FALSA TENTAZIONE 偽りの誘惑
「入っていいか? コルラード」
ダンテの声だ。
尋ねながらふたたびノックをする。
コルラードは、ウベルトの背中を押してドアのほうを伺った。
「帰れ。おまえ相手じゃ、ほんとうになにをするか分からん」
「そうみたいですね」
ウベルトが複雑な表情をする。
「どれくらいで屋敷の敷地内から出られる」
「一人だし、すぐですよ」
ウベルトがニッと笑う。
「そうか」
コルラードは出入り窓を開け、ウベルトをバルコニーに促した。
「気をつけて帰れ」
ウベルトが二、三度うなずき、バルコニーの手すりの下をうかがう。
バルコニーにかかる木々に身を隠すようにして手すりをこえる。手慣れた感じで階下のほうへと消えた。
「コルラード?」
ダンテが訝しむような声で呼びかける。
コルラードはカーテンを閉めると、出入り窓を背にした。
「……どうぞ」
ダンテが入室する。
コルラードの姿を見たとたんに目もとをゆるませ、泣き笑いのような表情になった。
この部屋に帰ってくると、いつもこんな表情をする。
コルラードに目線を合わせたまま、いつも何を言ったらいいかというふうにソワソワとするのだ。
ややしてから、ダンテが室内を見回す。
「……暗いな」
「え」
コルラードは顔を強ばらせた。
「あかりを」
ダンテがそう言い廊下のほうをふり向く。
室内がうす暗くなりかけていたことに気づく。
ダンテが入口のドアを開け、廊下に向かって「だれか」と呼びかけた。
ややして入室した女中が、読書机の上の燭台にあかりを灯す。
女中が退室するのとほぼ同時に、ダンテは首に巻いたクラバットを外しはじめた。
出入り窓を背に動かないコルラードに目を止める。
「窓を開けたのか?」
「えっ……」
「カーテンが挟まっている」
コルラードは窓の開閉部分を見た。
はさんだのに気づかずムリやり閉めてしまっていたのか。無言でカーテンを引っぱる。
「だれかに閉めさせればいいのに」
袖の留め具を外しながらダンテが窓に近づく。
「いえ……」
コルラードは戸惑った。
ウベルトが、まだ窓から見える位置にいるかもしれない。
もしダンテがバルコニーに出たとしたら。見つかりはしないだろうか。
「あの」
コルラードは、ダンテの胸元を両手でおさえて引き止めた。
目が合う。
どういうつもりだろうというふうにダンテが軽く目を見開く。
「どうした?」
「……いえ」
コルラードが目をそらすと、ダンテは手を伸ばして窓を開けようとした。
「あの」
コルラードはとっさにダンテと窓とのあいだに割りこんだ。
不可解な表情をするダンテの両肩に手を置き、背伸びをして口づける。
ワインの香りがした。
極甘の貴腐ワインか。
この部屋に来るまえに飲んでいたのだろうか。どうでもいいことを想像する。
ややしてからダンテがコルラードを抱きしめる。髪をぐしゃりとつかみ、まさぐってきた
なんども口づけされているのに、舌の使い方はよく分からない。
見よう見まねで芳醇な香りのする舌に自身の舌をからめる。
甘く濃厚なワインを、たったいまこの舌で味わってきた。
この舌の上で、芳香を堪能して満足した息を吐いて。
そんなことを長々と想像する。
まるで口移しで飲まされているようだ。
ダンテの舌が動く。
手本を示すようにコルラードの口腔の奥に分け入った。
濃密なワインのしずくを分け与えるように舌をからめる。
やがて唇を離すと、ダンテはかなり困惑した表情でこちらの目を覗きこんだ。
コルラードは目をそらした。
ここでベッドに誘うようなことを言えば完璧なのだろうか。
ウベルトが逃げる時間を稼いでやれる。
だがそこまでのセリフを口にするのは、さすがに自尊心が許さなかった。
「……あの」
なんとかうまく窓から目をそらせられないだろうか。
コルラードは言葉をさがした。
ダンテが目もとを蕩けさせるようにゆるませて、こちらを見下ろしている。
この男は、なぜこんなことくらいでそんなに幸せそうな顔をするのか。
母の代わりとキスするのがそんなに嬉しいのか。
「その」
コルラードは、とりあえず窓とはちがう方向を向いた。
「していいのか?」
ダンテが尋ねる。
コルラードは無言で目をそらしていた。
いいなどとは答えたくない。
なんとなくロウソクのあかりに目がいく。
「……ああ」
ダンテは燭台に近づくと、あかりを消した。
とくに意味があってロウソクを見たわけではない。できることなら消してほしくなかった。
このあかりが消えたことで、ウベルトは何が行われているか察するだろう。
それだけで、自尊心が崩れた気がした。
「コルラード」
ダンテが髪に口づけながらコルラードのシャツの襟に手をかける。
「きみのほうから来てくれるなんて」
ダンテが嬉しそうに声を浮わつかせる。
脱がされたシャツが床に落ちる。
おおいかぶさるようにして、夢中で捕らえてくるダンテの身体が熱っぽい。
ふと、こんなとき手はどうしたらいいのかと思った。
ぎこちなくダンテの背中に手を回す。
筋肉がきっちりとついていることに気ついた。
自分とはまったくちがう大人の男の身体だ。
「コルラード」
ダンテが興奮した息を漏らす。
上気した唇で肩に口づけられ、肩が熱い。
ダンテが譫言のようにコルラードとつぶやきながら、素肌を夢中でまさぐる。
ただ侵入者から目をそらさせられているだけなのに、この男はそんなに幸せなのか。
頭の片隅でそんなことを考えた。




