【17枚目】一番忘れたくないと願った事。
医務室には待機してくださっていた王宮魔術師と、いつも保健室に在中している校医の先生がいた。
「すごーい、僕、魅了魔法なんて特殊な魔法に関われるなんて思ってませんでしたっ!!」
そう言って魔術師の方は興奮している。
「バッチリ発動していた証拠を収めたからね。魔力の一部がこの魔道具の中に封じ込められている。
これでやっとミラ・エマーズを退学にできる。」
ルーク様は機嫌が良さそうだ。
「うん、うん、一部の記憶が消えている以外はパディントン公爵令息の体調に問題はありませんね。
洗脳まで至らなかったみたいですし。」
そう言って校医の先生は満足そうに頷いている。
私は複雑な気持ちでハリス様を見る。
多くの人の婚約を駄目にしたミラ・エマーズが退学になったのは喜ばしいことかもしれない。
…けれど、ハリス様は私のことを忘れてしまった。
ジッと見ていると目が合った。
けれど、いつものように口角を上げることはない。
バンっと扉が開いた。
「お兄様っ!!!」
午前の実習授業が長引いてしまって一緒に成り行きを見守れなかったエリザベス様が焦った様子で医務室に入ってきた。
「リズ…。大丈夫だ。洗脳はされていない。」
そう言ってハリス様は彼女の背中をポンポン、と優しく叩いた。
「よ、良かったです…。」
そう言って、エリザベス様はボロボロと泣き出す。
「ただ、トラボルタ嬢の記憶がどうやらなくなってしまったようなんだ。」
ルーク様がそう言って眉を下げると、エリザベス様の動きがピタッと止まった。
「…え、え、え?!
ルチア様のことを…?!そ、そんな。それ、本当ですの?」
エリザベス様が驚愕の表情を浮かべる。
モニカとユリアちゃんは痛ましそうな顔で私を見ている。
「…どうやら、魅了を弾き返すことの代償として『一番忘れたくないと強く願ったこと』を忘れてしまったようですね。」
そう言って、王宮魔術師の方は気の毒そうに私の方を見た。
「…私と彼女が恋人だったというのは本当か…?」
ハリス様が戸惑った表情でエリザベス様に聞くのを見て胸がチクンと痛む。
「え、ええ。そうですわ。そもそもお兄様が囮を引き受けたのは、ルチア様と婚約を結べるようにルーク様に取り計らって貰うためだったのですけれど。」
それを聞いて、ハリス様が困惑の表情を浮かべる。
「…私が恋をするなんて信じられない。」
がちょーーーーーーーーーん。
こ、恋心そのものを否定してきましたよ、ハリス様!!
私の心のヒットポイントはどんどん削られて今や瀕死でござる…。
漫画のテンプレだとこういう時、ヒロインが『ひどいっ!私の事わからないの?!』とか言って、ヒーローに拒否られるんだよね。
だから、僕は、いいましぇん。絶対に言わないぞっ。
私は、顔を伏せてから思いっきり変顔を作る。
グニュッ。
秘技っ!タラコ星人再びである。
「…どうしたんだ?彼女は。」
それを見て、ハリス様は困惑の表情を浮かべている。
「…とりあえず、ハリス様を笑わそうと思って。」
私がそう答えると、全員に残念な目で見られた。
◇◇
それから1週間。
ミラ・エマーズ男爵令嬢は退学になった。
『どおしてー?!私っ、ヒロインなのにっ!』と最後まで暴れていたらしい。
(私、気づかなかったけれど、もしかしてこの世界って乙女ゲームか何かだったの?!)
でも、そうだとしたら、ヒロインがパンチラ出しまくるのもどうなんだろうか。しかも、能力が『ラッキー⭐︎スケベ』って…。
カール様をはじめ、彼女に惚れ込んでいた令息達ははじめのうちは反発していた。
が、薬を飲まされて自宅謹慎させられてるうちに魅了が切れてきておとなしくなってきているらしい。
魅了にかかっていたのがわかり、彼らには情状酌量の余地が出た。しかし、相手に心のシコリを残してしまったのは確かである。
今後彼らが元の婚約者と再び上手くいくかはわからない。
ちなみに、モニカとユリアちゃんはルーク様にお勧めの令息を紹介して貰えることになった。
2人ともガッツポーズをして『逆に良かった!』と喜んでいる。縁談の日に向けて自分磨きに余念がない。
カール様はこの事件が元で王位継承権を剥奪され、次の王太子はルーク様に変わった。
そして、ルーク様の元々の婚約者だった隣国の姫は、10日程前に突然性格が豹変していたらしい。
「オラ!アイドルになるっ!この超めんこい顔ならセンター取るのも夢じゃねぇっ!
今日から総選挙で神ファイブに入る為に頑張って修行の旅に出るだっ!
止めねぇでけれっ!」
と言って、三日程前に家出してしまった為、婚約が白紙になる予定だそうだ。
(え…。姫、絶対日本人でしょ。しかもどこの田舎出身…。)
さすがにアホな私もツッコむしかなかった。
その為、ルーク様はエリザベス様と婚約を結び直す為に動いているそうだ。
ジローは発情期に入り、色んな木の付け根にマーキングして歩いている。
…とりあえず、みんなが前を向いて歩き出そうとしている。
―けれど、ハリス様はまだ私のことを思い出していない。
◇◇
今日も私は、学園の50m程前で馬車を降ろしてもらった。
「お嬢様…今日もやるのですか?」
アンは心配した顔をしている。いつも怒っているけれど、ハリス様に忘れられてしまった私に最近優しい。
「うん。頑張る。なんか、これをやっていたらハリス様が私を思い出してくれる気がしてて。」
そう言って私は食パンを口にセットした。
「やーん!!遅刻遅刻ぅー!!!」
今日も曲がり角に向かってダッシュする!
今日で食パンダッシュも72日目である。
(100日目までにハリス様、思い出してくれるといいな…。)
けれど、今日も誰も馬車を停車して私に話しかけてくることはない。
「…えへへ。本当、私ってアホだなぁ。」
思わず涙が溢れそうになって、1人でそう呟きながら、空を見上げる。
(最初は、あの角まで走ってイケメンとぶつかればいいな…。なんて思っていたけれど。)
私にだけ見せてくれるフワッとした笑顔。
照れたら真っ赤になる耳。
エスコートしてもらった時、少し汗ばんでいた大きくて温かい手。
キスした時に触れた唇。
私を見つめる蕩けるような優しい目。
「…たとえイケメンでもハリス様以外の人なんて、もう考えられないのに…。」
トボトボと歩いていると、ドンっと誰かにぶつかった。
「?!」
そこにいたのはハリス様だった。




