《忘れられない熱》
「ったく……」
遠ざかる背に呆れつつ、ファイトリングが浮かび上がらせている表示に目を向ける。
そこには〝Get your loot〟とあり、エドは受け取りを選択。
瞬間、手元に一枚のカードが現れる。アンティルールで勝ち取ったカードだ。
「相変わらず口約束でもちゃんと機能しますのね」
「あぁ、怖いくらいだ」
アリスタが言うように、たとえ取り決めがリング登録前のものであっても遂行される。
彼らの知る限り、アンティルールこそがこの世で最も強い強制力を持つ法だった。
「アサイン――【願いの矛】」
途端。カードは眩い光を放ち、縮こまった黒猫のような少女が眼前に現界する。
当然ながら所有権が移った以上、彼女の記憶も全て初期化されていた。
「い、イヴリンですっ、あっ、あ、あの……は、初めま――……ひぃっ!?」
「イヴ」
言い切るより早くエドが両肩に手を置いたため、彼女は怯えた様子を見せる。
「エンボディは数字が全てなんかじゃない。だから自信を持て。それだけはどうか、ガシャに戻って忘れるのだとしても、どうにか覚えていてくれたら俺は嬉しい」
「え、あ……や、やっぱりあたし、捨てられる、んですね……」
一瞬だけ「あっ、今回は優しいマスターかも」と考えてほんの少しホッとするが、遠回しの優しい戦力外通告だと思い至って、イヴリンはどんどん落ち込んでいった。
「えっ。そ、そうじゃなくてだな? 俺、エンボディファイトはもう……」
「おほーっ、小さい女の子を泣かせるだなんて最低ですわ~」
「う、うるせぇなぁ。つか、おほーってなんだよ」
アリスタのそんなからかい交じりの声に慌てさせられる。
どちらかと言うとエドは、年下の相手をするのが苦手だった。
困った末、きっと理解してもらえるという考えのもと。彼はアルマを見る。しかし、
「尊重いたしますよ。ですがひとつだけ。バトル中、エド様はわたしとエンボディファイトを続ける未来について話しておられましたよ。無意識ではあったのでしょうけれども」
返ってきたのは、衝撃の事実と温かな微笑みだけであった。
「…………」
エドは一度、改めてショップのカウンターに目を向ける。
再びイヴリンを見やり、最後に装着したファイトリングに視線を落とす。
「本当にやめてしまうんですの?」
問いかける表情は先ほどの小ばかにするようなものと違い、いつになく真剣だった。
「あ、当たり前だ。そもそもやる理由が――……」
「なら、あれの説明を求めてもよろしいですわよね?」
アリスタがショップ内に設置された大型モニターを指さす。
そこには店内で行われたバトルのリプレイが流れており、常に誰かしらが見ているものだ。
映像の中で操縦桿を握り締める彼は、心の底からバトルを楽しんでいた。
どれだけ追い立てられるようとも笑みを絶やさず、だがそれでいて強く在った。
自分もああいう風に戦えたら、と。モニターを見つめる幼い子らの視線がひどく眩しい。
「いや……これは、だな。えっと、だから……」
「――誰よりも強くなりたい。昔そう言ったのは、嘘でしたの?」
「それ、は……」
ずっと前、まだ家族だった三人で出かけた時のことだった。
初めて誰かに〝それ〟を口にしたことを、エドが忘れたことは一度たりともない。
あの日。キャンプ場で偶然知り合った同年代の少女とバトルし、勝利した。
その喜びを家族で分かち合ったことをエドは覚えている。
「父さん、母さん! 俺、ぜったい世界一のマスターなるっ! 世界中のカードぜんぶ集めてそれでっ、皆と仲良くなって乗りこなしてみせるんだっ!」
「……エド、残念だがそれは無理な話だ」
「え……」
父のそんな真っ向からの否定に、エドも最初はがっかりさせられた。けれど、
「何故ならば、世界一になるのは父さんだからだっ!」
「!」
「ふふっ」
自信満々に腕を組む父が言い、それを微笑ましそうに見守る母がいた。
エドも父の言葉の意味を理解して、情熱に燃えた瞳で一人のライバルを見上げた。
「なら勝負だね、父さんにだって負けないよ俺は!」
「ハハハ、父さんも負けるつもりはないぞ!」
「……でもエドが父さんに勝ったこと、あったかしら?」
「か、母さん!」
その日からアリスタを含め、色々な人にそう宣言して回ったことをエドは覚えている。
誰よりも強く、誰よりも上へ、誰もよりも先へ。
自分自身に誓った言葉を彼の心は、身体は、今も確かに覚えている。
だからこの身体に宿る熱は、決して冷めてくれないのだろう、と。
エドも本当は理解していた。理解してしまった。
「…………」
そんな彼に対してアリスタは「ほら見なさい」という表情を作り、アルマもそれこそ母親のように優しいまなざしを向け、イヴリンだけがひとり状況を飲み込めずにいる。
家族をバラバラにしたかもしれないEFが嫌いだった。
そのはずだった。
なのに――
口から出た言葉は、彼自身ではもう止められないものだった。
「――い、一回だ……この先、何個〝シンボル〟を集めようが、目指す途中で誰かに一回でも負けたら絶対にやめてやるからな! 俺はっ!」
「はいはい、寝言は寝ておっしゃるべきですわ~」
「ぐっ……」
まるで見透かしたような対応にエドの羞恥が加速度的に増していく。
「ふふ、では改めて。これからよろしくお願いいたしますね、エド様」
「あぁ、くそ! ……はぁ。いや、こっちこそよろしくな、アル」
それからイヴリンにも改めて挨拶をしようとし、右手を少し動かせば――
「……っ!」
目をギュっとつむり、身体を震えさせながら怯えてしまった。
「わ、悪い。驚かすつもりはなかったんだ。改めてこれからよろしく、イヴ」
「え、あっ。あ……よ、よろしく……お願い、しま、す……」
言われ、差し出された手に気付くと、恐る恐る羽毛みたいな握手を交わす。
だがそれも一瞬のことで、彼女はすぐに手を離して申し訳なさそうにうつむいた。
(うーん……結構、深刻だな。機生経験の〝運命反映〟ってやつは)
数十年、数百年――あるいは、数千年分もの〝負け〟が刷り込まれてきたせいだろう。
少なくともカードの表に描かれた〝黒猫や友達と楽しそうに駆け回る少女〟からはあまりにかけ離れており、ほとんど別人のようになってしまっていることは確かであった。
「よし、アリスタ。今からロストなしのデッキレンタルで一戦どうだ? 俺はイヴを使う」
「……えっ」
「! お……おーっ、ほっほっほ! 望むところ、望むところですわ!」
これ以上ないほど、ひどいニヤけ面だった。
スキップで戦闘筐体に向かう幼馴染の背を追い、エドは思う。
(くそ親父もたぶん夢を諦めきれなかったんだよな、気持ちはわかるよ。でも俺は、あんたを許したいと思わねぇ。それにどうせこの道のずっと先をあんたは走ってるんだろ? だったら追いついてぶん殴りゃいい。そうだ、最初からそれだけでよかったんだッ!)
すると、上機嫌に身をひるがえしたアリスタがふと思い出したように言った。
「ところで。後からオギャり散らかしても知りませんわよ?」
「はっ、負けるたびに毎回ぐずってたのは、どこのお嬢様だよ」
「あら。一体、いつの話をしていますの? 強がりお坊ちゃま」
互いに不敵な笑みを浮かべて相対し、同時にファイトリングを構える。そして、
「「――エンカウンター!」」
彼らは未来へと続く光に包み込まれてゆく。




