姉セレクト
僕は現在、古都こと京都にいる。京都なんて遠いところ、一体どれくらいかかって着くのかと思えば、電車新幹線などを駆使して二時間ちょいで到着してしまって大変憂鬱である。その後ぶらぶら歩かされ、なんかすごいらしい古来の建築物を鑑賞し、エライお坊さんのお説法を聞く羽目となった。修学旅行って面倒だと思う。大昔に自分の身長より大っきいものを作るなんて感心したが、お説法の方は覚えていない。人の話を聞くのはどうにも難しい。立派な話ならなおさらだ。
それに僕には、安心して人の話を聞く余裕などは存在していなかった。常備のメントスを家に置いてきてしまって精神が非常に安定しないし、何よりあの美少女のこともある。果たして以前の宇宙区間(?)は何だったのか。日が経つごとに記憶が薄れていき、それが僕には恐怖だった。あんな奇妙極まる出来事すら忘れてしまう人の愚かさは嘆くべきことである。
修学旅行であろうと、僕はいつだって彼女の姿を探した。彼女を探すのは簡単で、周りの人間よりずっと白く輝いて、くっきり真っ黒い髪を持つ怪しいオーラの人、を探せば即行見つかる。だから彼女を見つけては観察し、話しかける機会を漁っていた。というのが初日のあらすじである。決して気味悪がらないでほしい。僕に邪な心は一切ないのだ。いつかの誰かのストーカー行為と並列して考えるなど野暮なことはしないでほしい。でも結局問い詰める機会は頂けなかった。
潔く二日目のお話をしようか。
二日目はそう、班別行動である。ドロシーに半強制的に同じ班にされ困っていたが、しかし現在は好都合である。ただ彼女を捕まえるのは、同じ班とはいえ容易ではなかった。
僕の属する班は六人で構成されている。たった今、戦隊ヒーローの如く横一列になって彼女を中心に大通りを闊歩している。その後ろに僕は常に三メートルの間隔をあけてついていく。
清水寺へ向かう賑やかな坂である。彼女の前にいつだって人はいない。皆、珠のように輝く絶世の完璧美少女に気づいて道を開けるのだ。同じく修学旅行でやってきた学生も、参詣から帰ってきた人も、お店からお店へ渡っていく人も、全員が類まれなる彼女の存在に気づく。そして感嘆したり溜息をついたり絶句したりして美少女に釘付け、そろそろ端へ下がって花魁道中の見物人みたいになるのだ。だから人混みが崩壊してスムーズに進んでいく。そのせいで体力的にキツい。後どれくらいで清水寺に着くのか分からない。
僕が這っていくすぐ後ろには、すでに美少女の見物を終えた観光客がわらわら元に戻っている気配がした。京都に観光しに来たのに学生を観光するとは、一体どういうことなんだろうか。
疲れて足が止まる。誘われるように背中へ振り返った。
空が広く澄んでいて、さっきまで歩いてきた道が豆粒みたいな人間たちに埋め尽くされていた。大分進んだんだなと思った。道のど真ん中で立ち止まるのは申し訳ないな、と考えなくもないが僕は超然として棒立ちする。修学旅行は最悪だが、京都を観光したことが無かったので気分は高揚気味だった。
あらゆるものが目に映る。色取り取りの浴衣が入り混じっては簪が煌めいて金と銀とか、昼間っから酔いどれっぽい喧噪と浮かれた笑い声、お土産の袋やおどける男子高校生。面白い人たちが隠れて出てきて行き交って廻っている。
自分は日本人なのに、古めかしい建物をみると異世界にいる気がする。最近生まれてきたばっかなのに、この風景を懐かしいと思う。僕は視界いっぱいの浴衣やレトロな建物や危険な人混みが、決して敵ではなかったはずだと思い出した。息が整ってきた。
「ちょっとお店寄るよぉー」
朗らかな声がした。僕は彼らが入ろうとする店に速足でいく。
彼らと入ったのは八つ橋のお店である。昔、姉がお土産に買ってきたので、僕は一度だけ八つ橋を食べたことがある。何を血迷ったのかミラクルトルネード味とかいうのを買ってきて、口に突っ込まれた記憶が鮮明である。名前の割に美味しくてびっくりした気がする。そんなわけで小倉とか抹茶とかいう定番を食べたことが地味にない。
班員は観光客に混じって、試食できゃっきゃと騒いでいる。やっぱり目立つのでドロシーに黒目が動く。そういえば僕は普段のドロシーをほとんど気にかけていなかった。だからちょっと彼女の顔色が青白い気がしたけど、もしかしたらあれが普通なのかもしれないと思うと声を掛けられなかった。
彼女は基本、女友達としゃべって試食会をしていた。繊細な頬に美しく手をあてて、いかにも、美味しいわぁ、という身振りをしていた。
彼女は決して笑みを絶やさなかったが、それは僕がよく見る悪戯っぽいものとは違った。白いカーテンで全ての背景を隠してしまった、内情の分からないものだった。そして毎度のことながら、そういう得体の知れないものは美しかった。
ドロシーがにこにこしているだけで店内はやたら明るい。誰もがちらちら彼女を見たがる。彼女の友達は恍惚として、何らかの福祉に支配された表情である。班で一番背の高い、何とか君が美少女に話しかけた。
「桐山さんはなに食べたの?」
「ええとねー、サイダー味」
何とか君の顔がくしゃっとなる。デロデロという擬音語がまさに相応しい惚れっぷりが遺憾なく発揮されている。別の班員が反応した。
「えそんなんあるの?うまい?」
「ええ、めっちゃ」
ドロシーは笑って無邪気でいる。その笑顔に班員だけでなく観光客もにやけ始める。胸打たれて足元が覚束ない人が増えてきた。チョロい。チョロすぎるぞ。
「俺も食いたいなー。どこにあるの?」
「ちょっとぉ、今あたしがドロシーとしゃべってたんですけどー」
「おめー皆の桐山さん独り占めしすぎなぁ」
そう言って皆笑った。このように、いつだってドロシーが中心である。ついでに観光客や店員も巻き込んでいるのは言うまでもない。
彼女がサイダー味なるものを紹介しようとそちらに動くと、班員全員とお客がくっついていった。八つ橋そっちのけ、いかに彼女を自分に振り向かせるかと考える班員たち。滑稽だなぁ、と思って僕は彼らを軽蔑したけれど、恋愛ってこいういうものなのだろうかと思いなおす。尤も、僕にはドロシーを崇める宗教に見えて仕方がないのだが。
「あなた何か買った?」
隣に美少女がいた。どういう原理なのだろう。なんだか驚くのも今更であるから省略する。突然はいつものことだ。向こうを見るとサイダー味を試食する彼らがいるが、何故か肝心の美少女がいないことに気が付かない。僕は答える。
「小倉と、ミラクルトルネード味」
ドロシーは噴き出した。
「何その極端なチョイス」
彼女は俯いてくっくっくと笑う。
「君は?」
社交辞令みたいに訊いた。
「抹茶とレインボーイリス味」
僕と何が違うというんだ。いっしょじゃねえか。僕がしかめっ面になると、ドロシーは堪え切れんとばかりに上を仰いではしゃいだ。やはり手を頬に当てて笑うが、癖なのだろうか。はた、何か訊かなければいけなかったが……。
あ、と宇宙を思い出すと彼女はもういなかった。試食が終わって班員の買い物を友達と待っているところだった。顔に色がない。手で覆う。
店を出ると、僕はもう清水寺がちゃんと見えるのに安心して、坂の低い方を見下ろした。先程と何ら変わることのない人混みの風景だ。不意に何処かの柳が揺れて風を知った。ドロシーは自分の髪を押さえつけた。風は人混みへ渡っていく。
彼女には人の心に流れ込んで、すぐに染み渡っていく能力がある。皆彼女を当たり前のように信じている。僕は彼女がこの人たちをどうにでもできることに気づいた。そしてどうにかされた後の世界の寂しさを思った。顧みると、彼女の顔色は何事もなかったかのように健康だった。やっぱり気のせいだったかな、と僕は思った。
清水寺は思ったよりもずっと大きくて高い位置にあった。写真を撮って僕らは今来た道を辿って、それから……もう思い出せない。僕は今無性に眠くって仕方がないのだ。消灯時間が来て部屋は真っ暗だが、僕以外はこそこそ話に忙しい。…うるさいのでこそこそは訂正しよう。静かに眠らせてほしいものだ。奥の奴が何か言う。
「あいつ寝ちまったよ。ホントにノリ悪いよな」
「社会でてやってけるのかね」どうやら僕は心配されているらしい。
「てか中一のころから思ってたんだけど、あいつちょっとズレてね?」
「え分かるわー」
初耳である。でもきっとドロシーに制御されてるだけだから平気だ。どちらにせよ僕に言わせれば、意味不明の行動をとるのはみんなの方だ。言わないけど。僕は寝返りをうった。
「D----もついに気づいたんだよ、こんな奴の友人名乗ってらんないって」
僕はばさっと上体を起こした。なんでだか分からない。今起き上がってはいけないタイミングというのは重々承知、振り返って敵意丸出しでガンくれるタイミングではないというのも重々承知、しかし僕の体が勝手に動いてしまうのはこれが夢だからだ。
「何だよ……起きてたのかよ」
「…………」
「なんか言えよ…」
「…………」
「…悪かったよ、俺たちは確かに態度が酷かった」
僕は苦しかったんだぞ
「本当にごめん」
贖罪して僕の言うこと全部聞け
「もちろんだ」
僕はおかしくない お前らが全部おかしいんだ
「ああ、その通りだ。俺たちは今夜から全面的に反省をする」
それでよし。 よし よし? ん?……おん?
僕は目を覚ました。覚ましたということはちゃんと眠っていたということである。やはりさっきのは夢だったのか。ちょっと落胆してしまう。正夢になったら楽だと思う。
「おい。いつまで寝てんだよ。とっとと布団片付けろ」
頭上から同部屋班員の声が落っこちてきた。異物を見る音だ。これも夢だったら楽だと思う。
修学旅行から無事帰還した僕は、姉や両親やお兄さんにお土産を渡した。ミラクルトルネード味の再来に家族は笑った。美味しいけど何の味なのかいまいちわからないところも魅力だ。ロボ助にもあげようと思ったけど砂糖はダメらしいのでやめておいた。お兄さんは偏食なのでこれらの八つ橋を暫く主食にすると言ってきかない。次来るときは野菜かなんかを持ってきてやろう。もちろん、嫌な顔をされるであろうが。