SUSSURRARE UNO SCHERZO イタズラをささやく
兵営の面会室は、衛兵の待機所の近くにある。
あまり広くはない。
質素なテーブルと椅子が数脚ずつ置かれているだけの殺風景な部屋だ。
慣れない安物の椅子に座り、ダンテはドアが開くのを待った。
ノックの音がする。
ようやくかと顔がほころぶ。
「どうぞ」
そう声をかけると、しずかにドアが開く。
街で逢った銀髪の少年が、こちらを見るなりあからさまにイヤそうな顔をした。
通りすがりに少し関わっただけの男が、勝手に素性と居所を調べてきたのだ。気味が悪いと思われてもしかたない。ダンテは苦笑した。
「ここはお茶も出ないんだな。おどろいた」
ダンテは向かいの椅子をすすめた。
「兵営に住んだことはないんですか?」
少年が問う。
「ないよ」
跡継ぎということもあり、兵役は家がいくらかの金額を支払い免除された。
そういった経緯を彼も察したのだろう、感心しないと言いたげな顔をする。
「座らないのか」
「すぐに退室します。ご用件は」
先日と同じだ。
ゆっくりと話がしたいダンテに対して、少年はいかにも早く切り上げたそうだった。
「コルラード・ゾルジ」
ダンテは少年の名を言った。
「と、言うんだな」
「……調べたんですか」
コルラードは露骨にイヤな顔をしてみせた。
「どうしても知り合いの親戚か何かではないかと気になって」
「このまえお尋ねになった名前に心当たりはありません」
「きみのお母上の名ではないのか?」
コルラードがこちらを睨むように見る。
リュドミラの表情との共通点を見つけようとしたが、何も見つからなかった。
考えてみれば、彼女はこちらを向いてくれたことすらなかったのだ。
「……どこまで調べたんですか」
「とくに悪意はない。心配しなくて大丈夫」
ダンテは愛想笑いを向けた。
「なにが目的で」
「何って……そうだな」
目的などない。ともかくただ知りたかったのだ。
「僕を調べてもなにも出てきませんよ。実家は没落寸前だし、その実家を継ぐわけでもない」
「知っている」
それもか、とコルラードが不快そうにつぶやく。
「意外な縁のある同士で知り合ったんだ。せっかくだから、こんどうちでお茶でも」
ダンテは笑いかけた。
コルラードが眉根をきつくよせる。
「いや……変な意味ではない。ただふつうにお茶を」
「分かってます」
コルラードは、逸らし気味だった顔をさらに逸らした。
「調べたなら分かるでしょう。僕の母は、あなたのお父上の愛人だった」
「そうだな」
ダンテは質素なテーブルの上で手を組んだ。
「ならば会うべきではないのも分かるでしょう」
「いやそこはよく」
コルラードが眉をよせる。
「愛人の息子なんて、よく話をする気になれますね」
「とくに気にもならんが」
ダンテは答えた。
「僕があなたの立場なら、わざわざ会ったりなんかしない」
「なぜ」
「汚らわしいではないですか。愛人など」
ダンテは思わず目を丸くした。
愛人が汚らわしいとは。
かわいらしい価値観だ。新鮮すぎる。
「潔癖症なのか」
ダンテはつい笑いを漏らしてしまった。
潔癖で他人にも自分にも理想が高いのか。この年ごろはたいていそんなものだが。
「汚らわしいと思わない人がおかしいんです」
「大人はみんな汚いと息巻いている年ごろだな」
ダンテは肩をゆらして笑った。
「私はとくに愛人に嫌悪感というものはない。むかしからだが」
「母と面識があったんですよね。お父上をたぶらかしている存在を、なんとも思わなかったのですか?」
ダンテは背もたれに背をあずけて、コルラードの顔を見上げた。
清純な少女のような顔が、嫌悪でイラついている。
つい唇の端を上げた。
かわいらしい。思わずイタズラ心が湧いた。
こんな潔癖な子にいかがわしいことを話して聞かせたら、どんな顔をするのか。
つい見てみたくなる。
「私もときどき、彼女を父からお借りしていたので」
ダンテは言った。
コルラードがぎょっとした顔で蒼い目を見開く。
「ベッドの上での彼女は、非常に魅惑的だった。白い肌がとてもなまめかしくて」
コルラードが頬を強ばらせる。
この上なくイヤそうな表情だが、動揺して退室することすら思いつかないようだった。
「本能にとても忠実で、何をして欲しいかはっきりと口にする方で」
コルラードの唇が、何か言いたそうに小刻みに動く。
混乱しているのか言葉は出ず、視線を左右に泳がせた。
ダンテは椅子から立つと、おもむろにコルラードに近づいた。
上体をかがめてコルラードの耳元に唇をよせる。
「意味は分かるか?」
コルラードがゴミでも見るような目つきでこちらを見上げる。
ようやく何か言いかけたが、先にダンテが声を発した。
「ウソだよ」
そう言い、コルラードから離れる。
「冗談だ。きみのお母上には、あこがれていたが見向きもされなかったよ」
コルラードが、困惑とも軽蔑ともとれる目つきでダンテを見る。
本人にしてみれば、せいいっぱいの威嚇の目つきなのだろうか。
かわいらしいとしか感じられないのだが。
思えば、リュドミラにふられた当時は彼と同じ年齢だったのだ。
なるほど。とても大人の男には見えんと思った。
「とてもあこがれていたんだがな」
ダンテは苦笑した。