18願い
「ねぇねぇ、あんた、ほんと館主人と何してるの?」
「しかも夜って……クスクス。良いことしてるのかい?」
「…………。」
どうしよう。輩に囲まれた。無視したいけどできない。
最近、偽善が大人しいのでそれを見据えた輩が襲いに来た。
「ねぇ、聞いてる?耳ついてるよね?」
「痛っ。」
「あははっ、やめなよ。痛がってるじゃん。」
踵が浮く。どうすればいいの。執事、どこにいるの。
「結構しぶといね。」
「なら、こうすれば良いんじゃない。」
ゴンっ
頭に衝撃。意識がとぶ。が、すぐに戻った。
逃げたい。
「あいつこんな奴が良いの?何もできない弱い奴なのに。」
「あいつって仕事ができる奴?あたしあいつ嫌い。何考えてるか分からないし、距離がなんか遠い?って言うか。」
執事のことを悪く言うな。
「お前らに、何が分かるんだ。」
「あ、喋った。」
ぐいっと顔を近づけられる。
「喋れるんだったら、答えてよ。それぐらいあんたならできるでしょ。」
「…………。」
「……そっか。言えないんだ。」
ゴン
痛い。やめて。
何度も殴られる。日頃の鬱憤を偽善へ向けて晴らす。それしか方法を知らないのだ。
「何をされているのですか。」
「「ひっ。」」
執事だ。視界が霞んで見える。
「もうどっか行 き ま し ょ」
「そうね、どっか行 き ま し ょ」
輩はどんどん液状化していく。その間を執事が偽善に歩み寄る。いつもと違う圧のある歩き方だ。きっと怒りに満ちているに違いない。
「……っ、し、執事、」
「ごめんなさい。」
ぎゅう
抱きしめられる。力が少し強くて痛いな。
「ごめん、ごめんなさい。貴方がこんな事になっているとは。私があんな……敬語を使えなんて言ったから……。」
「……いい。俺はお前のおかげで考え方が、変わったから、前より幸せだから、」
声を絞る。頭がまだズーンと痛い。
「偽善、」
目が合う。今にも泣き出しそうな顔で。
「今っ、今出ましょう。」
――――――――――――――
「荷物、あまり多く持ちすぎないように。あっちで色々と買いますから。」
「あ、ちょっと待って。」
「……分かりました。」
本当は急がなくてはならない。けど急かさないで、偽善のペースに合わせよう。きっとその方が幸せだから。
「怪我、大丈夫ですか。」
「うん。まだ少し痛いけど。」
偽善は頭の包帯を触りながら話す。
執事の眼が覚悟だ。
「では、行きましょう。」
――――――――――――――
「偽善、これから先はこの布を私と被るのです。これならあいつらに見つかりません。しかし、静かに。」
しーっと口元に指を当てる。
「あぁ。」
声が震える。もし見つかったらどうなるのだろう。このまま死ぬのかな。
「入りまーす。」
「えぇっと、次はっと。」
本当にあちらから見えてないようだ。
「……!」
偽善の顔が強張る。後戻りしたいような、後悔するんじゃないかというような顔だ。
「偽善さん、どこ行っちゃったんだろ。」
子だ。心配の眼差しで窓を見ている。最後くらいは、笑顔の記憶で別れをしたかった。
「…………。」
横を通り過ぎる。
――――――――――――――
無事、門の前までたどり着いた。
「偽善、私を信じて。」
「……ぇ、」
執事はそのまま門へと歩む。閉まっているのに。怖いけど、ぎゅっと目をつぶりたくなるけど、偽善は執事を信じる事にした。
霧が晴れていく。
二人は外へ出た。
ガタンガタン
汽車の中で二人並んで座る。
「な、なぁ。これからどうするの。」
「……。分かりません。」
「ぇ。」
目を丸くする。執事の事だから計画を練っているのかと思っていた。俺にとっての君は完璧だから。
「……そう。」
下を向く。直ぐにこちらを向いた。
「なぁ、急に俺たちがいなくなったら探しに来るんじゃないか。」
「それなら一日程ご心配無く。私の魔法で貴方と私を作りましたから。それが働いてくれます。」
執事はこちらを向かない。いつも合う目が合わない。車窓の外をずっと見ている。
「そうなんだ……。一日過ぎたら、」
これ以上言っても結果は分かりきっている。
「はい。一日過ぎたら、魔法はなくなりますね。しかし、あんな所で死ぬより、」
ようやくこちらを向いた。黄昏時。君の笑顔が眩しい。
「貴方と外で、知らない所で死んだ方がいいでしょう?」
こんな状況でも笑顔なんて。その笑顔に救われる。
「うん。」
「あのー、」
低い声の方へ振り向く。
車掌だ。
「切符を。」
きっぷ。ない。あるはずが無い。
偽善が戸惑っていると、執事は袂から切符を二枚取り出した。
「これでいいですか。」
「はい。」
パチ、パチ
「それでは、良い旅を。」
帽子で挨拶し、去って行った。
「どこから……、」
「ふふっ、館から盗みました。普段真面目な奴が、悪いことをしても疑われないでしょう?」
にこっと目を細めて笑う。
――――――――――――――
「…………。」
偽善が不安げな顔をしている。大丈夫。大丈夫ですよ。きっと報われますから。
「偽善、笑顔ですよ。」
人差し指と人差し指を頬にあてにっと笑う。
「大丈夫です。どうにかなります。貴方と私なら生きていけますから。」
「……うん、うん。そうだよな。」
偽善の眼にきらりと星が降る。
ガタンガタン
車内に響く。
「偽善、」
貴方の名前を呼ぶ。貴方だけのものを。
「何。」
「私は、私はね。いつも自分を偽っていたんです。」
偽善は執事の顔を見る。その顔は冷静で地獄をただ冷淡に覗く者のようだった。
「生まれた時から善を集め、真面目として生きてきました。毎日々々相手の顔を伺って、相手が笑ったら、安心して、そこには慘めな自分がいて。」
日常が思い出す。相手の顔と一緒に。
「しかし、ある日貴方と会ったんです。偽善。」
名前を言われる。その時すらこちらを見ない。
「貴方は私と違いました。正反対です。そんな貴方に私は惹かれていきました。私は貴方のように自分の意見を言いたかった。私は貴方のように生きたかった。」
執事は瞬きをする。沈みかける夕陽を見ながら。
「貴方が泣いた日。私はどうすれば良いか分かりませんでした。大切な貴方を私は大切にしたかった。しかし私はいつも慘めな行いをしていたから、」
目に涙が溜まる。夕陽に反射し宝石を作っていた。
「偽善の言う事に、僕はずっとどう返事すれば良いかなんて分からなかった。ごめんなさい。」
潤んだ目が合う。
「馬鹿は僕なんだ。」
「……そんな事ない。」
君の頬に触る。今にも崩れ落ちそうな涙を拭って。
「俺は、俺は、執事と出会って幸せなんだ。」
君を眺める。
「他の奴らと違う。あいつらは俺を下に見た。けど執事はむしろ俺を褒めてくれた。だから、だからね、」
君がしたように優しく見つめる。
「ありがとう。」
光が偽善を包む。春よりも暖かく。
「ありがとうだけでなんて、済ませて良いか分からない。けど、ずっと側に居たい。」
「……うん。そうだね。ずっと隣に。」
もう終盤です