GELOSO DELLE DELUSIONI 妄想に嫉妬する III
薔薇の生けられた花瓶は、ここ数日でだいぶ減った。
ここのところヴィオレッタ嬢は、見舞いの品を薔薇から焼き菓子に変えていた。
香りのだいぶうすらいだ部屋に入室すると、オルフェオが冷静な顔で切り出す。
「ここ最近でコルラード様らしき方の遺体、もしくは人買い等に拐かされたという情報もさがしてみましたが」
「おまえ……」
ベッドの上。
ダンテは一気に不安な気持ちにつき落とされて顔をしかめた。
「可能性はいちばん高いですから。とりあえずあたらないと」
「……あったか」
「いまのところまったく」
ダンテはホッと息を吐いた。
「やはり、だれかといっしょなのは確かでしょう」
オルフェオがゆるく腕を組む。
「いくらしっかりなさっているとはいっても、良家のお屋敷と兵営くらいしか知らない方です。それ以外の界隈で一人で身の安全を図れているとは思えない」
オルフェオが二つ折にした紙片をさし出す。
ダンテは、交換するように膝の上に置いていた焼き菓子の皿をオルフェオに渡した。
「食べていい」
「甘いものはあまり」
オルフェオが答える。
「私も苦手だ」
「存じています」
オルフェオはそう返して、受けとった皿をサイドテーブルに置いた。
「苦手と知って運ばせたのか?」
「例の令嬢のお見舞いの品です。いちどくらい味の感想をお伝えしないと失礼でしょう」
「おまえの感想をそのまま伝えていい」
ダンテはうしろに置かれた枕に背中をあずけた。
「 “おいしかった、ありがとう” でよろしいですか?」
「それでいい」
コルラードが戻ってきて口移しで食べさせてくれるならぜんぶ食べられそうだがとつい考える。
オルフェオから受けとった紙片を手元で開く。
いくつかの数字がならんでいた。
「日付か?」
「たぶん」
オルフェオがそう返す。
「コルラード様のお部屋に、そんなふうに数字を書いたメモが何枚かありました」
日付だとしたら、いなくなった当日のものもある。
「だれかと定期的に会っていたみたいですね」
「男か? 女?」
「そこまでは分かりませんが」
オルフェオがゆるく腕を組む。
「女性と会っていたなら、お部屋にそれらしい残り香があってもいいかと。まあ、日にちが経っているせいかもしれませんが」
「いなくなった日に部屋に入っている。残り香などなかった」
「そうでした」
オルフェオが答える。
「コルラード様が、あなたを刺した直後」
「刺されていない」
ダンテは語気を強めた。
オルフェオが面倒そうに息を吐く。
「……いなくなったと思われる時間帯、コルラード様が門から出て行くのをだれも見ていないそうです」
ダンテは顔を上げた。
「私もとうぜん通ったはずと思いこんでいたので、直後にはそこまでの聞きとりはしなかったのですが」
オルフェオが、強調するようにゆっくりとした口調で言う。
「生真面目でお行儀のよいコルラード様に、門以外から出ていくという発想があるでしょうか」
ダンテは従者の顔を見つめた。
たしかにイメージしにくい。
「まして、大事をやらかして興奮状態であろうときに」
「刺されていないと言っている」
「刺されたと言っていません。大事をやらかしたと言いました」
オルフェオが返す。
「手引きをした者がいる可能性を考えてもよろしいかと」
オルフェオが険しい表情になる。
「いるとすれば、門番のいる屋敷にすんなりと忍びこみ、目立ちそうなコルラード様を連れて逃げおおせるということをやってのける人物ですが」
「そんなあやしげな者にコルラードがついて行くわけがないだろう」
ダンテはイライラと紙片をもてあそんだ。
「コルラード様と関わりがあったなかで、これだけはないだろうと思い除外していた者が何人かいるのですが」
「どんな者だ」
「おもに金貸しの関係の者ですね。あまり正当ではない感じの」
「ゾルジ家と関わっていた連中か」
ダンテは鼻で笑った。
「それはさすがにないだろう」
「たしかにほとんどの者はゾルジ家の執事としか会話はしていないようですし、コルラード様もそういった者に積極的に話しかけたりするお方ではないでしょうが」
手元の紙片が、もてあそぶたびにカサカサと音を立てる。
「ただ一人だけ、コルラード様にやたらとちょっかいをかけていた者がいたようで」
「ちょっかい?」
ダンテは顔をしかめた。
「べつにおかしな意味のちょっかいではありません。コルラード様がいちいち生真面目な受け答えをされるので、おもしろがってからかっていたようですね」
「そんな者を頼ったりはしないだろう」
ダンテは、はっと息を吐いて笑った。
「名前はウベルト。裏取引やあやしげな金貸しの仲介なんかをやっている男です。そのさいに知った事柄をゆすりに使ったり、情報屋として売ったりしているようですが」
オルフェオが説明する。
「いわゆる裏社会の男ですね」
「除外しておけ。コルラードが、そんなのといっしょにいるわけがないだろう」
オルフェオが顎に手をあてる。
「私は、情報屋という部分が気になっているのですが」
「おまえとは格段の差だ」
「私は情報屋という扱いだったのですか」
オルフェオが鼻白んだような表情で問う。
「……調査能力で対抗意識を持ったわけじゃないのか」
「ああいった者の情報料は、さほど高額ではありません。調査内容にもよるでしょうが、一回一回は、ちょっとした食事程度の金額です」
オルフェオが言う。
「コルラード様があなたから手渡された小遣いでも、じゅうぶん支払える」
オルフェオは腕を組んだ。
「コルラード様とのあいだに、どんな問題をこじらせたかは存じませんが」
「うっ」とダンテは顔をしかめた。
「コルラード様は、この者から何らかの助言か情報提供を受けていたのでは」
父親の不正について調べさせたのか。ダンテはそう思いいたり唇を噛んだ。
それでウソだと気づいた。
話の筋は通る。
たしかに友人などには相談できなくても、こういった者になら仕事として依頼することはできるだろう。
「だがその後の行き先がつかめないのは? その者は逃亡先の斡旋までするのか?」
「そこまで請け負うという話はないようです」
ダンテは前髪をかき上げた。
「ならばその者も、コルラードの居所の手がかりにはならないだろう」
「その先は、個人として動いたということなのでは」
「個人……」
「仕事としてではなく、プライベート上の問題として」
ダンテは無言で眉をよせた。
胸やけのようないやな感覚がじわりと湧く。
「ゾルジ家の事情も知っている者ですし、コルラード様を気に入っていたなら、同情した可能性も」
チリチリと胸が焦げるような感覚が、どんどん広がっていく気がした。
その同情を、コルラードは受け入れたのか。
私の弁解を聞こうともせず。
「仕事としてではないとすると、自宅かごく周辺の関係先に居所を提供している可能性が高い。さほど時間はかけず調べられると思いますが」
「……分かった。その男の周辺を調べろ」
そうダンテは指示した。
落ちついた口調で返事をして、オルフェオが退室する。
ドアの閉まる音を聞きながら、ダンテは膝にかけた毛布をじっと見つめた。
コルラードの実家の事情を知っている、自分よりもつきあいの長い男。
おそらく実家にいたころのコルラードの様子も知っているのだろう。
だからコルラードは、なついて助言を求めたのか。
こちらの弁解を聞くこともせず、その者の助言だけを信用して刺したのか。
動揺しているであろうときに、当然のように夜道をついて行ったのか。
いまごろ、その男と抱き合っているのか。
ウソをついてムリやり体を開かせた男を、惨めなやつだとこき下ろしながら裸でつながっているのか。
裸で、毎晩その男とベッドの上で。
私には見せたこともない笑い顔を見せていたりするのか。
嫉妬が募る。
頭がおかしくなりそうだ。




