《親睦》2
「……はぁ、なんかすげぇ疲れた」
すき焼きを食べ終え、さらにアリスタを家に突き返す労働もやり遂げた後。
エドはひとり、ベッドで仰向けになりながら深く息を吐き出した。
(結局、風呂出てからイヴと会話できてないの、何とかしねぇとな……入らなくてもいいのに入れられたのは、あわよくば見るためとか思われてたら最悪だし)
機能として存在しているだけで本来、エンボディカードは食事も睡眠も必要としない。
そのため、同じ人間のように扱うかはマスターの裁量に委ねられる場合が多かった。
(つーか、あんな不慮の事故で割れたら情けないにも限度がある……)
アンティと同様に〝マスターからカードへの性的な接触〟は規則で禁止されており、それを犯した場合、カードは即時破壊――割れてガシャへと戻っていく仕組みである。
一方で殴る蹴る等の暴力は見過ごす〝ルール〟に対し、エドも不信感を抱えてはいた。
「よ、っと」
枕もとのファイトリングを手に取り、身体を起こす。
起動し、中空に浮かび上がるのは手持ちエンボディカード二枚の詳細だ。
【結びの残影】:N(アルマ/アルムス)(サイズS/地)
機体名:アルゼクト AP:150 DP:500
〝きっと何者にもなれると、そう信じている〟
【願いの矛】:N(イヴリン/イヴレフ)(サイズS/地)
機体名:イーヴェルガ AP:300 DP:150
〝持たざる者、羨望のまなざし〟
(……エンボディは基本、AD値500刻みでランク内の優劣が大体わかると言われている。その基準で言えば、アルはNの〝中の下〟。イヴはAPよりDPが低い点がマイナスに働いて〝下の下〟……それが見かけ上の、世間一般的なカードの評価)
FRを操作し、エドは二枚に対する歴代マスターからの匿名コメントに目を通す。
【結びの残影】――女性バージョンのアルマは赤ちゃん言葉で埋め尽くされ、男性の方も母子家庭と思わしき人間からの、むせび泣くようなコメントが多く寄せられていた。
彼女ないし、彼はバトル以外において存在理由が認められていた。
少なくともその一点に限り、【願いの矛】より恵まれていると言わざるを得ないだろう。
「…………」
――『しね、またこいつかよ』『存在価値ある?』『ごみ』『記念に一発殴ってみたけど、すぐ泣いて最悪』『一生、願ってろカス』『貧乳。たぶん固かった』『なんか、30分くらい水に沈めても強制カード化しなくて笑った』『ストレス発散に最適』『負けた時だけ傍にいて欲しい』『まともに運用すると金が掛かる。欠点はその価値がないこと』――
「……本気でクソだな。こいつら」
エドを眉根にしわを寄せつつ、画面をカードの詳細に戻してため息をつく。
それから気分転換でアリスタの二枚も検索欄に名前を入力し、詳細を見てみることにした。
【桜妖蓮花】:N(マルチカ/マルチダ)(サイズM/地)
機体名:マルレリギア AP:650 DP:550
〝他の誰に笑われても、今が楽しければそれでいい〟
【冰謳雪華】:HN(ロザムンド/ロザムンデ)(サイズS/地)
機体名:ディオスローザ AP:1400 DP1100
〝降りしきる血の雪。傍で咲く華は、もういない〟
「げぇ。あの背後霊、HNかよ……」
「――背後霊とはひどい言い草で御座るよ」
「どぅ、おぉ、おっ!?」
やはり背後からの痺れる声だった。
すでにエドも半分諦めていたが、微かな美声だけがロザムンドの存在を主張する。
「心臓に悪いんだよ、普通に出てこい普通に!」
「各々で定義の異なる言葉を不用意に使うものでは御座らんよ、エドルド殿」
「姿も見せない男に説教されたくはないな!」
何か弱点はないのか、と。エドは【冰謳雪華】の匿名コメント欄を開いた。
――『ストーカー忍者』『顔と声がいいから許されてるだけの咎人』『この忍者しつこい』『両バージョン制覇。良いところ、声』『顔を無理やり見たらなんか勝手に割れた』――
「……お前、顔見られたら進んで割られに行く声だけいいストーカー忍者なの?」
「自分の素顔を知りたがる主殿の方がよほど問題で御座ろう」
「なんで? 恥ずかしいからか?」
「…………」
そう訊いた途端、すっぱり返事が途絶えた。
(恥ずかしいのか……)
しかし、腐ってもHNランクのエンボディ。性能は上から数えた方が早い。
例外は当然ながら存在するが、HNのAD値は2000を超えるのが基本であり、3000辺りを上限に強くなっていく。それがマスターの一般的な認識である。
「つーかそもそもの話、なんでまだうちにいんだよ。アリスタのとこに帰れよ」
「何を今更。主殿の言葉をお忘れで御座るかな」
「アリスタの、言葉……?」
忍者が鼻で笑い、エドに記憶の発掘作業を促した。
とはいえ、彼女が彼について言及した発言は限られる。該当するとすれば、
――一年くらいずっとアサインしっぱなしですわよ。
これくらいしかない、というのがエドの導き出した結論だった。
つまり、
「ま、まさか……お、お前っ!」
「然り。そろそろ同棲十一か月といったところで御座ろうなぁ」
「ふざけんなぁ――――っ!?」
*
(ね、寝れねぇ……)
エドは恐る恐る、限りない慎重さでゆっくりと目を開く。
視線の先。何か黒いもの――具体的には装束を着た誰かが、天井にへばりついていた。
(さ、散々、姿を見せなかったくせに寝るとこれかよ! ていうか、マジで一年くらいこんな環境で寝てたわけ? どういう神経してんだ、俺は……)
恐らくは素性が割れた以上、隠れている必要もなくなったのだろう。
そう結論してエドは諦め、大人しく目をつむることにした。
(もう、ツッコんだら負け。ツッコんだら負け……あんな構って忍者は無視だ、無視)
「――エドルド殿」
「~~~~~っッ!?」
ぞわりと耳元でささやく声がした。
思わず血の気が引いて、表情筋がこわばったのをエドは自覚させられる。
「先刻から少女が廊下を何度も往復しているので御座るが」
「少女? ……あぁ、イヴか」
少し寝ぼけた眼をこすり、ベッドから起き上がる。
ふと時計を見やれば、真夜中もいいところだった。
(こんな時間に訪ねてくるんだし、何か大事な用なんだろうな……)
そうして、ドアノブに触れた時。
ドアの向こうから聞こえる声があった。
「み、見られちゃったんだし……しょ、しょうがないよね。そ、それに……まっ、マスターも悪いひとじゃないし。あ、あたしなんかにも、優しいし……か、かっこいいし……き、きみを諦めないって……そ、それで。みんなが、欲しがるカードにするって。ふへへっ……」
(ん? あ、あれ? これ、俺は出ない方がいいんじゃ――……)
「睡眠の為、御免!」
「おま、ふざっ――」
音を殺した抵抗虚しく、キィ、と音を立ててドアが開いた。
視線が重なり、次の瞬間。これ以上ないほど朱に染まったイヴリンがまた目を回す。
「や、やあイヴ。こ、こんばんは……?」
「ま、マスター……き、聞いて。あ、ぁう、ぁ……で、でもっ、裸は好きな人か結婚する人にしか見せちゃ、いけない、ってママが言ってて! だから、えっとその……これは、だから。あ、あたしじゃなくてっ、ママが――――――……ママ?」
エドが一歩距離を詰める度、彼女もまた一歩後退する。
右を踏み出せば、左を。左を踏み出せば、右を。
完璧にそろった呼吸だった。
やがて繰り返すうちに階段まで辿り着き、そのまま――
「い、イヴ。ま、待て。これ以上は危……」
「ひいぃ、ぃ!」
足を踏み外したはずの彼女は、何事もなかったように後ろ向きで駆け下りていった。
「――――ッ!」
刹那。エドは直前のことなどさっぱり忘れ、とあることに思考の全てを割く。
次第に自身の口角が緩んでいく事実に気が付き、
そして――
「…………そうか、そういうことか。これだッ! これしかない!」
存在理由さえ疑われる今の彼女を、効果的に乗りこなす一つの可能性に行き着いた。




