《後ろ向きな前向きさ》
「こ、こう……です、か?」
「そんな緊張しないで、楽にやってくれていいからな」
翌日、日の日。朝食を済ませたリビング。
エドはこれから共に戦っていくことになるカードと向かい合い、立っていた。
イヴリンも舞踏会でダンスに誘われたかのように背筋を伸ばしている。
「……聞いた限りですと、あまり現実味を感じられない発想ですわね」
「はい、これにはマルチカさんも困惑ですよ!」
「やる前からそう言うなよ。なぁ、アル」
「はい。わたしではエド様の要求に応えることは叶いませんが、しかしだからと言ってイヴ様にもできない、という理屈にはならないと思えます」
そうそう、とエドはアルマの言葉に強く頷く。
一方のイヴリンは、何故か寄せられる期待に胃が締め付けられる思いだった。
「それにしたって――相手に背を向けたままバトルをする、なんて無茶にも程がありますわ」
アリスタの意見はこれ以上なく正論であった。
エドも実際に目にしていなければ、恐らく提案しなかっただろう。
「たしかにマルチカさんたちエンボディカードはバトル中、全裸で謎空間をふわふわ漂ってる感じなわけですけども。身体の向きと視線の方向が一致していた方が動きやすいって部分は、マスターたちと何も変わらないんですよ!」
「わざわざ後ろ向きで自転車に乗るようなもんだよな。まぁ、いいから見てろって」
エドは改めてイヴリンを見やる。
「俺が右に動くな、と思ったらイヴは左に。右足を出すと思ったら左足を後ろに。前に跳ぶと思ったら後ろに跳ぶ。やって欲しいこと、分かるか?」
「は、はい……だいじょうぶ、です」
「よし。じゃあやるぞ」
「が、頑張りま、すっ」
まるで飼い主について回る子犬のように、たどたどしい動きだった。
傍から見れば遊んでいるか、いちゃついているとしか思えない、そういう動き。
当然、アリスタにとってもその認識は同様である。
「いいぞ、その調子。じゃあ、もう少し複雑に動くからな」
「は、はぃ……っ」
だが、十数分も経過する頃。見当違いの認識は瞬く間に消し飛んだ。
「…………っ」
同じく驚きを得たエドは右手の動きに合わせ、唐突にイヴリンの頭を撫で始める。
彼女も反射的に手を伸ばしかけるが、すぐに何かおかしいと察して顔を赤くした。
「えっ。ぇと、その……」
「やっぱり思った通りだ! あとはバトルでも同じようにできれば戦える……っ!」
「はい、本当に。わたしもやってみてはいましたが、途中からついていけませんでした」
「ぁ、あり、がと、ございます……」
真正面からの誉め言葉にどうしていいか分からず、イヴリンはただ目を逸らす。
「……ムンド、あなたはどう思われます」
そんな彼女について、アリスタが背後のロザムンドに声をひそめて問いかけた。
「特筆すべきは荷重移動に対する瞬発力と判断力の高さで御座ろう。元より備えていたものかどうかは不明で御座るが、そうでないならば暴力から身を守る過程で身に付いた術。バトルに適応し、恐怖が消え去ったその時――彼女は、本当の意味で〝化ける〟で御座ろうよ」
「……えぇ、わたくしも同意見ですわ」
「つーわけで、早速ショップ行って試すぞ!」
エドが言い、彼らは期待に満ち溢れた表情でアンドロシスへと向かった。
前日のようにデッキをレンタルし、アリスタとのバトルを開始する。
――――そして。その結果は、
「……普通にこなせていますわね」
「ですねー!」
相対する彼女たちの視線の先には、自由に大地を駆ける《イーヴェルガ》の姿があった。
最早〝まともに戦えない〟エンボディは、見る影もないほどに劇的な変貌ぶりだ。
(なら、バトルスピードはどうですの?)
無機質な剣――【マシンブレード】を構え、《マルレリギア》が接近戦を仕掛ける。
《イーヴェルガ》も武骨な双剣――【ツインブレイド】で、不意討ちを難なく往なした。
一度だけでなく二度三度と火花が散り、踏み込んだ大地も荒々しく抉られていく。
それは文字通り、対等なエンボディ同士が繰り広げる格闘戦であった。
(やる、想像以上ですわね……っ!)
しかし彼女の想像は、またしてもすぐに裏切られることとなる。
「……ッ、まだ速くなりますのッ!?」
「下に見てたつもりはないんですが、マルチカさんより動き良くないです?」
「否定できませんわね!」
「ですよねー!」
慣れてきた、と言わんばかりの変化を目の当たりにし、アリスタの額に汗が浮かぶ。
とはいえ単純なバトルの勝敗としては稀に発生するミスが積み重なり、致命的な隙となったエドたちの敗北に終わった。
だとしても、初戦とは比べものにならない大躍進だろう。
勝利した《マルレリギア》の耐久もわずか二桁と辛勝だったのだから、なおさらだ。
再戦の有無をディスプレイに表示させたまま、アリスタは思案する。
(《イーヴェルガ》の機動性が特別優れているわけではありませんの。普通ですわ……そう、普通。驚く価値はない。彼女が今、後ろ向きの姿勢で対応していると知りさえしなければ)
ゆっくりと息を吸い、
(言わば、短距離走の自己ベストにバック走で迫りかけているようなもの。恐らくは潜在的なマシンスペックならNの中でも最上位の可能性すらあり得るでしょう……)
吐き出す。そうして、
「ご、ごめんなさい。マスター……バ、バトルだとまだ。う、上手く動けなくて……」
「何言ってんだ、イヴ! 見違えるレベルだ、すげぇよマジで!」
「そ、そんな、ことは……ないと、思いま、す……え、へへっ」
「――――っっ!」
バトル中もオープンだった回線から届いた言葉を受け、アリスタは戦慄した。
(前を向けるようになった時、一体どれほどの…………)
「じゃあ慣れるついでにファイトコイン集めだな。あっ、途中でアルとも交代するからな?」
結局エドはその後、筐体戦の周回だけで半日を費やすことになった。
だが前日までと違い、周回ペースは比較にならないものである。
そうして、お昼過ぎ。
空腹になったところで一旦やめ、FCガシャで爆死した後――
「ガシャさえ自分で引かなければ、とても充実したエンボディファイトでしたのに」
「う、うるさいなぁ。いいだろ、タダなんだし。あっ、で。そうそう」
思い出したように引いたばかりのカードを取り出し、続けた。
「アサイン、【デジタルカメラ・タイプ1】」
「カメラですの?」
「そういや昔はよく撮ったな、と思って。あ、昨日も撮っておけばよかったな……」
落胆する横顔に向け、無駄に得意げなお嬢様が「ふふん」と鼻を鳴らす。
「ご心配なく。ムンドが撮っていますから平気ですわよ」
「あの忍者、ほんと最低だな」
「――ふぅう。ひどいで御座るよ、エドルド殿」
「ひぃいっ!」
背後からの奇襲だった。
エドは条件反射で近くのアルマに抱き着く。
「まあ。ふふっ」
「……っ」
そんなふたりを見るイヴリンは、何か言いたそうな顔で少し落ち込んでいた。
「ところで戦える目途が立ちましたけれど、明日からの予定はどうしますの」
「し、七曜学校の話か? 午後はサボってイヅグミに行くぞ」
アルマから離れ、無意味な咳払いを挟みながらエドが答える。
「うちの学校、休学届を出すにしても〝シンボル〟一つが必要条件なわけだし」
「まぁ、そうなりますわよね」
――シンボル。
七種類あるそれは、エンボディファイトとは切っても切り離せない存在だ。
一定数の所持でエンボディカードの最大数を増加させられるのはもちろん、七つ全て集めることが、世界最高峰のEFトーナメント――〝境界戦〟参加の条件でもある。
つまり、シンボルを集めることは。父と世界一を目指す過程で避けては通れない道だった。




