TUTTO È CONFUSO すべてが混乱する II
「ダンスに誘っていたのはどちらだ。令嬢か当主のほうか」
「そこまでの会話は聞こえませんでしたが……」
ウベルトがわずかに眉をよせる。
「手をさし出していたのはどちらだ」
「そりゃご当主ですよ。仮に令嬢が誘ったとしても男からさし出すものなのでは?」
バタンと音を立てて、コルラードは出入り窓を閉めた。
ウベルトが意外そうに窓を見る。
「令嬢はその屋敷に滞在したのか。当主は夜はどこに行っていた」
コルラードは早口で問うた。頭に血が昇っているのを自覚する。
「いや……夜まで動向を追っていたわけでは」
「なぜ追わない!」
コルラードは声を上げた。
「婚約者がいたからといって夜も会っていないという証明になるか! あの男は父親の愛人にまで粉をかけるような男だぞ!」
コルラードは、ウベルトにつかみかかりそうないきおいで声を荒らげた。
なぜそこでどこまでも追ってくれなかったのか。
追えばダンテのしていることがすべて分かったかもしれないのに。
ウベルトを詰りたい感情で目眩がしそうなほど昂ぶる。
いまの自分がいちばん知りたいことを目の前でむざむざ逃したこの男を、責めることしか考えられない。
「坊っちゃん?」
過ぎるほど冷静なウベルトの口調で、コルラードははたとわれに返った。
ウベルトがこちらの感情を推察するように目を眇めている。
「話の道筋が、よく分からないんですが」
コルラードは、スッと力の抜けた状態でウベルトの顔をあらためて見た。
自分は何を言っていた。
頭の中が急に冷えて、ひどく恥ずかしくなる。
「……いや」
ウベルトから目線をそらした。
「軟禁生活が続いてイライラしているだけだ。すまなかった」
そう取り繕う。
「それならなおのこと、早くご当主と縁を切れる算段でもしたほうが」
言いつつも、ウベルトは本心から言っているわけではないように感じられる。
心のなかを推しはかるように、じっとコルラードの顔を見ていた。
自分はなにを言っていたのだ。
コルラードは自身の発言を反芻した。
話の主旨はなんだったか。
「今日は帰りますが、いつでもご連絡ください。あれもまだとうぶんここにいるそうなので」
ステラのことか。コルラードは冷静になりそう思った。
まだ屋敷内に潜入しているのか。
オルフェオと顔を合わせたのが、なにかまずそうな様子だったが。
「坊っちゃん」
ウベルトが出入り窓を開ける。
「個人的には、いま多少考えが変わったとしてもご当主とはいったん距離を置いたほうがいいと思いますよ」
コルラードは、出て行こうとする男の顔を見た。
「坊っちゃんくらいの年齢だと、恋慕も親近感も性愛も区別がつけられない。ましてご当主みたいな強烈な感情にさらされたら、引きずられて判断をまちがう」
ウベルトが眉をよせる。
「もう少し大人になってから改めて考えたほうがいいんじゃないですかね」
「……あらためてもなにも、あの当主と関係している理由なんかない」
「そうですか」
ウベルトはそう返すと、コツリと靴音をさせバルコニーに出た。
出入り窓がバタンと閉まる。
雑な閉め方のせいで、まとめられていたカーテンがゆれた。
ガラスの向こう側をウベルトの姿が横切る。コルラードはその様子をながめた。
ウベルトになにか誤解を受けただろうか。
興奮して言ってしまった内容について言い訳をしたかったが、そう長く引きとめておくわけにもいかない。
バルコニーにかかった細い庭木の枝が大きくゆれる。
羽状の葉のあいだから、白いハリエンジュの花がはらはらと落ちた。
あとで来た女中が掃除をして行くだろうか。なんとなくそんなことを考える。
「コルラード様」
出入口のドアをノックする音がした。
オルフェオだ。
コルラードはもういちどバルコニーのほうを見た。
ガラスの向こうに動くものはない。ウベルトはもう見つからない場所まで行っただろうか。
「失礼します」
オルフェオが返事を待たずドアを開ける。
「御用の向きは」
「ない」とコルラードは返そうとした。しかしさきに口を開いたのはオルフェオだった。
「帰ったようですね、あの男」
心臓が跳ね上がる。
コルラードはおおきく目を見開き、従者の顔を凝視した。
「ノックしようとしたら、話し声がしたので」
オルフェオがドアを見る。
非難している様子もなければ、主人への報告をほのめかしているふうでもない。
それだけに、いつもながらなにを考えているのかが分からない。
「……こっそり聞いていたのか、品のない」
コルラードは睨みつけた。
「言ったでしょう。返事もできない状態かもしれないというのを想定して動くのだと」
オルフェオが答える。コルラードの顔を見下ろした。
「ずいぶんと不審な内容の怒鳴り声が聞こえていましたが」
コルラードは、グッと喉をつまらせた。
自分でも何を言ったのか分からないような発言を聞かれていたのか。
この従者のことだ、なにに利用されるか分からない。顔を強ばらせた。
「ダンテ様がどこかの令嬢に手を出していたら、そんなに問題ですか?」
「問題だろう。他家の未婚の令嬢などに」
コルラードはできる限り感情をおさえた。
「ダンテ様は許嫁すらもいまだ決まらずいる状態ですから、そのまま奥方にむかえてしまえば丸くおさまると思いますけどね」
「節操もなく手を出すことは咎めないのか!」
コルラードは声を荒らげた。
「私はあの方の従者であって、行動の指図をする立場ではありませんから」
オルフェオがそう返す。
「それでも、ふだんから言いたい放題に具申している印象だが」
「色恋に関しては、ほとんど口を出したことはないですよ。このまえのように執務に支障をきたすなら別ですが、そうでないのならとくに」
「道徳的に問題だろう!」
コルラードは声を張り上げた。
天井の高い廊下に声が響きわたる。
廊下にほかの人間はいないようだが、付近の部屋にだれかがいたら聞こえただろう。
「それで」
オルフェオが落ちつき払った口調で言う。
「何がどうなってほしいんですか、あなたは」
上体をかがめてこちらを見下ろす。
まるで子供をなだめているような態度だ。
「ダンテ様がほかの人間に手を出すのが、この上なく気に入らないように受けとれますが」
「勘ぐりすぎだ。道徳の話をしているだけだ。個人的な意味はない」




