NON TORNERÒ A CASA LA SERA 夜は帰らない I
部屋のドアがノックされる。
呼びかけてくる声は、オルフェオのようだ。
コルラードは返事をせず、窓ぎわからドアを見た。
あいかわらず昼間はひまつぶしに庭をながめていることが多い。
さきほどは正門から馬車で出ていくダンテを見かけた。
人を閉じこめておいて外出かとイラついたところだ。
やや間を置いてから、オルフェオがカチャリと鍵を開ける。
入室の許可を待つつもりはないらしかった。
ドアを少しだけ開けて、こちらを見る。
「御用の向きがありましたら」
オルフェオは、微笑して軽く部屋のなかを伺った。
入室してもとくに都合の悪い様子ではなさそうだと見当をつけたのか、大きくドアを開ける。
「外出なさるのならまたお供しますよ」
オルフェオが言う。
「もちろんダンテ様の許可を得てからになりますが」
「前々から思っていたんだが」
コルラードは窓ぎわから離れ、ドアに近づいた。
「ドア越しに話したほうがいいんじゃないか? 必要以上に僕と接触して間男と誤解されたら最悪暇を出されるのでは」
「拳銃を向けたくないとは言われましたね」
オルフェオが言う。
「ほら見ろ」
コルラードは眉をよせた。
「全方位に向けて気違いなんだな、あの男は」
「まあ、私は恋人がいるからか、いまのところはあまり疑う気はないみたいですよ」
オルフェオが微笑する。
「ウベルトは妻女がいるのに疑われていたが」
「あの者は素性が素性だからでしょう」
コルラードは従者の顔を見た。
「……恋人がいるのか」
「いちおう」
オルフェオが答える。
「ダンテ様も旧知の方なので、仲のほどもまあまあ分かっているというか」
「旧知とは? 相手は男なのか?」
オルフェオが鼻白んだような表情でこちらを見下ろす。
「女性ですよ。ダンテ様の遠縁にあたる方で」
「情交はするのか?」
「まあ……それは」
「性処理だけの情交と、そうではない情交はなにか違うのか?」
ダンテがよく座っている読書机をながめ、コルラードは問うた。
「は?」
「あなたの主人がよくそう言っている」
体感的には毎夜一回は聞かされている印象だ。
「……そんな話をしているんですか」
オルフェオがあきれたように眉をよせる。
「もう少しおもしろいことでも話してさし上げればいいのに」
「違いなんてないだろうに」
「ちなみにダンテ様はいま、その性処理に出かけられていますが」
コルラードは思わず目を見開いてしまった。
なにかイラついたものを感じるが、嫌悪感だろうか。
「……ついて行かないのか」
「ほかにも従者はいますから」
オルフェオが答える。
「私だともう終わったのかという顔をするので、いやなんだそうです」
コルラードはつい眉間にしわをよせていたことに気づいた。さりげなく表情を戻す。
「あの方はわりとさっさと済ませますから。いそがしいというのもあるんですが」
「以前、暇な身だと言っていたが」
「言うほど暇でもないですよ。海洋貿易をやめたぶんは少し仕事が減ったのかもしれませんが」
「財産管理だけの隠居のような身だと」
「あなた相手なので冗談として言ったのでは。財産と税収の管理だけしている御家が一般的でしょう。商売までやっていたほうが珍しい」
コルラードは目線を横に流した。
「……さっさと済ますというのは、どれくらい」
「まあ、ちょっとひとやすみのつもりで待っていればという感じですかね」
自分のときとだいぶ違うなとコルラードは思った。
ちょっとひとやすみどころの時間ではない。
終えたと思ってもふたたび口づけをはじめ、いつまでも離してくれない。
長々と頬に接吻したりして、とるに足らないことを聞いてくる。
必ずといっていいほど「もう一回」と要求し、終わったあとまで抱き合って寝たいとせがむ。
「あなたのときは、ねちねちと時間をかけているんですか」
「なんで」
コルラードは弾かれたように顔を上げた。
「そう言いたそうな顔をしたから」
さきほど女中がつけていったロウソクのあかりが、読書机の上でゆれている。
夕食を終えて食器が片づけられてから、だいぶ時間が経っていた。
コルラードはドアのほうをながめた。
ダンテはいまだ部屋に戻らない。
いつもなら夕食の前後には入室して来るのだが。
なにかあったのかと多少は想像してみたが、どうせ執務の都合だろう。
こう何日もひとつの部屋に閉じこめられていると、外の世界からとり残されたような気分になる。
外で多少の大事が起こっても、自分だけが気づかない可能性もあるなと思った。
考えてみれば、ダンテは外の情報をほとんど話さない。
その話になるまえに会話が途切れてしまうのか、それともなにか思惑があってのことなのか。
暖炉のまえに設えられたテーブルから離れ、コルラードは窓ぎわのカウチのほうに向かった。
またぼんやりと座ってすごすことになるなと思う。
ロウソクのあかりでは、うす暗くて本を読む気にはなれない。
ダンテはよくこんなあかりのなかでまで執務の資料を見ているものだと思う。
カウチに座ろうとしたとき、ドアがノックされた。
「コルラード」
ダンテの声だ。
「入っていいか?」
ようやくかとコルラードは思った。
「……どうぞ」
しずかにドアを開けて入室したダンテは、こちらを見るといつものように目元をゆるませた。
「きょうはずいぶん遅……」
「変わりはなかったか」
コルラードは口をつぐんだ。
戻るのを待ってたと誤解されかねない。
「何か不都合なことは?」
ダンテがそう問いながら椅子の背もたれにかけていた部屋着を手にとる。
いつもなら部屋に戻るとまずクラバットを外す。
きょうは違うのか。
コルラードはダンテの動きを目で追った。
「あとはゆっくりしていい。私はべつの部屋で寝るから」
ダンテが部屋を出て行こうとする。
目を丸くするコルラードを見て、説明不足だと思ったのか付け加えた。
「べつの寝室を用意させた」
コルラードは目をぱちくりとさせた。
「あかりの消し方は分かるか。分からなかったら、女中にあとで来るよう言っておくから」
「そのくらい分かります」
「部屋にあるものは好きに使っていい」
ダンテが言う。
「……鍵はかけていくが、呼べばだれか来るよう言っておくから」
ダンテがドアノブに手をかける。
「僕をここから出せば済むのでは?」
ようやく話が呑みこめた。いったいなにをしているのだ、この男は。
「……出さない」
ダンテがドアのほうを向いたまま答える。
「やっていることの意味が分からない。僕をここから出して、あなたがここを使えばいいのでは?」
「ともかくあとは好きにすごしてくれ」
ダンテが、いっさい疑問は受けつけたくないという感じで言う。
「執事や従者や重要な使用人はなんて言っている。だれもなにも具申しないのか」
「……きみには関係ない」
「僕に飽きたのなら、さっさと後始末をしたほうがいい。ここから出して養子を解消して」
「だれが飽きたと言ったんだ」
ダンテは語気を強めた。
「……きみが、触るなと言ったからじゃないか」
「よろこんで触らせてくれる人間を呼べばいい。なにをややこしいことをしているんですか」
「……きみの体じゃないじゃないか」
「おなじくらいの年齢の男娼ならだいたいおなじでは」
「おなじじゃない。何回言わせるんだ」
不意にダンテがふり向く。
こちらに歩みよった。
ゆっくりと手を差しだし、コルラードの顔の横で止める。
「……髪なら、さわっていいか」
行動の不可解さにコルラードは戸惑った。
無言でダンテの顔を見上げる。
ダンテはしばらくこちらを見つめていたが、ややしてから手を下ろすときびすを返した。
「おやすみ」
そう言いうと、ドアを開けて部屋を出て行った。




