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海と陸くん

 目を覚ました。どうやら授業中に居眠りしていたらしい。何の授業だっただろうか。僕は体を起こす。体を起こす?僕の体の節々は、固い床に骨を預けた記憶を痛みに宿していた。そうだ、僕は隕石に吹っ飛ばされたのだ。打ってしまったのか頭が一番痛い。

「……グワーンってするグワーンって」

と気丈に独りごちたとき、人影が僕に覆いかぶさった。

「寝起きで独り言って、お前、丈夫だなぁ」

 知っている声だった。うっさいよ、と言い返せなかった。息をのんだ。胸がつかれた。目が熱くなって僕は俯いた。

「……どちら様ですか?」

 げぇっとかいう阿保な声がした。きっと彼は眉間にしわを寄せて、でもケラケラ笑っているんだろう。なぜか彼の顔なんて見たくなかった。なんだこいつは。何笑ってんだ。

「なぁ、俺の事隕石から守ってくれたんだろ?クラスの奴が言ってたぜ」

「人違いじゃないですか?」

「何か月かお前としゃべった記憶ないんだけど、なんで?」

「側頭葉でもなくなったんじゃないですか?」

「なんでそんな冷たいの?」

「ついさっきまでの誰かさんと比べれば熱湯なんだけどなぁ」

「…なんか、あれだわ…。お前に毒づかれるの久しぶりな感じして…嬉しくなってきちゃった」

「はぁ!?気持ち悪っ!」

 見上げると、彼と目が合った。それは本当に久しぶりだった。彼の、底抜けに明るい眼がある。調子者で馬鹿でいつも油断していて腹立たしいこいつを、ようやく僕は取り返したのだ。何故か彼の顔がくしゃっとなった。

「おいおい、急に泣くなよぉ」

彼は笑う。

「泣いてない。くっつくな」

「ちょっと男子!べたべたする元気あるんならこっち手伝ってよ」

 僕は抱きつかれたまま周囲を見回した。隕石のことは鮮明に思い出していた。僕は教室の隅に安置されていたらしい。みんな一応無事で、ガラスの破片とかを片付けている。近くで雑談が聞こえた。

「それにしても桐山さんは大丈夫かな、今日休んでよかったね」

「ほんとにね。ドロシーは特別でなくっちゃ」

 僕は手伝いに行こうと立ち上がりかけた友人Dを掴んだ。彼は不思議そうにこちらを見下ろした。僕は今までのことを全部こいつに話さなければならなかった。



「急なことになったわねぇ」

 車内の助手席で母は言った。父は前を見ながらうなずく。信号が赤になって車は止まった。後部座席に僕と姉が座っている。皆黒い喪服を着て変な空気だった。ただ目的地までは遠く、朝が早かったために僕はうつらうつらした。車窓を見つめていた姉がこちらを睨んだ。

「弟さぁ、仲良かったんじゃないの?陸くんと」

「そうだけど」

 姉は溜息をついた。

「よく眠そうにできるわね」

 僕は欠伸をした。

「最後に会ったの三年前だし…姉は仲良くなかったけ」

 姉は舌をだして片眉をゆがませた。するとぷいっと首を回してまた車窓と睨めっこを始めた。

 憂鬱な車は美しい海街に入っていった。



「あらー、二人とも、昨日ぶりねぇ」

「お邪魔します」

「お邪魔しますよぉ」

 僕ら姉弟は叔母さんによってリビングに案内された。

車がこの街に入った日にお葬式は行われ、今日は死んだいとこの家に来た。なんでも、これから引っ越しの作業が入る予定だったらしく、彼の部屋の物を処分しなくてはいけない。すべて捨てるのも気が引けるらしく、何か大事そうなものを残そうとしてそれらしきものを探しているのだが、全部ガラクタにしか見えないという由々しき事態になっているという。

そんなかんやで、比較的彼とまともに話せた方である僕が、それらしいものがないか探してくれないか、と頼まれたのである。数年前に一度会っただけのいとこに頼むのだから、陸くんと彼の家族は大分疎遠な関係にあったようである。それは前から何となく感じ取ってはいたが、ここまでとは思っていなかった。

 姉は僕を手伝う気など微塵もなく、陸くんの幼い弟と遊ぶのが目的でくっついてきたらしい。

 僕と姉はとりあえずリビングの椅子に座らされた。叔母さんがお茶を持ってきてくれた。彼女も同じく椅子を引いて落ち着いた。囲むテーブルの上には、陸くんの死という事実のみが浮かんでいる。叔母さんが身を乗り出す。

「ねぇ、陸はあなたたちの前じゃどんな子だったの?」

 なんで今更そんなこと訊くんだろうなぁ、と僕は非情にも思う。もう居ないじゃないか。叔母さんは和やかにしていたが、そのせいで逆に僕は不安になった。無理を隠す人だという印象がある。

 3年以上前のいとことの思い出を手繰り寄せていると、先に姉がいつになく神妙な顔つきで語り出した

「陸くんは...周りの子とは違った気がします。いつもイライラしてて、一言で言うと、ウザかったです」

 神妙な顔つきとは裏腹に愚痴をこぼす姉。弟目線で言えば、姉は爆弾を抱え歩き回る習性があると言える。

 僕は焦ったが、叔母さんはくすくす笑った。

「そうよねぇ、いっつもイライラしてたわぁ」


 姉は幼いいとことリビングに残り、僕は叔母さんの後を付いていく。

 階段を上りながら彼女は言った。

「こんなことあなたに頼むなんて変な家族よねぇ。ごめんね、忙しいだろうに」

 割と平坦な声だった。

「いえ…学校の復旧作業で夏休みが前倒しになったので、全然平気なんです。それに変じゃない家族なんてたぶん無いですよ」

 彼女は少し笑った。「あなた大人びているのねぇ」

 階段を上がったすぐ先に彼の部屋がある。叔母さんはノックもせずに無造作にドアを開けた。僕はノック無しで部屋に入られると嫌な気がするのでちょっとたじろいだが、そういえば彼はもういないのでその必要はなかった。

 彼女が開け放った部屋の中をのぞくと、僕は思わず感嘆詞を漏らした。「うへぇ」

「すっごい散らかりようですね」

 足の踏み場もないをとうに超えて足場は山なりになっていた。僕でもここまで散らかせることは出来ない。しなしなの洗濯物、開きっぱなしの本、ごみの入ったたくさんの袋、用途の分からない機械。それらが大量に集まって謎の一体感を醸し出している。彼の残すべきものが分からなかったから僕を呼んだと言っていたが、それはハッタリである可能性が出てきた。誰も探すことすらしていないのではないか。

 カーテンは閉め切ってあり、午前の光は届かない。

「部屋はその人の性格を表しているとか言うわよね」

 僕は彼女を振り返った。薄暗くて顔はよく見えなかったが、呆然としている感じがした。彼女は部屋に入っってから一歩も動かず、まるで人の家に初めて入った時のようなよそよそしさを思わせた。

「彼が歳を重ねるたび、どんどんわからない人になっていったわ。…もしかしたら、生んだ時からよくわかっていなかったかもしれない」

 彼女はただ一点を見つめた。でもその一点はこの部屋の闇の陰から逃げおおせるためのものだった。彼女の声は震えなかった。

「皆口をそろえて言うのよ、育て方が悪かったんじゃないかって。でもね、私精一杯やったのよ、本当よ。でも皆信じないのよ。私の努力がどうも足りないらしいのよ。私が悪かったのかしら。私の育て方が間違っていたのかしら。それとも生まれた時から彼が間違っていたのかしら」

「間違い?」

 彼女は俯いた。

「普通に育てたのに、あの子は他の人より出来ることが少なかった。おかしいわよ。頑張ってたのに、理不尽よ。」

 しばらく沈黙が続いた。僕には打ち破ることが出来なかった。親の心なんてわかんないから何て言えばいいのか知らなかった。彼女の息遣いだけが聴こえる。

 突然下の階から姉といとこの笑い声が響いて僕らの時を再生させた。叔母さんは電気をつけた。ごたごたした部屋が鮮明に浮かび上がる。

「じゃ、あったらでいいから、よろしくね」

 何事もなかったかのように彼女は明るくなった。背を向けて行ってしまおうとする。僕はとっさに口を開いた。

「あの、…本当に僕でいいんですか」

 彼女は振り返っていった。

「何言ってんのよ、あなたしかいないでしょ」


 僕は陸くんの遺品整理に取り掛かった。 

 今年、彼は二十歳になる予定だった。



 カーテンを開けて窓を開放すると、海風が部屋の空気を一掃した。眼下には海が広がり、キラキラ輝くのが見える。僕は自分の街の海より、この街の海の方がすきだった。同じ海なのに不思議だなぁと思う。

片づけを普段しない僕が遺品整理などとことん向いていないのだが、もう引けないので黙ってやる。

 確かにほとんどがゴミである。亡くなった方の部屋をこんな風に言うのは大変気が引けるのだが、「いらんもんばっかだなぁ」と僕は呟いてしまった。きっと僕が今死んで部屋をどなたかに遺品整理されたら、同じような感想を述べられることと思う。そういうくだんないところで僕は彼に親近感がわく。

 はたと雑音が聞こえてきた。開けっ放しの窓からではない。聞き覚えのある機械音である。あ、と僕は思い出した。実はさっきから左手を背中に回して不自由だったのだが、機械音の原因を背中側の服の中で隠し持っていたのだ。完全に無意識になっていた。

 僕は誰も二階に上がる気配がないのを確認して、そいつを解放した。紙袋から出すとギギギ、と呻く。

「っはぁ、ハぁ、あっつぅ!!」

「すまない、マジでお前のこと忘れてたよ、ロボ助」

「なんでやねン!」

 いつの間に関西弁なんて覚えたのか。ロボ助は人ん家でもギイギイ騒ぐ。僕は少しひやひやした。家に置きっぱだと何をされるのか分からないので連れてきたのだが、この家にまで持ち込んだのは更に違う理由だった。

「ロボ助、遺品整理手伝って」

「エ」

「というか虫が出たら退治して」

「エ」

「反逆しそうだったら燃やすから」

「エ」

 服や本の山を掘っていくと、初めて床が見えてきた。度々虫が出てきてはロボ助に助けを求め、褒めると大変喜んだ。馬鹿な奴だと思った。あんなに嫌そうだったのに。

 いらんもんばっかなので作業は思ったより早く進み、正午には三分の二まで進展した。まだ残すべきものは見つからない。てか僕だってそんな頻繁に会っていた訳ではないので見逃していない自信はない。お昼ご飯に呼ばれてもロボ助から目を離せないのでぶっ続けで作業する。

そうして僕は彼の勉強机らしきものにたどり着いた。

机の下にある引き出しを上から順に開けていく。

 一番上の引き出しを開けると、封筒が何通か置いてあって、僕は少し意外に思った。文通する相手がいたとは。

 しかしもっと意外だったのは、送り主が僕であったということだ。太く大きな字でいかにも一生懸命に住所が書かれている。全く記憶にない。叔母さんからの信頼が絶大だったのはこのころから彼との仲が良かったからなのかもしれない。

 解読困難な字でたどたどしく書かれた内容によると、僕のは彼の手紙の返事らしかった。僕の部屋を探してみたら、彼の手紙が見つかるかもしれない。

 二段目を開けた。何も入っていなかった。少し呆気に取られて訝しんだが、よく見ると何かの残りかすが澱みたいに残っている。何かしらが入っていたようだが、全部撤去したようだった。

 最後、一番下の三段目である。この段だけ大きい。

何故か神妙な気持ちになって、取っ手を握ると静かに開けた。

 入っていたのはCDとそのCDを聴くための機械だった。部屋はごった返しているのに、この勉強机の引き出しだけは在るものに対して空間を広くとっていて、不思議だった。何のための空間なのだろう。このご時世、CDを持っている若者は珍しい。何の曲か確認してみたが、曲名だけでは分からなかった。試しに聴いてみようと思ってCDレコードを取り出す。CDを装置にはめると、ガチャ、となかなか小気味いい音が鳴った。なんだかその音に聞き覚えがあった気がするが、操作をして音楽が流れだすとそれは確信に変わった。ひらめくように陸くんとの一場面がよみがえる。

 僕はこの曲を知っている。このCDレコードも知っている。この部屋にも入ったことがある。



 穏やかな午後の光が差していた。

微睡んだ空気は時間が止まってしまったかのようで素敵だった。光の束が目の前に横たわる人を照らしている。曲名の分からない音楽が流れている。少し怖い感じのする曲で、ちょっと止めてほしい時もあったが彼の機嫌を損ねたくなくて口をつぐんでいた。そのくせこの部屋のこの瞬間のこの空間にひどくよく調和していてずっと聴いていられる気もした。目の前の人は床にあおむけになって片膝を立てて本を読んでいた。僕はあぐらをかいてじっとしていた。

「お前…毎年来てどうすんだよ。特に姉の方、俺にケンカ売りに来てんのか?」

 彼は本を広げたまま言った。何故か自嘲するような声だった。

「姉は叔母さんたちとしゃべりに来てるんだよ。陸くん思い込み激しい」

「おおん?口が達者な小学生だなー。俺より出世してしまうぞ」

 突如起き上がった陸くんは僕のこめかみをぐりぐりした。思えば僕らは冗談を言い合う仲であったのに、どうして音楽を止めたら機嫌を損ねてしまうと思ったんだろう。

「なぁ、海行かね?」

 僕は頷いた。彼は自分で音楽を止めて僕を連れて行った。



 僕らはまだ潮の満ちない砂浜を歩いて行った。足はさざ波にたびたび濡れる。貝殻が打ち上げられたり攫われたりする。僕の街の海とは何かが違う。砂が指の隙間にひっつく。

 前を歩いていた陸くんが座り込んだ。僕も隣に座った。彼が口を開いた。

「ここから水平線まで、四キロくらいしかないらしいぞ」

「え!?思ったより短い」

 彼はつま先をさざ波に伸ばした。

「短いのに…一生届かないんだよな、残念だ」

 僕は彼の横顔を見た。

「あっちから見たらここは地平線なのかな、何でもないのかな…。どちらにせよ、俺らは変化する生き物だから現状の居場所に満足することはほとんどない」

 僕は意味を取りあぐねた。

「何が言いたいの?」

 と口にした瞬間、僕は発言を誤ったと思った。彼の機嫌を損ねてしまったと思ったのだ。しかし彼の口調は思いのほか冷静だった。

「伝えたいことがあるんだよ。それは鮮明にあるんだよ。でも、俺がそれを言葉にしてお前に届けるこの間にどうしても誤差が生じてしまう。俺の一番寂しいところが、誰かに伝わるはずないんだ。不可能なんだよ。永遠に続く短い距離なんだ。そして、それは絶望を意味するんだ」

 ますます何を言っているのかよくわからなくなったが、「えんえん」とか「ぜつぼー」とかが僕の心臓を脅かせた。怖い言葉だと思った。僕は恐怖を誤魔化したくてトンチンカンなことを訊いた。

「ぜつぼーしたらどうすればいいの…?」

 彼はこっちを向いた。すると久しぶりに微笑んで言った。

「自分に全賭けして他人を信ずるんだ」



 音楽が鳴り止んでいた。僕は目を開けた。辺りに目をやるとロボ助が眠っていた。僕はロボ助を叩き起こした。

「ギィー…なんだよぉー」

「海に行こう。陸くんに会いに行く」



 海は夕焼けをギラギラ反射して凪いでいた。潮はほとんど満ちようとしている。僕は靴を脱いで、前のように波に足を濡らした。

「なんだヨ。誰もいねぇじゃネエか」

 僕の腕に抱えられたロボ助はそうほざいている。

「まっまさか…ワタシを海に捨てにきたのカ!?ヤメロ!泳げなイ!」

「捨てないから。あと、自分から弱点言うのどうなの?」

 また機械音を立てる。僕はこの音があまり好きではない。癇癪を起して海に投げても未練はないが、流石に非人道的なので思いとどまる。そういえばあの後、陸くんに「でも、悪い人は信じちゃだめだからな」ときちんとしたことを言われた気がする。僕にとって、彼はちょっと冷酷ないいお兄さんであった。でも周りの人の反応を見る限り、彼は他人からの理解を得ていないようであった。僕は夕日に手を伸ばしてみた。こんなことしても何にもならないが、しかし、永遠に続く短い距離とは、こういうことだったんだなぁと遅ばせながら思う。光は透ける手に滲んで、指の隙間から溢れ出る。彼は隣で笑っている。きっと彼は死ぬ直前まで希望を持っていた。



 


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