LE TUE CIRCOSTANZE きみの背景 I
ダンテが屋敷にもどると、年老いた執事は玄関ホールでうやうやしく礼をした。
皺のきざまれた顔をゆっくりと上げる。
代々拠点にしていた海の街の屋敷にくらべると、この別邸の玄関ホールはこぢんまりとしている。
内装は当世風で気に入っているが。
「お仕事がたまっているのはご存知かと思いますが」
執事が言う。
「人と会ってきただけだ」
ダンテは苦笑した。
「重要なご用件ならしかたありませんが」
「ああ。重要な……」
そういえばとダンテは思った。
自分は何をしに行ったのだろうか。
彼の名前が分かった、会う口実ができた、そんな思考でふらりと出かけてしまった気がする。
「帰って早々に言われるほど急ぎの仕事はあったか」
「海洋貿易はたたみましたが、後始末がございます。長引かせるのもどうかと」
「オルフェオはどうした」
ダンテは手袋を外しながら問うた。
二階の回廊のほうから、姿勢のよい歩き姿でこちらに来るオルフェオの姿を見つける。
目が合った。
コルラードについて、また何か分かったのかと直感する。
早く聞きたいが。
ダンテは横目で執事を見た。
「すまんが私的な話がしたい。しばらく執務室に入るのは遠慮してくれるか」
「重要なお話ですか」
「重要だ」
ダンテはそう返した。
執事が回廊のほうを見る。
「オルフェオ殿ですか。何を調べさせました」
「いつも怪しげな調査ばかりさせてるような言い方はしないでくれ」
「しておりません。今回は怪しげな内容なのですか?」
ダンテは決まり悪く黙りこんだ。
オルフェオに調べさせるのは、たいてい家の運営や経済に関係する人物ばかりだ。
軍属とはいえ新人の十五歳の男の子の身辺など調べさせたことはない。
「……今回もあやしくはない。まったく」
ダンテは答えた。
執事が立ち去ったあと、ダンテはオルフェオを執務室のほうへと促した。
執務室のドアを手ずから開け、机に座る。
あとについて入室したオルフェオは、廊下の人の通りをたしかめてからドアを閉めた。
「ゾルジ家の借金についてですが」
オルフェオが切りだす。
「早いな」
調べてほしいと言ってからまだ数日だ。
有能なのは分かっていたが、いちど情報源の全貌を聞いてみたいところだ。
「ほとんどが外部からの借り入れのようなのですが」
オルフェオが折りたたんだ紙片を差しだした。
「あやしげな仲介人が関わるものもありまして。そのぶん話も漏れやすかったというか」
「額はどれくらいだ」
ダンテは紙片を開いた。
概要を書いたなかから、金額と思われる数字を目でさがす。
「合計でそのくらいかと思われます」
オルフェオがそう告げる。
ヴィラーニ家の一ヵ月の諸経費程度の金額だ。
返済が不可能なほどの莫大な金額を想像したが。
「思ったほど多くはないのだな」
「ヴィラーニなら問題もなく出せる金額ではありますが」
ダンテは背もたれに身体をあずけた。
「三年前から、急にふくれ上がったようですね」
オルフェオがゆるく腕を組む。
「三年前に何かあったのか?」
「くわしくは分からなかったのですが」
オルフェオが口を開く。
「三年前まで経済援助をしていた者がいたようで」
「下級の没落寸前の家を?」
ダンテは眉をよせた。
「十六年ほどまえからですね」
「代々の付き合いの者というわけでもないのか……」
ダンテは眉をひそめた。
「そんな家を援助するなど、どんな理由があったのかな」
「理由はいろいろでしょうが……」
オルフェオが言う。
「ゾルジ家が相手側の弱味でもにぎっていたか」
「もしくは援助した側が、何か都合の悪いものをゾルジ家に押しつけていたとかか?」
ダンテはそう続けた。
「その見返りというわけですか」
ダンテは紙片を手元でもてあそんだ。
「まあ……単にまともな商取引かもしれないが」
「そういった感じではありませんね。ゾルジ家はだいぶまえに貿易もやめていますし」
ダンテは宙をながめた。
先日出逢ったばかりの十五歳の男の子の素性の話から、自身はどこまで突っこんでいるのだろうとふと冷静になる。
なぜか何もかもを知りたい欲求に引きずられていた。
「それで。その援助していた者は、なぜ三年まえ急に手を引いたのかな」
「そこまでは」
オルフェオが答える。
「気になるのなら引きつづき調べますが」
「調べられるか」
「経済状況が経済状況なので、解雇された使用人や疎遠になった関係者がつぎつぎと見つかるという感じで」
オルフェオが軽くため息をつく。
「少々の心づけを渡せば、わりとすんなりとしゃべってくれるので助かりますが」
没落寸前の家に義理立てしてもしかたがないというわけか。ダンテは眉をよせた。
「もう少し費用を出してもいい。調べてくれ」
内心、何をやっているのだろうと思った。
あこがれていた人の息子とはいえ、ただ知りたいだけという動機がほんとうにあるのだなと思う。
自分はいったい何がしたいのか。