TENPO INSIGNIFICANTE 他愛のない時間 I
コルラードの私室のまえ。
ダンテはノックするかするまいか迷っていた。
手燭のロウソクがジジジと音を立てる。
執務が長引き、終えたのは夜遅くだった。
コルラードはとうに夕食をすませ私室に戻ったとさきほど女中に聞いた。
見覚えのない長身の女中だったが、コルラードのふだんの様子をよく知っているようだった。
あすの朝でもいいのではと思う仕事もあったが、執事とオルフェオが今日中にすませておけと執務室から出してくれなかった。
以前、男娼館に宿泊し手数をかけた前科があるとはいえ、コルラードとの逢瀬を邪魔しようと共謀しているのではとつい勘ぐりたくなる。
ダンテはドアにそっと顔をよせ、耳をすましてみた。
室内からは物音ひとつしない。
もう寝ているのか。
ノックで起こしてしまってはかわいそうか。
きょうは自室にもどろうかとドアから離れる。
きびすを返したところで、無性にコルラードの寝顔が見たくなった。
最近は毎日のように見ているが、今日は今日でまた違うかわいらしさがあるのではと思ってしまう。
夜に部屋に行くと言ってあるのだ。
入ってもべつに怒りはしないだろうか。
こっそり入室して寝顔を見るくらいなら、最近のコルラードなら許してくれそうな気がする。
ダンテはもういちどドアに向き直り、ノックをしようと拳を作った。
だが、ノックよりまず声をかけてみるべきかと思い手を下げる。
「……コルラード」
顔の横に手をあて、小さな声で呼んでみる。
返事はない。
「何をしているんです」
男性の声がする。さきほどまで執事の声とともに聞いていた声だ。
暗い廊下。オルフェオが姿勢のいい歩き姿で近づく。
「とうにお休みになられているかと思えば。何を物盗りのようなあやしげな動きをなさっているんですか」
オルフェオが軽く眉をよせる。
「さきほどから見ていれば」
「……見ていたのか」
ダンテは顔をしかめた。
「おまえは気にしないでさっさと寝ていい。寝不足のおまえはどうにも怖い」
「怖がらせた覚えなどありませんが」
オルフェオはしばらくドアをながめていたが、ふたたび歩を進める。
「お休みなさい」
「ああ」
ダンテはそう返事をした。
「私ははじめ、コルラード様はあなたを本気で嫌っているのだと思っていたのですが」
ダンテの背後をゆっくりと通りすぎながらオルフェオが語る。
「日になんどか接しているうち、本音がよく分かりましたよ」
「……どんな」
ダンテはオルフェオの歩く姿を目で追った。
コルラードにほんとうはどう思われているのか。客観的な見方をぜひ聞いてみたい。
「あんな天の邪鬼なガキはいない」
オルフェオが吐き捨てる。
彼にはめずらしい俗な言い方に、ダンテは困惑した。
「意味がよく」
「どうせぬいぐるみがないので起きていますよ。わざと寝たふりをしているんです」
「では」と続けて、オルフェオは歩く速度を少し速めた。
コツコツと靴音を立てて自室のほうに向かう。
「なぜわざと」
ダンテは戸惑ってドアをながめた。
そっとドアを開けると、部屋のなかはすでにあかりが落とされている。
「起きてはいないではないか」と内心で文句を言い、ダンテはオルフェオの行った方向を軽く睨んだ。
ベッドを伺う。
室内にうすく射した月明かりで、天蓋越しにおおきなぬいぐるみの影が見える。
ぬいぐるみがないと言っていなかったか。
あるではないか。
ダンテはふたたびオルフェオの行った方向を睨んだ。
ベッドへと近づく。
天蓋をしずかに退けた。
コルラードは顔半分ほどまで掛布をかけて寝ていた。
口元がゆるむ。
かわいくて堪らない。高揚した感情がこみあげた。
いきおいよく抱きついてしまいたい。
だが、せっかくグッスリと寝ているところを起こしたくもない。
触りたいのに触れない幸せな心地の悪さを味わいながら、ダンテは手燭をサイドテーブルに置いた。
横で寝てもいいだろうか。
ベッドの開いたスペースを見下ろす。
コルラードはいちど寝入ってしまうと、少々横で動いても起きない。以前、カウチで寝ていた時期にそれはよく分かった。
嫌っているはずの人間の横でなぜこうもグッスリと熟睡できているのか、ほんとうにふしぎだった。
いまだによく分からんと思う。
最近は抱き合うようにして寝てくれるときもある。
腕のつけ根に頭をのせて眠っているさまがほんとうにかわいくて、しあわせで堪らない。
ダンテはしずかに上着を脱ぎ、ベッドの足元のほうに置いた。
コルラードを起こさないよう気遣いながら、シーツに手をつき片膝をのせる。
ぱちりとコルラードの目が開いた。
唐突に目が合い、ダンテは驚いて動作を止めた。
コルラードはゆっくりと上体を起こすと、ダンテをじろりと睨みつける。
「ごめん。起こした……か?」
コルラードが無言で目を眇める。
「いや……いっしょに寝られるのが嫌なら自室に戻るが」
「あの従者となにを話してた」
コルラードが問う。
「従者……」
ダンテは出入口のドアをながめた。
「ずっと話していたでしょう」
「べつにたいしたことは」
言いながらダンテは軽く眉をよせた。
「というか寝ていたわけではないのか」
「べつにあなたを待っていたわけじゃない」
コルラードが答える。
また会話が噛み合っていないような。
片膝を乗せた体勢のままダンテは困惑した。
「あの従者がなにを言ったか知りませんが」
コルラードはそう言い、三角座りになった。
「いや……ただぬいぐるみがないから起きているだろうと」
ダンテはベッドの足元のほうを見た。あまり形の良いとはいえない大型のぬいぐるみが座っている。
「……あるな」
そうつぶやいた。
コルラードはおおきな目でこちらをじっと見ている。
目が合うと、ふいっと顔をそらした。
なんの意味のしぐさなんだろうか。ダンテは当惑して横顔をじっと見ていた。




