TÈ NON TI SERVE いらない紅茶 I
ダンテが執務を終えて私室に戻ると、女中がドアを開けようとしていたところだった。
そのまま開けさせ部屋に入る。
女中は、紅茶を淹れたトレーを手にしていた。
「コルラード様に」
「ああ……そうか」
ダンテは言いながら部屋の奥を見た。
奥の小部屋からコルラードが姿を現す。
「紅茶を頼んだのか」
ダンテはそう尋ねた。女中から紅茶を受けとり、コルラードにさし出す。
コルラードは無言で紅茶を見ていた。
まったく受けとろうとしない。ダンテは苦笑した。
「私にはワインを」
女中にそう言いながら、もよりの小さなテーブルに紅茶を置く。
「先日、いい貴腐ワインが手に入ったんだがいっしょに飲まないか?」
コルラードが無言で眉をよせる。
視線を横に流し、不機嫌そうな表情になった。
「このまえ少しだけ飲んだんだが、なかなかいい香りで」
コルラードがなぜか唇に手をあて、目をそらす。
「そういえば、強めの酒はあまり飲まないんだな」
ダンテは言った。
「いっしょに酌み交わせるようだと楽しいんだが」
「あなたと飲んで楽しめるわけがないでしょう」
コルラードがようやく口を開く。
ダンテはクラバットを外しながら苦笑した。
この部屋でのコルラードとの生活は、会話もなくそっぽを向かれていることが多かったが、それでも幸せだった。
だれにも取られる心配がないとなると、つれない反応でも嬉しく受け止められる。
部屋に帰りコルラードの姿を確認するたびに、心臓にじわじわと甘い痺れがひろがり、ほろ酔いのときのように脳も表情も蕩けてくる。
何でも許してしまえる気分になれる。
「兵営の友人とは、飲むことはあったのか?」
コルラードは向こうを向いたまま答えない。
「何なら、友人なら呼んでもいい。そのときは応接室を用意させる」
「それでなにを話せと?」
コルラードがイラついた口調で返す。
「あなたの養子になっている理由は? なんと言えと?」
「そのまま言えばいいじゃないか。実の兄がうしろ楯になったのだと」
「なにが実の兄か」
コルラードは吐き捨てるように言うと、きびすを返して小部屋のほうへ行く。
「飲まないのか?」
ダンテは紅茶を指した。
コルラードが途中でいちど足を止める。
「あなたの従者からは」
「どの従者だ?」
ダンテは袖の留め具を外しながら尋ねた。
コルラードは向こうを向いたまま答えない。
「ここに来るとしたらオルフェオか?」
ダンテは出入口のドアのほうを見た。
「何か用を言いつけたのか?」
コルラードは、何も言わず小部屋に向かった。
「コルラードと何か話をしたのか?」
昼少しまえの執務室。
ダンテは書類に羽根ペンを走らせながら尋ねた。
執務机の横の大きな窓からはやわらかな陽光が射し、臙脂色の絨毯に窓枠の影を作っている。
書類棚を整理していたオルフェオがふり返る。
「きのう」
「ああ……」
そうつぶやき、書類を項目ごとに分けて引き出しに納める。
「コルラード様は何か言っておられましたか」
「従者は、とだけ」
オルフェオは、少しのあいだ黙って書類整理をしていた。
しばらくして口を開く。
「紅茶を飲みたいと言われまして」
「なぜおまえに」
「たまたま用事を伺いに行ったからではないですか?」
ダンテは机上にあった書類を手にとった。
頬杖をつき黙読する。
「まったく口をつけずにいたんだが」
「お気が変わられたんでしょう」
オルフェオがそう返す。
「けっきょく私が飲んだ」
「そうですか」
ダンテは頬杖をつくのをやめ、姿勢をもどした。
羽根ペンで二、三度インク瓶の底をつつく。サインをして書類を横に置いた。
「紅茶が好きなのかな」
「さあ。そこまでは」
「高級な葉など取りよせたら、喜んでくれるだろうか」
「あまり美食家という感じではなさそうですが」
オルフェオが書類整理を終え、こちらへと来る。
「男の子への贈りものなら武器や馬が定番では」
「そんなものを渡したら、私を殺して逃げてくれと言っているようなものじゃないか」
ダンテは顔をしかめた。
「男の子を閉じこめたらそうもなるでしょう」
執務机の上に重ねてある資料を手にとり、オルフェオが表紙を確認する。
片づけていい、というふうにダンテは手で指示した。
「閉じこめて愛でたいのなら、おとなしい性格の女性にしたらいい」
「あの子が女性なら問題なかったのか……」
ダンテは額に手をあてた。
「女性なら妹君です。いまよりまずい」
言いながら、オルフェオが奥の棚へと向かう。
「おまえ、だれの味方だ」
「事実を申し上げているだけです」
ダンテは背もたれに背をあずけると、宙を見上げた。
資料を棚に収めてこちらに戻ったオルフェオが、おもむろに言う。
「休憩しますか」
「休憩する」
ダンテは肘をついた。
「何か軽く召し上がりますか?」
「いらん」
ため息をつく。
「コルラードはどうしている」
「さきほどお部屋に伺ったさいは、窓ぎわからこちらを睨まれていましたが」
「紅茶はいらないか聞いてやれ」
ダンテは言った。
「お聞きしたら、さらに睨まれました」
「……どんな聞き方をしたんだおまえ」
ダンテは眉をよせた。
「きのうの紅茶をお届けするまでの経緯が少々お気に召さないのかもしれませんが」
オルフェオが机上に雑に重ねられた書類をトントンとそろえる。
「それを抜きにしても、イラついていらっしゃるようですね」
オルフェオが言う。
「外出を許可してさし上げては」
ダンテは無言で目線をそらした。
一歩でも外に出そうものなら、逃げられてしまいそうで不安なのだ。
庭先に出してすら、あの裏社会の男とどうにか連絡をつけてしまうのではないかと想像する。
あの男でないにしても、べつのだれかが門の外からコルラードを見初めて誘いだしてしまったら。
不安でたまらない。
あんなにかわいいのだ。
よくいままで平気で外を歩かせていたと目眩がする。
いまでもほんとうは私室に戻って姿を確認したい。
いっそ私室で執務を行おうか。
それとも昼間は執務室にコルラードを。
「ダンテ様」
オルフェオがやや語気を強めて呼びかける。
「ここにコルラード様を置いて執務をしたいなどとは、お考えになっていないですよね?」
ダンテは思わず上半身を引いた。




