《イヅグミ》3
「ヨハン・セック……」
「――〝灰燼ヨハン〟。自傷効果のあるカードばかりを好んで使い、常にギリギリのバトルをすることからそう呼ばれるようになった〝六象徴ホルダー〟。そうでしたわよね」
試着室から出てきたアリスタが見せる表情は、戦う者のそれである。
EFと距離を置いていたエドは知らなかったが、彼は著名なマスターのひとりだった。
「そのような方が何故、イヅグミが一つ目になるマスターとのバトルを担当していますの?」
「あぁ、幼馴染ちゃんの方は知っていたのかい。残念、楽しみがひとつ減ったよ」
ヨハンはそう言って、口で言うほど残念でもなさそうな微笑を浮かべる。
「なに、大した理由じゃないさ。元々愛用していたノキア――【破戒の断ち手】の使用期限が来た途端、真面目にやる気がなくなったってだけ。とはいえ、生きていくには働かないとね。暇を持て余していたら声を掛けられて二つ返事で頷いた、というわけさ」
「フフ、素直じゃないのね。そのグラサン、こんなこと言っているけどね、前任者の不必要な弱い者いじめが見るに堪えなかったから受けたらしいのよ」
と、先ほどまで衣服に夢中だった艶めかしい女性――修道服を着こなす彼女が補足する。
「おいおい。バラすなよ、フェーゼ。まるでオレが、いい人みたいじゃないか」
「別に普段はそうじゃないの。そしてワタシは都合のいい女。やぁね、全く」
アリスタが言ったように、世界で七つあるフロンティアを回る順番は固定されていない。
故に名のある実力者が一つ目を担当していることは、特例中の特例だった。
(基本的に各フロンティアで一つ目を担当するシンボル・ホルダーは、対戦相手がある程度の実力を備えたマスターだと分かれば、わざと負けるのも仕事のうちと聞くが……)
そういった理由からマスターの社会的なステータスとして、確かな価値が生まれてくるのは二つ目のシンボルからだと言われている。
この慣習を当然、エドは好意的に捉えることができなかった。
しかし、適した実力のマスターを選ぶ難しさは言葉にする以上に困難という理解もある。
それでも、エドはヨハンに問い掛ける。
「もし……俺があなたとバトルすることになって、それなりならやっぱり手を抜きますか?」
「ハハ、どうだろう」
はぐらかすように彼は笑った。
無理もない話だろう。
彼はエドの実力を知らないのだから、思い上がった子供が己は自分と対等だ――そう勘違いしているようにしか、黒いレンズに映るはずもない。
だが真剣さを感じ取ってか、フェーゼと呼ばれたエンボディはわずかな不満を露わにする。
「ヨーハーン」
「分かってる分かってる、オレだって意地悪したいわけじゃないさ。でも、まぁ結局――」
それは、
「全部、君次第だろ」
ヨハンが放つその言葉に笑みはなかった。
*
午後十八時二十八分。フィールドに浮かぶ多くの観客席から歓声が沸き起こる。
それは、今まさにシンボル・ホルダーが敗れた瞬間だからだ。
「す、すごい歓声……」
「ですねー! なんかホルダーの人も有名みたいでしたし。まぁ、負けちゃいましたけど」
イヴリンとマルチカは、温度差を感じながらもその盛況さに圧倒されていた。
だが、対照的に彼女たちのマスターは押し黙り、形容しがたい表情を作る。
「…………」
「エド様? 何かご不満でもあるのでしょうか」
傍に控え、バトルの中盤から気付いていたアルマが聞く。
するとエドは言葉を選びつつ、ゆっくりと続けた。
「不満……そうだな、不満かもな。わざと勝ち切れるポイントを見逃して、ほぼ時間いっぱい戦闘を長引かせて程よく盛り上げ、負ける……そんなのを見せられれば、不満にもなる」
「同意しますわね。まぁ、今この観客席にいる方たちのうちどれだけ、勝敗が着くはずだったポイントを見抜けていたかは分かりませんけれど……」
この盛り上がり方からして、何も気づいていないだろう。
すでに自身の中で、そう結論を出していたアリスタの理解は概ね正しかった。
(一つ目のシンボル・ホルダー戦は、今はすでに実力どうこう以前に一種の検定試験のようなもの。ですからこれほど盛り上がるのはどこかおかしい)
観客全員がヨハンのファンとも考えづらい以上、何かが健全ではない。
そう思い、アリスタは周囲に疑い深く目を向ける。
「この空気感。勝っても負けても道化だよ」
「……道化でございますか」
「一つ目のホルダー戦の場合、ホルダー側のデッキは固定かつ公開される。それは同時に挑戦する側のデッキ構築能力も試してるってことだ」
「それですと皆様、似たようなデッキをお使いになられるのではありませんか?」
アルマがもっともな疑問を言葉にする。
「まぁ、型にハマって楽をしたいヤツのもいれば、そうじゃないのもいるだろうな。とにかくまずデッキを見られ、操縦技術を観察され、カードの使い方を評価された後。合格なら相手に勝ちを譲られて、不合格なら容赦なく負けさせられる。なんだ、ここは学校か?」
「…………っ!」
(……あぁ、そういうことですの)
エドの怒気を含んだ言葉を受けて、アリスタは理解した。
そうして程なく。次の挑戦者とのバトルが開始され――終わり、確信する。
健闘を称え、歪な弧を描く口元の意味を。
送る盛大な拍手に隠された、せせら笑う声の意味を。
(ここにいる多くは……〝お前はダメだと突き付けられる瞬間〟を見に来ているのですわね)
恐らく前任者の〝弱い者いじめ〟が育んだ歪な空間なのだろう、と彼女は推察した。
「――結局、二戦目は引っ張った挙句ヨハンさんの勝ち、か。妥当だったな」
「えぇ。相手の彼女、スキルの効果に頼りきりで肝心の操縦技術はいまいちでしたわね」
午後十八時五十分を過ぎ、エドたちはフィールドから現実へと帰還する。
その後で予定通り〝スク水ハゲちゃん〟が待つ六番フィールドに足を向けた。
「ま、今は目の前のことだな。サブホルダー戦はロストがないし、イヴと出ようと思――……あっ、いや。別にロスト有りはアル優先とかそういうわけじゃないぞ」
そう聞こえてもおかしくはないと思い、すぐに訂正する。
「はい、心配なさらずとも平気です。それにエド様は負けない、そうでございましょう?」
「ありがとう」
少し照れ臭くなって頬をかくと、アリスタが口を挟んだ。
「そうは言いますけれど、レンタル戦で割とわたくしに負けていますわよね」
「練習はノーカウントなんだよ!」
そんな和気あいあいとした気楽な空気で、彼らはフロンティア内を歩いていく。
だがこの時、エドは大きな見落としをしていた。
他者から評価されることを最も恐れているのは誰なのか、ということを。
不要の烙印を押され続けたカードを使うことは、周囲の目にどう映るのかということを。
バトル直前。使用カードをFR経由で決定したのち、エンカウントが始まる。
「――よし。行くぞ、イヴ。練習通り、落ち着いてな」
「…………」
「イヴ?」
「えっ、あっ、は、はいっ。だ、だいじょうぶ、です……」
大丈夫じゃない、と。彼女の顔には、はっきりとそう書いてあった。
しかし、今さら気が付いてももう遅い。
転送後のカード変更は受け付けていないからだ。
どれだけ焦りや不安に包まれていようとも、このまま進むしか道はないのである。
そして――――
「イヴ……」
「ぐすっ……ごめん、なさいマスター。ごめんなさい……ごめん、なさい……」
「いや、俺のミスだ……ごめんな。たぶん、こういう場所が久しぶりで浮かれてた」
多くの〝目〟に晒された《イーヴェルガ》は、以前のように一歩も動けなかった。




