TUTTO È CONFUSO すべてが混乱する III
「そうですか」
オルフェオが、かがめていた身体を起こす。
「ダンテ様ですが」
そう言いゆるく腕を組んだ。
「不在日数がもう少し伸びるかもしれません」
コルラードは目を見開いた。従者の横顔を凝視する。
令嬢との逢瀬がそんなに楽しいのか。離れがたくなったのか。
「……そんなことで、執務のほうは大丈夫なのか」
コルラードは懸命に動揺をおさえた。
「しかたないですね。執事殿が代理をつとめるので、できるかぎりサポートしますが」
「直々に行くほどの問題ではなかったのでは」
「まあ、現地に行ってみなければ分からないこともありますからね」
オルフェオが宙をながめる。
「ああ、それで」
思い出したように言う。
「フィエーゾレの乳母殿への伝言は何かありましたか?」
コルラードは従者の前ポケットを横目で見た。
オルフェオの肩に体当たりして不意をつく。
彼の前ポケットからフリントロック銃を奪いとった。
慣れた手順で撃鉄を一段階だけおこし、銃口をオルフェオに向ける。
オルフェオが肩をすくめた。
「まさかとられるとは思わなかった」
落ちつき払った様子でゆっくりと両手を上げる。
バルコニーの出入り窓のガラスが、かすかにふるえた気がした。
風か。
「構え方がダンテ様に似てるなあ」
オルフェオが感心したように片眉を上げる。
「おかしなところだけが、さすが兄弟というか」
コルラードは撃鉄をさらに起こした。
「いまからここを出る」
「それでどちらへ」
オルフェオが微笑する。
「乳母殿のところへ出向かれるのなら、土地勘のある者を付き人につけますが」
「けっこうだ」
コルラードはそう返した。
「フィエーゾレまでお一人で行ったことはないでしょう?」
オルフェオがこちらに顔を向けたまま、目線だけを廊下の端に動かす。
コルラードは警戒して一瞬だけおなじ方向を見た。
オルフェオの手が拳銃にのび、撃鉄を親指でおさえる。
「しまった」とコルラードは思った。
ウベルトの家でも、こうしてダンテを止めていた。
とっさに拳銃ごとふり払おうとしたが、さきに銃身をつかまれ奪いとられる。
落ちた拳銃が、廊下をすべった。
オルフェオがコルラードの腕をグッとつかみ、手ぎわよくうしろ手にひねる。
「クッ」
痛みとくやしさにコルラードは顔をゆがめた。
「きつい冗談はやめてくださいね。ダンテ様の不在時にケガでもされたら、さすがに不興を買いまくる」
「うるさい!」
コルラードは踠いた。
「そんなにダンテ様にお会いしたいですか」
「会いたいわけがないだろう!」
「では何をやっているんです」
「はなせ!」
コルラードは声を張り上げた。
不自然な方向に腕をとられているので、抵抗もままならない。
「そんなにお会いしたいのなら、いて欲しいとひとこと言えばダンテ様は出かけることすらしませんでしたよ」
「なんで僕がそんなことを言わなければならない!」
「旦那」
聞き覚えのある声がする。
まさかと思いながらコルラードは顔を上げた。
出入り窓のまえにウベルトがいる。
早足でこちらに歩みよると、オルフェオの腕をつかんだ。
「子供相手だ。それくらいでいいでしょう」
「本人は子供あつかいはされたくないと思いますよ」
オルフェオが動じもせずに言う。ウベルトがとつぜん現れたことは驚かないのか。
「いや、それはそうかもしれないが」
「帰ったんじゃなかったのか、バカ者!」
コルラードは怒鳴りつけた。
「いや……ちょっと心配で」
ウベルトが頭を掻く。
「バルコニーから、かすかに靴音のようなものが聞こえていました」
オルフェオが淡々と言う。
「……耳いいですね、旦那」
ウベルトは苦笑して頬を掻いた。
「そんな抜け目のない旦那が、こんな年若い坊っちゃんにむざむざ拳銃をとられたりはしないですよね」
ウベルトが言う。
「わざとですか」
「ウベルトといったか」
コルラードの腕を捕らえたままオルフェオが問う。
「トスカーナに土地勘は」
「むかしフィレンツェに住んでた時期がありますが?」
「けっこう」
オルフェオはそう言うと手をはなした。
コルラードは従者の手をあらく振りはらった。無言で睨みつける。
オルフェオがポケットから財布をとりだす。無造作に数枚の紙幣を抜いた。
「いまから私の手の者として雇う。コルラード様はフィエーゾレの乳母殿のご自宅を訪問されたいそうだ。護衛してお連れしろ」
とうぜんであるかのように命じる。
「手の者って……」
ウベルトが苦笑して頬を掻く。
「おまえに拒否する余地はない。侵入者としてここで捕らえられるのと、どちらがいい」
ウベルトは、しばらくオルフェオの顔を見ていた。
ややして肩をすくめると、オルフェオの手から紙幣を引っぱりだす。
オルフェオは廊下に落ちた拳銃をひろい、てきぱきとしたしぐさできびすを返した。
「いま馬車を用意させる。御者には私の実家の下男とでも言っておけ」
オルフェオはそう言うと、カツカツと靴音をさせ廊下を去って行った。
「あの旦那の実家って?」
姿勢よく遠ざかる姿をながめながら、ウベルトが問う。
「知らん。海洋貿易をやっていた家だとはまえに言っていたが」
コルラードは答えた。
なにをたくらんでいるのか。オルフェオの背中をじっと伺う。
「まあ……従者なんてやってるんですから、それなりの御家の出ではあるんでしょうが」
ウベルトがもういちど頬を掻く。廊下の高い天井を見上げた。




