《再始動》2
ロロアの町外れ。比較的人通りの少ない場所にぽつんとエドの家はある。
今そこで暮らしているのは彼だけで、両親はすでにどちらもいない。
「~~♪」
窓から差し込む月明かりを浴び、シャワーの温水で一日の疲れを洗い流すのはアリスタだ。
彼女はタオルでさっと身体を拭いた後。布一枚だけを巻いてリビングへ向かう。
キッチンではエドがビーフシチューを煮込んでおり、テーブルの上には彼女が風呂上がりに欠かさず飲んでいるミックスミルクがしっかり用意されていた。
「ぷへぇ~、生き返りますわね」
さながら居酒屋のオヤジのように豪快な一気飲みだった。
頭から立ち昇る湯気も合わさって、お嬢様らしいの上品さは欠片も感じられない。
「毎回言ってるが。とっとと服を着ろ、アリスタ。みっともない」
「あら。見たければどうぞご自由に?」
「はいはい」
悪戯っぽく身体を見せびらかしたが、返ってきたのは心底どうでもよさそうな言葉だけ。
エドの色あせた無関心さは、体型に自信を持つアリスタを少しばかりムッとさせる。
「ところでシェフ、メシはまだですの? 早くしてくださらない?」
「そのまま外に放り出すぞ。てめぇ」
やはりそれも彼らにとっていつものやり取りだった。
程なく夕食の支度が終わり、ふたりは向かい合って席に着く。
「いただきます」
「ですわ~」
待ってましたとばかりに、ひと口大でカットされた牛肉と濃厚なルゥを口に運ぶアリスタ。
「ん~。作らせて食うタダメシ、最っ高ですの~♪」
「二度と作らねぇ」
「聞き飽きましたのよ~。おーっ、ほっほっほ!」
圧倒的なドヤ顔と高笑いだった。
常日頃からまるでお嬢様のように振舞っている彼女だが、特別裕福な生まれというわけではない。
ただそういう趣味なだけである。
一方で。何だかんだと作る自覚があるエドは、無言でスプーンを握り締めていた。
「はぁ。で、今日も泊ってくのか?」
「もちろん、そのつもりですわ」
「……そうか。ま、部屋は余ってるしな」
タンスの上で少し埃を被った一枚の写真を横目に見て、エドは自虐する。
写真には二つの家族が映っていた。
内気で陰気という形容が似合う少女と無邪気で底抜けに明るい少年。傍に立つ両親。
どこにでもある幸せなひと時を切り取ったものに過ぎない。
ただ一点、エドの父親の顔が黒く塗りつぶされていることに目をつむれば、だが。
「…………」
感情を押し殺してしまった幼馴染の横顔を悲しい、と。アリスタはそう思った。
*
「ぅ、う……」
寝苦しいはずもない真夜中。ひどくうなされているのはエドだ。
安眠とはかけ離れた睡眠はもしかすると今日に限って、隣の部屋から聞こえてくるいびきのせいかもしれないが、とにかくあの日から今日まで。十六歳の少年の悪夢は続いていた。
――それは、すぐに夢だと理解できる夢だった。
エドはいつものように目覚まし時計より少し早く身体を起こし、寝ぼけまなこを擦りながら二階から一階へ降りて。朝食を作っている母の背に「おはよう」と言う。
それがいつも通りの日常。
けれど、あの日だけは。いや、あの日から全てが変わってしまった。
「ふぁあ。あ、母さん。おは――……」
「おはよう、エド」
テーブルに座り、一枚の手紙を読んでいた母が声に反応して顔を上げる。
母の目元は赤く腫れて、まだ幼いエドにも何か起きたのだとすぐ理解できた。
こんな時に父は何をやっているのだろう。その答えを求めて彼は家じゅうを探し回った。
どこにも父の姿はなかった。
「父さんは?」
無神経な問いかけに母が何と答えたか、エドの記憶にはもう残っていない。
そうして、父――オリバ・ラヴィントンが去って二年が経った頃。母は病に伏した。
原因不明と医者は言葉を濁したものの、心労が原因だったのは間違いないだろう。
すっかり痩せこけた背中をタオルで拭いながら、エドはいつも唇を噛むしかなかった。
「ありがとうね、エド……」
優しげな微笑みを浮かべ、ベッドで無意識に涙を流す姿は。彼の瞳に今も焼き付いている。
「だ、大丈夫さっ! そ、そのうちひょっこり帰ってくるって!」
「……そうね。きっとそうよね」
エドは考えた。未成熟な脳みそが沸騰して爆発するんじゃないかというくらい、考えに考え抜いた結果、そんな言葉をかけることしかできない自分に絶望を覚えた。
必死に励ます息子の優しさは、母を力なく笑せるのがせいいっぱいだった。