SANGUE E COLTELLO 血とナイフ I
陽が落ちてだいぶ経っていたが、コルラードがまだ帰らない。
ダンテは玄関ホールになんどか立ちよっては、玄関口の様子を伺った。
ヴィラーニ家の屋敷に住むようになってから、陽が暮れたあとまで出かけていたことはない。
とくにはっきりと門限を言い渡していたわけではないが、そう遅くまで出かける用事もないようだった。
さきほどからは、とうとう玄関まえに入りびたり正門のほうを伺うようになっていた。
女の子とはちがうのだ。
暗くなってもさほど身の安全を警戒せず遊んでしまうことはあるだろう。
それでももう少し帰らないようだったら、さがしに行かせたほうがいいだろうか。
そんなことを考えたときだった。
門扉のところに門番が駆けつける。
馬を連れた人物がなかに入った。
庭の灯りに、髪の色が白っぽく浮かんで見える。
「コルラード!」
ダンテは駆けよった。
コルラードが手綱を持った手を軽く伸ばし、出むかえた馬丁に馬を引きわたす。
その手を横から引ったくった。
両肩をつかみ、こちらを向かせる。
「どこに行っていたんだ」
コルラードが無言で目線をそらす。
また感情的になって怖がらせてしまったのか。ダンテは声をおさえた。
「いや……めずらしく遅かったから」
つかんだ手をゆるめる。
「夕食は? 待っていたんだ。いっしょに」
ほんとうは抱きしめたいところだが、門番や馬丁の手前いやがるだろうと思い控えた。
コルラードは、返事もなくうつむいている。
何かあったのか。
ダンテは表情を伺った。
ふだんも無視はよくされるが、いつもならこのあたりでひとことくらいは返ってくる。
「コルラード」
さりげなくコルラードの全身を見回す。ケガなどはないようだが。
「夕食は?」
ダンテはコルラードの背中を押し屋敷内へと促した。
コルラードは黙っていた。促されるままにゆっくりと歩を進める。
無表情なのが気になったが、人払いをすれば何か話してくれるだろうか。
屋敷のなかに入り食堂広間に連れて行こうとすると、コルラードはようやく口を開いた。
「部屋に」
抑揚のない声でそう告げる。
「お話が」
ダンテは無表情な顔を見下ろした。
「人がいてはまずい話か?」
コルラードは黙っていた。
「私の部屋か? それともきみの」
「……どちらでも」
コルラードの私室に入ったことはなかった。とくに拒否されていたわけではなかったが。
部屋にかざる絵画や寝具、家具を決めたのはダンテだった。
あの部屋をどんなふうに使ってくれているのか、見たい気はする。
「では、きみの部屋で」
そう言うと、コルラードは自室に向かって歩き出した。
出むかえにきた女中に、部屋の灯りをつけるよう言う。
「ああ、それと」
ダンテは、コルラードの背中に向かって言った。
「夕食は、きみの部屋で食べるか?」
コルラードは黙っていた。
「夕食を部屋に。私の分も」
ダンテがそう言うと、女中は軽く礼をした。
部屋にあかりが灯され、オレンジ色に照らされる。
コルラードの睫毛が、目もとに影をつくった。
コルラードの部屋は、陽当たりのいい部屋を選んであげた。
暖炉のまえに小さな丸テーブルと肘かけ椅子。
中央にすえた天蓋つきのベッド、おおきな窓のそばに置かれた読書机。
女中が退室すると、ダンテは即座に手を伸ばした。
顔をそらしたままのコルラードを抱きしめる。
話があると言っていた。
内容は気になったが、まずコルラードの無事をたしかめたい。
いつもより遅い時間帯まで何をしていたのか。
束縛しているといやがられるだろうか。
コルラードは黙ってじっとしていた。
「話とは?」
ダンテは抱きしめたまま尋ねた。
「このままでは話にくいか」
苦笑して少し手をゆるめる。
「父の不正についてですが」
コルラードが切り出す。
ダンテは目を見開いた。
「何だ?」
こんどは何を聞かれるのだろうと動揺したが、平静を装う。
「なぜあのタイミングで話したんですか」
「タイミング……」
「不正なんて重要なことに、なぜあんな取り引きを持ちかけたんですか」
「コルラード?」
ダンテはやわらかな銀髪を見下ろした。
何が言いたいのかと思ったが、とりあえずなだめようと髪をなでる。
「……ウソでしたか?」
「コルラード……?」
「ウソだったのか」
コルラードの手が、ゆっくりと横に動く。
ダンテは横の読書机に目線を向けた。
何か手にしたようだが、ロウソクのあかりの影が濃くてよく分からない。
「コルラード?」
腹部に違和感を覚えた。
何の違和感かと認識するまえに、尋常ではない事態が起こったことを直感が知らせる。
「え……」
コルラードの身体がするりと離れる。
ぬるりとしたものが、ダンテの服の内側を伝った。
白いシャツに、赤い染みが広がる。
「地獄に堕ちろ」
冷静すぎる声でコルラードはそう言うと、きびすを返した。
「コルラー……」
手を伸ばしてコルラードの腕をつかもうとしたが、ガクリと力が抜ける。
絨毯の上に膝をついた。
本能的に腹部をおさえる。
ようやく刃物で刺されたのだと気づいた。
「コルラー……」
コルラードが出入口のドアに向かう。
部屋を出て行くのか。
「待ってくれ!」
ダンテは声を上げた。
腹部に力が入り、はじめて激痛を感じた。
絨毯の上を這いコルラードを追いかけようとするが、どう動きを加減しても痛みが走る。
「待っ……」
コルラードがドアを開ける。
「待ってくれ! 部屋を出ないでくれ!」
ダンテは叫んだ。
話を聞いてほしい。
いや、それよりも。
このまま出て行っては、家の者に罪に問われてしまうかもしれない。
当主を刺した狼藉者として、処罰されてしまうかもしれない。
きみが刺したのではないと証言して、収めてあげるから。
何とかとりつくろって収めるまで、ここにいてくれ。
そうコルラードに言いたかったが、もはや声が出ない。
パタンとドアが閉まる。
「コルラード……!」
ダンテは何とかドアまでたどりつき、ノブを回した。
肩でこじ開けるようにして、ドアを開ける。
廊下に這い出ると、コルラードの姿をさがした。
すでにコルラードの姿はなかった。
周辺の床や壁を見やる。
赤茶色い手形がいくつもついていた。
「コルラード」
廊下のどちらの方向に行ったのかと考えを廻らせる。
血の気が引き、視界に靄のようなものがかかりだした。
女中が食事を運んで来る。
不可解そうにこちらを見て立ち止まったが、事態に気づいたのか悲鳴を上げた。
「だれか! だれかあ!」
女中が甲高い声でそう叫ぶ。
いや、そんなことよりもコルラードを。
そう言ったが、声が出ない。
ほどなくして駆けつけたオルフェオが、抱き起こすようにして上半身を支えた。
「清潔な布をなるべくたくさん持ってきてくれ。それと執事殿におしらせを」
女中がパタパタと走り去った。
「……違う。あの子ではない」
ダンテは、オルフェオの服をつかんだ。
赤茶色いものがオルフェオの正装にベタベタとつく。
これはまた、キツいツッコミをされるなと苦笑した。
あとで代わりの服を注文してやらなければ。
それよりいまはコルラードだ。
「あの子ではない」
急速に意識が遠のいた。




