HO LA NAUSEA MA NON LO ODIO 吐き気はするけど嫌悪はない I
ダンテが部屋に戻ったのは、夕方おそい時間帯だった。
カウチに座るコルラードの姿を確認し、いつものように目元をゆるめると苦笑して顔をそらす。
「夕食は……もう食べたのか」
片づけられた暖炉まえのテーブルをながめる。
以前は早めの時間に戻ったときには、ここでいっしょに夕食をとることもあった。
いまはそれすらしない。
そもそもが、もどる時間の遅い日がほとんどだった。
執務がたまっているのか、それともこの部屋に戻りたくなくてどこかで時間をつぶしているのか。
どちらでも関係ないとコルラードは思った。
なるべく早くに飽きたことを認めさせて、軟禁から解放させようと思う。
「今日も出かけているから。何かあったらオルフェオに」
ダンテが告げる。
言いながら書棚の本を一冊とりだした。
執務で出かけているかのような、すました顔をして。
コルラードは、かすかに不快な感情を覚えながらその様子を見ていた。
「ああ……そうだ」
ダンテがこちらをふり向く。
「焼菓子が好きなんだったか」
ふいに目が合い、コルラードは眉をよせた。
「買ってこようか」
「ハチミツの匂いなんか吐き気がする」
コルラードはそう吐き捨てた。
ダンテが困惑した顔をする。
「……そうなのか?」
何を言っているんだとコルラードは手の甲で口をおさえた。
つい口をついて出た。
「好ききらいがあるのなら、女中にちゃんと言っておいたほうがいい」
ダンテが笑いかける。
「もし言いにくいのならオルフェオにでも……」
「うるさい。好ききらいなんかない」
ダンテが不可解そうな表情でこちらを見る。
コルラードは小さく舌打ちした。
一貫性のないことを言っているのが自分でも分かる。
自分のなかでは筋道が通っている気がしているのだが、口に出すとまるで辻褄が合っていない。
なにが言いたいのか説明しようとしたが、どこから説明していいのかも分からない。
さっさと本題に入ってしまおうと思った。
コルラードはカウチから立ち上がると、つかつかとダンテに近づきハンカチをさし出した。
「正門のところで渡されました。男娼に」
「正門……」
ダンテは、ハンカチをじっと見つめた。
受けとったが、話がよく呑みこめないようだ。
「どういうことだ?」
コルラードの顔をじっと見ていたが、ややして引きつった笑みを浮かべる。
「……オルフェオかだれかと、庭の散歩でも」
「一人で庭に行って、一人で門から出ました」
コルラードはきっぱりと答えた。
「……逃げようとしたのか?」
ダンテの頬が強ばる。すがめた怖い目でコルラードを凝視した。
以前、部屋に連れこみ「私のものになってほしい」と言ってきたときの目つきに似ていると思ったが、コルラードは気にもしなかった。
飽きているはずだ。そう確信していた。
ともかくひととおり話を終えれば、ダンテとの問題はもう解決するのだ。
むりやりにでもその結果に持ちこむことしか頭になかった。
「だから男娼を囲えと言ったじゃないですか。なにがそんな趣味はないだ」
「そんな問題ではない! 逃げようとしたのか!」
「そうですが」
コルラードは答えた。
「コルラード!」
ダンテが声を荒らげる。
「もういいでしょう。飽きて近づく気もないんですから」
「何もしないのは……!」
ダンテはそこまで言い、言葉をつまらせた。じっとコルラードの顔を見る。
「あなたの従者とも話しましたが」
コルラードはかまわずに続けた。
「僕に飽きたなら、さっさと養子を解消してこの部屋から解放してください」
「飽きてなんかいない」
「実家の援助も、やめてくださってけっこうです」
「話を聞け!」
ダンテが声を上げる。
「あなたと縁が切れたら、実家は僕がなんとかする」
「……軍隊を除隊したのにか」
ダンテが口の端を上げ、引きつった笑いを浮かべる。
強引に除隊させたくせに。
コルラードは奥歯を噛んだ。
「べつに復帰して悪いという決まりはありませんし、ほかの軍隊もあります」
「きみはいつまで子供なんだ!」
「実家を背負うつもりでいる人間が子供あつかいされる謂われはない!」
「そういうことじゃない! なぜ分からないんだ!」
ダンテはがいきおいよく手を前にさし出す。コルラードの腕につかみかかろうとしたらしかったが、途中で止めて手を下ろした。
「……援助をやめるなんてだれがするものか。ここからも絶対に出さない」
ダンテが自棄になったように吐き捨てる。
「飽きたのに置いておくのか」
「だれが飽きたと言ったんだ」
ダンテがゆっくりと眉をよせる。なんとか感情をおさえようとしているように見えた。
「……オルフェオと何を話したって?」
「あの従者も、あなたが飽きたのだろうと言った。あの従者までそう認めているのに、なんの意地を張っているんだ」
「オルフェオがそんなことを言うわけがないだろう。そばで見ていていちばん分かっているはずだ」
とうぜんのように、おたがいの考えは分かっていると言いたげなダンテのセリフにコルラードはイラついた。
「そんなにあの従者を信頼しているなら、いっそのことあの従者を囲え!」
「なぜそうなるんだ!」
コルラードは眉をよせた。
また噛み合わないことを言ってしまったと冷静になる。
なにが言いたかったのかと自分で戸惑い、ダンテから目をそらした。
「……なぜ逃げるんだ」
ダンテが声のトーンを低く落として問う。
「私の気遣いは、まだ足りないのか」
靴音がする。
ダンテが一歩前に踏みだし、コルラードの間近に近づいた。
「あの男と連絡をとったのか」
ダンテが据わった目でコルラードを見据える。
コルラードはかすかに恐怖を感じて目を見張った。
一点を見つめたまま微動だにしないダンテの目つきに呑みこまれそうだ。
「あの男が、そんなにいいのか」
ダンテが二の腕を強くつかむ。
食いこむ指が痛い。
コルラードはふり払おうとしたが、ぎっちりとつかまれて離れなかった。
「離せ!」
もう一方の手で懸命に外そうとして踠いたが、ダンテの手は離れなかった。
「それとも、もうしたのか!」
ダンテがコルラードの襟の留め具を乱暴に外す。
襟ぐりを横に広げて首筋をじっと見た。
「なにするんだ!」
コルラードは、全身を激しくよじらせて抵抗した。
ダンテに平手打ちを食らわせようとしたが、ねらいが定まらず逆に手首をとられる。
「それともオルフェオか! オルフェオと夜中に何をしたんだ!」
ダンテが、コルラードの両の手首をつかんで激しい口調で問う。
「私のベッドにオルフェオを誘ったのか!」
コルラードの身体を責めるように強くゆすり、ダンテは声を上げた。
「私にはこんなひどい我慢をさせておいて!」
「いい加減にしろ、気違い!」
コルラードは手足をじたばたとさせて足掻いた。
ダンテの手をふり払おうとしたが、叶わずに睨みつけた。




