまらなそうに見る冷たい目、凍った表情、薄く透明感のある薄氷(はくひょう)な肌、冷淡な性格――前髪は目に掛からないショートヘア(それは効率的に)、爪も長くは伸ばさない(それは清潔的に)、乱れのない見本のような制服姿(それは模範的に)。朝の寒空のなか白馬澪(はくばみお)は校門に入ってきて、校舎に足を進めていた。


 わざと息を吐けば、ふわっと雲みたいな白い息が出るぐらいの寒さ。冷えるけど手袋は取った。わたしは手作りチョコが入ったピンク色の箱を持っている。

 澄ました顔をしたチョコレート色の箱とかでもよかったけど、せっかくなら恥知らずなピンク。恥知らずなのは――実際そうだから。


 校庭で待っていた生徒たちは(わたしも含め)地面に砂糖を落とした時のアリのように白馬澪に群がっていった。彼女にチョコを手渡そうと多くの生徒が行く。誰が一秒でも早く先に渡せるか、あるいはちょっとぐらい触ったりとか(これはいけない)。

 女子しかいない女子高で本命チョコを渡しても問題ないのは白馬澪しかいないから、こんな事態になっている。


 氷の王子様――彼女はそう呼ばれている。甘い表情を見せるわけでも、大して気が利くわけでもない。心が氷で覆われてるのかと思えるぐらい、冷たい人間。

 わたしは今年で二年生になるけど、入学した当初はなぜ一つ上の先輩である白馬澪がもてはやされているかわからなかった。


 挨拶しても淡泊な挨拶で返すし、とても勉強ができるとか運動が得意というわけでもない。粛々と物事をこなしているが、何事にも興味を示さない冷たい人だとしか思わなかった。ただ、数ヶ月経った頃に大体の一年生が気づいた、それこそが彼女の魅力ということに。


 高校生活に慣れてくると、みんな刺激が欲しくなってくる。他校の生徒のチックチックフーン(ショート動画のアプリ。通称チクチク)を見ると、そこに男子がいたりして、学校外で言ったらドン引き確定な発言を一年生徒たちはわめき始めてきたのだった(わたしは言ってない)。


 好きでこの学校を選んだとはいえ、恋愛のひとつやふたつ……あるいはみっつぐらいは体験したくなってくる。女の子同士でも問題ない――のだが。仮に付き合い始めたもんなら、そのふたりは燃える火の円に囲まれ、それを取り囲んだ生徒たちによって儀式の供物として捧げられる――つまり、ことあるごとに学校行事やイベントとかに引きずりだされるということ。


 誰が好き好んで見世物にされたいと思えるのか、わたしはされたくはない。


 そこで白馬澪の出番だった。熱こもってる生徒たちは、その熱を彼女で発散した。氷のように冷たい白馬澪なら、何をしても問題ない。告白しようがすべて断るし、好意的なことを示しても何も反応しない。氷の王子様――もとい白馬澪はそんな生徒たちの都合のいいお人形として使われている。


 そして今日、二月十四日のバレンタインデーでは本命チョコを渡したいという欲求を白馬澪を使って叶えているのだった。みんなして白馬澪にどんどん渡している。渡し終えた人は「渡しちゃったー」なんて言って、本命チョコを渡したという気分を味わってる。中には本当に彼女のことが好きな人もいるのかもしれないけど、実際とこはどうだかわからない。


 ただ、ほとんどの生徒は――わたしも含めて、そういう欲求を満たすための人形代わりとして使っている。かわいそうな気もするけど、嫌がってる感じもないし、それにわたしだけ参加しないはしないで本当に彼女のことが好きだと周りから思われるかもしれないから、知らしめるためにも必要な行動。一応全力で人だかりをかき分けていった。足を踏まれたり、髪を引っ張られたり(それはやりすぎ)したがなんとか目の前までこれた。



「わたし諏訪燎子(すわりょうこ)と言います、澪先輩よかったら受け取ってください!」



 恥知らずなピンク色の箱をわたしは白馬澪に渡した。たくさんのラッピングされたチョコが彼女に渡されていて、顔の半分ぐらいしか見えなった。わたしが僅かに顎を上げないと、顔は合わせられないぐらいの背の高さ。特別高いわけじゃないけど、ちょうどいいのも彼女の魅力――ついでに顔もいい(一切表情は動かないけど)。



「うん。ありがとう」



 白馬澪は説明書の解説をひとりで読み上げてるみたいな声で言った。渡せてよかった、と思ったのもつかの間。後ろから人が押し寄せて「はやくしろー」と後ろから声が出てきて、押し出された。


 少し離れて群がる女子生徒たちを見たが、蜂のように集まっていて、あの中にさっきまでいたのかと思うと自分の胆力も捨てたものじゃないなと思えた。渡し終えた人たちは、そそくさと校舎に戻っていった。わたしもそうしよう、朝の寒い冷気で冷え込んでいた体も今ではあつあつでアイスクリームだって食べれちゃう。不満な熱は逃がして、満足した熱は逃がさないように教室へと行った。



「りょこ渡せた?」と松原(まつばら)うみは言った。

「渡せたよー、うみは?」

「人多すぎてムリって感じ。あの中に入ってくのはヤバくて、息苦しすぎて結局渡せなかった――ってことで食べよう。適当に買ったやつだけど、人気のだから美味しいんじゃない」



 ネイルされた長い爪で松原うみはチョコを掴んで食べた。毛先に束感があって、高めでボリュームのあるポニーテールをした松原うみは「美味しい。イケる」と感想を漏らす。わたしの机に寄りかかりながら、早くも二個目を口に入れていた。わたしも机に載ったチョコレートを一個手に取った時に頭のカチューシャを触られた。



「少しずれてる」松原うみは直してくれた。

「澪先輩の時にずれたのかな、凄まじかったなあ……あの中。いま考えても恐ろしい……」

 チョコを食べながら、片手でぱっつんボブの髪を直した。

「美味しい、あまチョコ」とわたし。

「ねえ甘いね。でもよく考えたら、澪先輩ってこんな感じのチョコ貰ってるわけじゃん。食べるの大変そー、来年にはチョコ怖くなってたりして」

「さすがに家族とか友達とかに分け与えるんじゃない」もう一個チョコを貰い食べる「――ください、なんて言ったらタダで貰えたりするかな」

「わあ、それいいアイデアかも。ガチで天才。十個ぐらい貰ってきてよ、りょこ」


 まだ少し塊のチョコを飲み込んでしまった。ごろっと喉を通った感触は、石を飲み込んだ感覚だった(実際に石を飲んだことないけど、かじったことすらない)。


「なんで――おえっ。わたしが――おえっ。チョコを貰いに!」

 吐き出せないのに吐き出そうとしてるわたしの背中をポンポンと二回叩いて松原うみは言う。

「だってギャルじゃん、あたし」

「理由になってない。ギャルでもそうじゃなくてもみんな平等で――」


 松原うみは後ろに回り、座っているわたしの両肩に手を乗せた。ちらっと肩を見ると艶々の爪が見える。


「だってりょこはさ――黒髪ぱっつんで、童顔、ぱっと見おとなしそうな見た目だし、カチューシャもついてて受けよさそうじゃん。冷たい澪先輩にはさ」

「カチューシャは理由になってなくない」わたしはカチューシャを触る。

「おまけ、おまけ。一生懸命におしゃれしてますって子はかわいいからいいの。じゃあ、放課後よろしくねー」



 前払いの報酬代わりとして三つ目のチョコを取ろうとしたけど、松原うみはくれなかった。チョコを触った手をティッシュで拭きながら、放課後どうやって白馬澪に近づくか作戦を練った。



 ――放課後。きゃーきゃーと周りの子に言われながら白馬澪はこの時期には冷たいクリーム色した下駄箱から靴を取り出した。チョコがまるで滝のように白馬澪の下駄箱から出てきた。

 普通だったら驚くそぶりぐらいは出るものなんだけど、白馬澪は平然とした表情で眺め、落ちたチョコを一つずつ回収して白い大きな袋に詰めていた(まるでサンタクロースだ。行為は逆だけど)。


 わたしは先に靴を履き替え、外側から覗いていた。作戦はある――学校内で彼女に近づいて「チョコください」なんて言ったものなら他の子から袋叩きにあい、校舎にある大きな時計に吊るされる可能性があるが、他の子がいなくなった時なら問題はない。つまり、帰る後を追ってひとりなった時に話せばいい。ストーカーまがいではあるが、白馬澪は気にしないはず――氷の王子様なんだから。


 さすがの白馬澪も重いのか、白い袋を引きずっている。顔色ひとつ変えずにグラウンドの土の表面を削りながら、ずりずりと袋は音を立てて校門を出ていった。わたしは二十メートルぐらいの距離から彼女の後をつけた。あんな大きな袋を引きずって歩いてるわけだから、周りの人もチラチラと見ているのに、白馬澪はまったく動じない。ひと息つく気配すらない。


 ただ――氷の王子様とはいえ、さすがに歩く速度が落ちていってる。体が機械で構成されてるわけではなさそうで、少し安心した。電柱、標識(細すぎる)、看板などで体を隠しながら移動してるが、後ろを見ることすらないのでこのまま普通について行ってもいいんじゃないかと思えてきた。


 人通りも少なくなってきた橋の上で白馬澪は停止ボタンを押したかのようにピタリと止まった。そのまま川の方に体を向けた。西日が白馬澪を照らす。黄昏の赤い光が彼女の空っぽな瞳に入って、赤く潤んでいた。髪もオレンジ色の光を纏い、薄氷な肌も今ばかりは赤く血の通ったように見えた。


 なんだ、人間っぽいところあるんだ――そう思った。白馬澪は白い大きな袋を持ち上げた。肩にも背中にも力が入っているようだ、橋の欄干(らんかん)の近くで持ち上げるということは――落とす、という選択しかない。

 みんなの想いが欲求が詰まった袋を捨てようとしていた。橋の電灯に体を隠していた(隠せてるかはわからない)わたしはすぐに走った。



「捨てちゃダメー!」



 間違いなくわたしの言葉は届いていたはずだ、だってこちらを振り向いたから。だけど彼女は戸惑いなく落とした。落とした後も平然としていた。


 ざらっとして塗料が剥げた欄干の上に手を置き、顔を突き出して落ちた袋を見た。巨大な石を投げ入れたような音が上がって、水しぶきが出たが完全に沈んではいなかった。けど白い袋は沈没寸前で、チョコが何個か水面に浮かび上がっている。



「どうして捨てたの!」わたしは白馬澪を見た。

「どうして? 邪魔だから」



 白馬澪には悪いことをしたという意識がまったくないみたい、表情にはわたしの言葉に疑問すら抱いていない。みんな今日のために一生懸命作ったのにそれを捨てるなんて信じられない。わたしは心の中に芽生えた怒りを使って欄干をよじ登った。



「――みんな、澪先輩のこと」靴の長さより短い幅はぐらぐらとする「想って作ったんだから……」唾を飲み込んだ「捨てちゃダメでしょ!」



 黄昏によって色濃くなった川に向かって飛び込んだ。足場がなくなった瞬間鳥肌が立つぐらいぞわっとして、「――わたし何してるんだろう」と呟くも体は空気を切り裂きながら落ちていった。

 耳には近くで飛行機がいるみたいに音が鳴って、視界に映る川の水面がどんどん大きくなっている。足先が水面に着くぐらいで目を閉じた。叩きつけるような音と共に体が外から押し込まれる感触が這った。川の中にいるってわかってすぐに、顔を水面に出して息を吐いて吸った。


 ぎゅっと絞られるみたいな冷たさが体を襲った、二月の川は寒いのだから当たり前。顔を近くには白い袋があり、すぐに持ってコンクリートの川岸に向かって泳いだ。遠い――実際目に見える遠さと、体を使って泳いでいる遠さがまったく違う。


 水流が早いわけじゃない、水を吸った制服が鉄みたいに重くて、チョコの入った袋が信じられないぐらい重い。今更だけど、袋捨てようかなって思えた。けど、捨てたら飛び込んだ意味もなくなる。それに、みんなの欲求が詰まった物なんだから捨てるなんて間違ってる。白馬澪に返してやらないと――受け取ってもらわないとダメ。けど、体温も体力もどんどん遠く離れてく、このままじゃわたし――。


 動いてた手足がぷつんと止まった時だった。空から何かが落ちてきた。いったいなに、と思って水しぶきを立てた目の前を怪しんで見ていたら、濡れた頭がぬるっと出てきて――続いて、冷たい目をした白馬澪が顔を出した。


 何も感じてないのか無表情でいる。状況がわからないながらも、わたしの体力も限界になって沈みそうになった時だった。白馬澪がわたしを片手で抱きしめながら泳ぎ始めた。わたしからは黄昏と水滴で彼女が磨かれた氷みたいに輝いて見えた。


 コンクリートの川岸でわたしは息を切らして仰向けになってた。体が冷える、だけど内側は妙に熱い(あとコンクリートが固い)。立っている白馬澪は制服を絞っていた。疲れてるようには見えないが、胸がバクバクと動いてるから一応疲れてはいると思う。



「ど、どうして――助けたの? チョコは捨てたのに」わたしは言う。

「だって、あのまま放置したら死んでた。助けるのは普通」

「そうだけど……。けど、チョコを捨てるなんてダメ。みんな澪先輩のためにって作ったのに」わたしは上半身を起こした。


 濡れた髪を整えながら白馬澪は答える。


「私のために――違う。自分の欲求のため。だって心から好きで渡したわけじゃない。みんな渡して欲求は満たしたんだから、もう必要ない。だから捨てた。あなたに見られちゃったから、あなたは悲しい思いをしてるのかもしれないけど、他の人はなんとも思ってない。それにこんなにチョコ食べれない。みんな好き勝手渡すんだから、私だって好きに捨てさせてもらう――これのなにがいけない?」



 本当に心が氷のように冷たい人なんだ、そう思った。もちろん、彼女の言う通りではある。白馬澪が心から好きで渡してるわけじゃない(わたしも含めて)。都合よく利用していたのもそうだ。だからといって、捨てるなんて心がない。白馬澪を見損なった。



「澪先輩には欲求はないんですか! みんな――わたしもそうだけど、欲求があるんです。澪先輩が負担に感じてたなら謝ります……けど、みんなの欲求をポシャっていいわけない」



 白馬澪は表情ひとつ変えずに、白い袋に手を入れた。ガサガサと聞こえてから、箱をひとつ取り出した。恥知らずなピンクの箱だった。ラッピングを解きながら白馬澪は言った。



「欲求――ひとつだけある。なんだと思う?」

「……わからない、です。澪先輩は何考えてるか全然わからないから……」

「私、何か欲しいとか何かされたいって一切思わない。だけど、欲求まみれの人たちを見てたら欲することがあった。特に今日、そんな欲求まみれの袋を命掛けて守ろうとする人を見て確信を得た。私の欲求は『欲求』そのもの。教えて諏訪燎子さん、欲求を――私に」

「どうやって……ん? なんでわたしの名前知って――」



 恥知らずなピンクの箱のラッピングを解き、箱を開けてチョコを取り出した。

 ひと口サイズの丸いチョコ、食べやすいし、丸いチョコ作ってみたかったから作った。綺麗に短くした爪はチョコの邪魔にはならない、彼女は遠慮なく手に取った。



「だいたいの人を覚えてるけど――そんなカチューシャつけてるのはあなただけ。いなたい諏訪燎子さん」



 いなたい――ってダサい、垢抜けないとかの意味だったはず。恥ずかしさを感じつつカチューシャを触った、まるで隠すみたいに。白馬澪は親指と人差し指で掴んだチョコを口に持っていった――わたしに向かって。いつの間にか距離を詰めて、目の前でしゃがんで餌付けしようとしていた。



「わたしのチョコ?」

「あなたのチョコ。これがあなたの『欲求』なら、それを私に教えて――直接」



 そう白馬澪は言うと、わたしの口にチョコを突っ込んだ。甘い、ちょっと濡れてるけど……甘い。味は知っているから大した驚きはなくて、むしろなんでわたしにチョコを食べさせたのかがわからない。口内でころっと丸いチョコを転がした。



「じゃあ、教えて諏訪燎子さん――」



 間近にいた白馬澪はわたしに対してなんの躊躇もなく、キスをしてきた。なんの準備とか雰囲気もなく、わたしのことなんて考えてないみたい。自然と降ろしていた手は静電気を触ったみたいに一瞬だけ浮き上がった。手をどこに置けばいいか全然わからなかった。


 どうしよう、なんて考えてる間にわたしの唇の内側を白馬澪は舌で触ってきた。冷たい人なのは間違いないけど、舌は暖かい。ちょうどいいぐらいの温度だった。

 彼女の感触を味わっているうちに、おかまいなしに強く唇を合わせて奥に舌を入れようとしてきた。わたしが口に入れてるチョコを渡せと言わんばかりに。


 このままじゃ殺されるとすら思えるぐらい、わたしのことなんて考えもせずにキスをやめない。器用でも不器用でもない舌を動かしてチョコを口先に少しずつ持っていった。白馬澪が口の中で暴れてるから持ってくのも大変。

 丸いチョコをやっと口先までに持っていけた時、わたしの舌と白馬澪の舌が僅かに絡み合った。さすがにこれは――なんて思った時には、彼女の舌は興味なく離れチョコに向かった。唇をすぼめて、息も押し出すようにしてチョコを白馬澪に口移しした。


 彼女は受け取ると、ゆっくりと唇を離した。チョコの色が僅かに乗った透明な唾液が橋みたいにわたしと白馬澪の口に掛かっていた。唾液の橋も切れて、ぺたっと口元についた。


 わたしはバクバクと心臓が鳴ってるのに、白馬澪は変わらず無表情でチョコを咀嚼して、わたしの目を見つめていた。見つめ返しているが、何の会話も存在しない。さっきの行為が何なのかすら説明はせずに、チョコを味わっている(表情は変わらない)。食べ終わり飲み込んだ、白馬澪は言う。



「これがチョコを渡す欲求――甘い味」

 白馬澪は自分の唇についたほんの僅かなチョコを舌で小さく舐めとった。

「どうしてこんなこと」とわたし。

「同じこと言わせないで。私の欲求は『欲求』そのもの、だけど叶えてくれる人はいない。だってみんな心から私を好きじゃないから。与えてくれない。けど、あなたは違う。見ず知らずの人たちの欲求のために自分の身を投げ出した――あなたに一切のメリットがないのに。だから私の欲求のために動いて。直接――私に教えて。丁寧にひとつずつ」わたしの体を順番に触る「あなたの足で、手で――」口元についた唾液を指で拭られた「あるいは口でも。お願い」


 そして白馬澪は指についた唾液を自分の口に入れ、飲み込んだ。


「お願いって言われても……」



 チョコを貰うために後をつけてきたなんて今更言えない。みんなのチョコを捨てられるのは心苦しいのもあるけど、理由の半分以上はチョコが欲しかったから。


 不純な理由なのにこんなことになるなんて。変な欲ださなきゃよかった。水で色濃くなったコンクリートの床を見ながら、なんて言おうか考えた。


 水分を含んだスカートがコンクリートに落ちて、豆腐を落としたみたいな音が響いた。顔を上げると、白馬澪は立ち上がっていて、スカートを脱いでシャツのボタンをも外し始めていた。



「な、なにして――澪先輩!」

「だって、答えてくれないから」

「だからって脱ぐのはおかしいですよ。何考えて――」

「あなたの顔から不純な動機が見えた。こういうことしたいんじゃないの? いくらでもしてあげるから、私に欲求を教えて」



 淡々と言いながら動作を止めることなく、シャツの最後のボタンを外してコンクリートに落とした。さすがにこれで止まるかと思ったら、自重なんてせず下着までに手を伸ばした。



「澪先輩それ以上はダメ! 待って!」


 緊急停止ボタンでも押したように止まった。人の話は最低限聞いてくれて少し安心した。膝を曲げ、くしゃっと濡れたシャツを手に取って白馬澪は言う。


「シャツあった方がよかった? ごめんなさい、気が回らなくて」

「そういう意味じゃなくて――」



 言葉は通じても話が通じない。なんで、こんなことに付き合わされなきゃいけない。白馬澪の『欲求』のために、わたしなんかが答えないといけないの……でも、白馬澪はずっとみんなの欲求に答えていた。


 彼女の他者に関心のない冷たさを都合よく利用していた。わたしも白馬澪からはこんなふうに見えてたのかな。もしそうなら気持ち悪すぎる。欲求丸出しの最低な人間。誰にだって欲求はある、でもそれを相手に押し付けていいわけない――。わたしは立ち上がって、白馬澪の肩に手を当てた(少し濡れてる)。



「わたし手伝います。澪先輩に欲求を与えます。だから……」

「だから?」

「嫌なことは嫌だって言ってください。それが欲求を得るための一つだと思いますから――なので、服着てください」わたしは顔をそらした。


 白馬澪は言う。氷のように冷たく冷静に。


「私、全然嫌じゃない。このままやっても――」

「わたしはやりたくないです!」熱く返した。

「そう。あなたは嫌だったんだ」

「別に嫌じゃありませんけど……」

「私に欲求を与えてくれるんだもの、あなたの欲求も叶えてあげる。じゃないと不公平」



 彼女はそう言って体を近づけてくる。肩に手を当ててたおかげでなんとか食い止めているが、いつかは突破されてしまう。首を左右に振って、わたしは言った。



「えっと、だったら……簡単で危なくないこと――あっ、褒めてくれれば嬉しいので、褒めてください」

「褒める?」



 こくこくと頷いた。これならこれ以上の行動はない。前のめりになっていた白馬澪も止まった。わたしは、ふう、とひと息ついた。褒められたいのは間違いなく欲求にあるから問題はないはずだ。

 なんの前触れもなく、すっと手を伸ばして、わたしの頭の左右を両手で触れ始めた。何をするのかと思ったら、カチューシャを触っていた。



「これは、なんですか?」とわたしは言った。純粋な疑問だった。

「カチューシャをつけた、いなたい諏訪燎子さん――かわいい」

「そ、そうですか……」



 『かわいい』と思う感情はあるのか……さすがにあるか。でも、いなたいは褒めてるのか、遠回しにダサいと言われてる気が――。急にだった、そのままぐっと頭を持たれて上を向かされると、白馬澪はキスを仕掛けてきた。


 でも、さっきみたいな無理やりじゃない、優しいキス。相手のことを考えた――呼吸を合わせた――チョコみたいな甘いキス。そっと頭も撫でてくれた。いまは氷のように冷たいとは、思えなかった。暖かい息がわたしの肌を這って、彼女の薄氷な肌は熱を帯びていて溶けてしまいそう。


 直接――触れ合うことで、白馬澪がただの冷徹な人間ではないことがじっくり伝わってきた。心が氷で覆われているだけで、氷の内側は鼓動してるんだ。それがいまわたしにも聞こえる、ぴたっと合わせた体から血流に乗って、肌を越えて、聞こえてくる。彼女の鼓動がドクン、ドクン、と。


 時間なんかわからなかった。一分ぐらいしたとも思えるし、一秒にすら感じた。甘いキスも引いていった。白馬澪は変わらずに、凍った表情で見つめていた。わたしは言う。



「聞こえた……澪先輩の欲求が聞こえた。澪先輩の凍った心を溶かして、欲求を表に出す――で、いいんですよね」

「うん。お願い、諏訪燎子さん」



 無表情でいる白馬澪だったが、なんだか僅かばかりに光の角度のせいか、口元の影が伸びあがるように見えて――微笑んでるみたいに見えた。



 ◇◇◇



 全部あげるって言われたから、チョコが入った袋をわたしは引きずりながら歩いている(百個は越えている)。隣を歩く白馬澪に、なぜ褒めてくださいって言ったのにキスしたのか尋ねた。



「褒めて欲しいって言ったから。キスがあったほうがいいと思って。ダメだった?」と白馬澪は言った。

「ダメとかじゃないですけど……。キスってもっとこう、特別な時こそ! そういう時にした方が……」

「例えば?」

「いつもと違う感じだったりとか、普段とは異なる状況だったり――」

「諏訪燎子さん、こっち見て」



 なんですか、正面向きながら歩いていたわたしは、彼女の方を振り向いた。


 顔を動かし終わった後にはもう遅かった、白馬澪との顔の距離は五センチにも満たなかった。手を叩いて音を出すぐらいの早さで、唇を合わされて、実際に唇を合わせた時の音と共に顔を引っ込めた。少し恐ろしさを感じつつわたしは言った。



「特別な時って言ったじゃないですか――」

「普段あなたは隣にいないから、これは特別なんじゃないの?」

「そ、そういうことじゃなくて――澪先輩……もしかしてわざとやってます?」


 白馬澪はわたしに向けていた視線をそらして、足先が向いてる正面を見た(表情は相変わらず)。


「やっぱり、わざとですよね。澪先輩――ちょっと、澪先輩! 聞こえてますよね!」



 氷の王子様は、思ったほど冷たい人ではなかった――らしい。

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