VA ALL'INFERNO 地獄に落ちろ I
城壁内の端のほうにある労働者や職人がおおく住む界隈。
道はせまく入り組み、ところどころからニワトリが飛びだしたりした。
ときおりぼんやりとした目で路上生活者が道を横切る。
そのたびにヴィラーニ家の御者は、イラついた様子で馬車を停止させた。
通る者たちがふしぎそうにこちらを見ながら、場ちがいな貴族の家の馬車をよける。
屋形のなかでダンテは唇をかんだ。
コルラードは、こんな似合いもしない猥雑な界隈に何がよくているのか。
こんな不衛生でガラの悪い場所でも、その男といっしょならいいというのか。
「熱は出ていませんか?」
馬車の立ち台からオルフェオがこちらに声をかける。
「くれぐれも無理はなさらないでください」
オルフェオがそう言ったのと、御者が馬車を止めたのとはほぼ同時だった。
「ここですかねえ」
御者が横のほうを見る。
石だたみの道の途中。
道にそってつづくレンガの壁に、いくつかの扉がならんでいる。
「そこの赤茶色の扉ですかね」
御者がうしろをふり向き、立ち台にいるオルフェオに確認する。
御者が言い終えるがはやいか、ダンテはみずから屋形のドアを開けて馬車から降りた。
「ダンテ様!」
オルフェオが立ち台から降りる。
ダンテを静止しようとしながら、御者に待機しているよう言いつけた。
ウベルト宅と思われる扉を、ダンテは乱暴にたたく。
「ダンテ様、まずは経緯を」
オルフェオが背後からそう言ったが、ダンテは返答せず扉をたたきつづけた。
「はい?」
住人と思われる男が、訝しげな表情で顔をだす。
おもながの顔に無精髭を生やし、飄々とした態度に反して目つきだけが妙に鋭い。
いかにも無頼という雰囲気の男だとダンテは思った。
「ダンテ様」
ダンテのつぎの行動を察したのか、オルフェオがダンテを止めるように手元に手を添える。
ダンテはオルフェオの手をふりきり、男の額にフリントロック銃を押しつけた。
「えっと……」
男が両手を肩のあたりに上げる。
「ヴィラーニのご当主?」
男が怯えることもなくそう尋ねる。
「ウベルトか」
「よくここが分かったなあ」
ウベルトが苦笑する。
ダンテは眉根をきつく絞りウベルトを睨みつけた。
なぜ自分の顔を知っているんだという疑問が頭をかすめたが、それよりもコルラードと毎晩愛し合っているかもしれない男だというほうが重要なのだ。
「もう動けるほどお元気なんで?」
「コルラードはどこだ」
ウベルトが何も答えずに苦笑いする。
ダンテは、ウベルトの肩越しに家のなかを見た。
「コルラード!」
奥のほうに向かって呼びかける。
屋内のドアを開け幼児を連れてきたコルラードが、こちらの様子に気づき顔を強ばらせた。
「やめろ! なにを考えてるんだ!」
コルラードが駆けより、ダンテとウベルトのあいだに割って入る。
何日ぶりでコルラードの顔を見たのか。
元気そうだ。
ダンテの目元が一気にほころんだ。
思わずコルラードを抱きしめようとした。
だが。
コルラードがウベルトを庇い、ダンテに対して立ちはだかる位置にいるのに気づき愕然とする。
「はいはい。ダンテ様」
オルフェオが子供を叱るような口調で止めに入る。横から安全装置をおさえて銃身をつかみ、銃口を下げさせた。
「あ……あの」
炉辺のまえでおろおろしているのは、ウベルトの妻だろうか。
ダンテはそちらをチラリとだけ見た。
「申し訳ありません、奥方。この方、ケガの熱で少々浮かされていまして」
オルフェオが愛想笑いをしてそう声をかける。そのままスッと真顔になると、コルラードに目線を移した。
「何が原因のケガか、分かっていますよね。コルラード様」
「コルラードは関係ない! 何を言っているんだおまえは!」
ダンテは従者を怒鳴りつけた。
ウベルトが、何かに思いあたったような表情でダンテの顔をながめる。
ダンテは従者の手をふりはらい、あらためて銃口をウベルトに向けた。
「貴族の子弟を手篭めにするとは。覚悟はできているな」
「は? ……ご当主?」
「なにをやっているんだ!」
コルラードが割って入る。
ダンテの腕を身体ごと押して、強引に銃口を退かせた。
「コルラード」
ウベルトを庇っているとは思いたくなかった。
勘違いだと思いたい。
「こいつに拐かされていたのだろう? イヤイヤここにいたのだろう?」
「デタラメばかり言うな!」
「そう言ってくれ!」
ダンテは裏返りそうな声で叫んだ。
「きみがこんな男と、望んで関係するわけがない!」
ウベルトが困惑した表情で頭をかく。
「気のせいか、ご当主どっか誤解なさってませんか?」
「ケガの発熱のせいなのでお気になさらず」
オルフェオが冷静に言う。
「ふざけるな!」
コルラードが声を上げた。
「望んでここにいたんだ! できることならずっとここにいたいと思った!」
「こんな男のどこが!」
ダンテは銃口でウベルトを指した。
「ダンテ様」
銃のあぶない扱いをオルフェオが咎める。
「あなたのところにいるより何倍も居心地がいい!」
「この男の体の下がそんなにか!」
「なにを言っているんだ!」
コルラードが荒くため息をついた。
感情をおさえた落ちついた表情になり、ダンテを正面から見すえる。
「……銃を引いてください」
「だめだ。一家全員を誘拐犯として処罰する」
ダンテはそう告げた。
「一家って」
コルラードがつぶやく。
ウベルトの息子らしき幼児をちらりと見た。
「子供もだ」
「ムチャクチャだ!」
コルラードが叫ぶ。
「こんな男のどこがいい!」
ダンテは裏返りそうな声で叫んだ。
「きみの実家を食いものにしていた男じゃないか!」
銃身でウベルトを指す。
「私ほどきみに気づかいもしないし、楽しませる努力もしないのだろう?!」
ふとダンテは、ウベルトの下半身に目線を落とした。
「それとも持ち物の大きさが……」
「ああ、はいはい」
オルフェオがうしろから手を伸ばし、ダンテの口をふさぐ。
「ご婦人もいるところで何を言っているんですか、あなたは」
ダンテの口をおさえたまま、ウベルトの妻に愛想笑いを向ける。
「すみません、奥方。すぐに引きとりますので、お気になさらず」
そのままコルラードのほうを見る。
「コルラード様」
コルラードが無言で目線を上げる。
「あなたがお戻りになれば、丸くおさまります」
オルフェオはさらにガッチリとダンテの顔を押さえこむと、強引に横を向かせて目を合わせた。
「ダンテ様」
有無を言わせぬ口調で言う。
「コルラード様がお戻りになりさえすれば、この一家はかまいなしでいいですね?」
ダンテはモゴモゴとくぐもった声を発しながら、従者を睨んだ。
とりあえず手を離せと言いたかったが、オルフェオのつよい目線に気圧される。
「しますね?」
「すいませんね、従者の旦那」
ウベルトが苦笑した。
「あなたのためではありませんよ。男の子をあいだにはさんで庶民を射殺したなんてことになったら、えらい醜聞になる」
オルフェオが、スッとウベルトのほうに顔を向ける。
「あなたがウベルト」
「はあ」
「なかなか翻弄された。おもしろかったです」
オルフェオはそう言いダンテから手を離した。
「そんな男をなに褒めている! そんな男が私のコルラードを!」
「熱で浮かされている人はもう黙っていなさい」
「ご当主」
ウベルトが一歩前に進みでる。
「お命に別状なくて何よりですが」
軽く眉をよせる。
「お言葉ですが、たいがいじゃないですかね。子供相手にひどい大ウソついて、合意に追いつめるとか」
「いい。ウベルト」
いつの間にか上着を着こみ、留め金まできちんととめたコルラードが話に割って入った。
「迷惑をかけた」
コルラードがそう言う。ウベルトの妻のほうをふり向いた。
「エルサも」
「坊っちゃん」
ウベルトが複雑な表情で声をかける。
ダンテはその様子を睨みつけるように見ていた。
コルラードが男にあいさつの言葉をかけているのすらイラつく。
このあいさつの裏に、二人にしか分からない甘いやりとりがあるのではと勘ぐった。
行儀のよい靴音をさせ目の前まで来ると、コルラードは上目遣いでこちらを睨みすえた。
この男のもとでは、くつろいでいたくせに。
居心地がよいとまで言ったのに。
こちらはそんな目で睨むのか。
「……帰るぞ」
ダンテは、きびすを返してコルラードを外に促した。
コルラードにいったん背中を向ける。
そうしなければ、泣きそうにゆがんだ表情を見せてしまいそうだった。




