CAPELLI D'ARGENTO 銀色の髪 I
ブドウ畑が延々と広がる地域に建てられた別邸は、高い糸杉の林を背にしていた。
所有している農地にも近いこのあたりは、洗練された雰囲気はないが非常にのどかだ。
ダンテは、越してきたばかりの別邸の庭を見回した。
海の街にいた親戚も、すでにみな内陸に移っている。
連絡をとりあうのだけは楽になるなと思う。
水を通すようになったばかりの噴水をながめているうち、ふと周辺を散策してみようかと思い立った。
潮の匂いの代わりに草木の香りがする土地というのは、どんな雰囲気なのか。
これから住む土地だ。土地勘は身につけておいたほうがいい。
馬屋で、馬丁にいちばん乗りやすそうな馬を選んでもらう。
海で育ったので舟には慣れているが、馬のあつかいはものすごく苦手だ。
内陸に住むなら、これも覚えなくてはならんかと思う。
馬丁がしつらえた鞍に乗り、いちおう知識として教わった動作をしてみる。
馬の背中の筋肉の動きが、鞍を通じて奇妙な感触として伝わった。
スピードを出すのはまだムリだ。コツが分からない。
ゆっくりと歩かせる。
「行ってらっしゃいませ」
中年の馬丁がおじぎをする。
試し乗りのつもりだったのだが、唐突に引っこみがつかなくなった。
「あ……ああ」
しかたなくそう返事をし、のどかな蹄の音を立て門外に出てみる。
草の香りがただよう。
悪い香りではない。
しばらく行くと、一本道の向こうに城壁が見えてきた。
城壁内の街は、屋敷からさほど遠くはないらしい。
のんびりと城壁を目ざした。
城門を通り街に入ると、思ったより栄えた街だということが分かった。
道ぞいに剛健な建物がならび、人通りも多い。広場に行く途中の道も露店でにぎわっている。
きれいに並べられた石だたみ、ひろく幅のとられた道。
ダンテはようやく馬からおりた。
かなりホッとしながら手綱を引いて歩く。
まずどこに行こうかと周囲を見渡した。
思いつきで出てきたので、すぐには行き先が考えつかない。
街の雰囲気を手っとり早く知るには広場か酒場あたりか。
周囲の酒場らしき店をながめた。
「あ、あのっ」
ふいにおずおずと話しかけられる。
一人の少女がダンテの腕を強引につかみ、しがみついてきた。
質のいい青色のドレス。
栗色の長い髪をハーフアップに結い上げ、ドレスと同色のリボンで飾っている。
「いや、娼婦は間に合って……」
「たすけてください!」
少女があせった表情でこちらを見上げる。
娼婦などではない。
良家の令嬢という感じだ。
「失礼した」
ダンテはあわててそう返した。
「もどれこら!」
男のさけぶ声がした。かなり柄の悪い印象だ。
いかつい男たちが数人ほど駆けより、少女につかみかかろうとした。
少女は素早くかわすと、ダンテの背中に回り盾にする。
とつぜんに酒臭い息が顔に吹きかかり、ダンテは顔をしかめた。
少女に向けて男たちはしきりに絡むような言葉を吐いたが、呂律も回っていない。
「何をした、ご令嬢。質の悪いワインでも売りつけたか」
「失礼なことをおっしゃらないでください!」
少女が声を上げる。
「乱暴されそうになりました」
「と、言っているが」
ダンテは男たちに確認した。
「声かけてきたから酌をさせようとしたら、ひっぱたきやがった!」
「道を聞いただけです!」
少女が声を張る。
「わたしはヴィオレッタ・スタイノ。スタイノ家の三女です。酔っぱらいの酌などさせられるいわれはありません!」
「うるせえ! お詫びに、ほら、あっちでちっとやらせろ」
男のひとりがヴィオレッタの腕をつかもうと手を伸ばす。
「それは、平手打ちの賠償としては割に合わなすぎるだろう」
ダンテはさすがに庇おうと間に入った。
ヴィオレッタがダンテの服をぎゅっとつかむ。
「しつこくするなら、この方が相手です!」
「待て」
ダンテは眉をよせた。ヴィオレッタのほうをふり向く。
「そこまではまだ承知していない」
「お見受けしたところ、あなたご身分のある方では?」
「そうだが」
ダンテは答えた。
「護身用の武器くらい持っていらっしゃるでしょう?」
「そもそもきみの付き人はどうした。良家の令嬢が侍女も連れずに歩くのか」
「はぐれました」
ヴィオレッタはそう答えた。
「では、このさわぎで駆けつけるかもしれん」
ダンテは周囲の通行人の様子をながめた。
ハラハラとした表情で見ている者もいれば、立ち止まらずにチラッとだけ見ている者もいる。いろいろだ。
「あなた、わがスタイノ家に恩を売るチャンスでしてよ」
「そのスタイノ家を知らん」
ヴィオレッタが目を細め、じとっとした目つきでダンテを見る。
「ここの土地の方ではないの?」
「移り住んだばかりだ」
ダンテはそう返した。
「分かりました」
ヴィオレッタが栗色の大きな目でダンテを見上げる。
「舞踏会のお相手に困ったさいに、いちどだけあなたと踊ってさし上げるという約束ではどうでしょう」
「子供などと踊っていたら笑い者ではないか」
「失礼な」
「あぶない!」
ダンテの背にぶつかるようにして割って入った者がいた。
反射的にダンテはふり向く。
自身よりだいぶ小柄な人物のようだと気づき、すぐに目線を下げた。
きれいな銀髪が目に飛びこむ。
短髪で、ゆるい風にサラサラとゆれていた。
「リュドミラ……?」
ついそう呼びかけたが、とうぜん彼女ではない。
軍服を着た少年だ。
男のひとりがふり下ろした木の椅子を、少年がマスケット銃で受け止めた。
そのままググッと押しもどすと、男を足で押し出すようにしてどかせる。
「椅子返せ!」
道ぞいの酒場の店主らしき男が、店のまえでわめいていた。
「この……!」
男がよろめきながら、もういちど椅子をふり上げる。
少年は動じずにマスケット銃の銃口を男に向けた。
男がひるむ。さすがに少し正気になったのか、息をのんだ。
少年はじっと男に銃口を向けたあと、その銃口を真上に向けた。
空に向けて撃ち、反動でゆれた小柄な身体を踏んばる。
周囲が見えなくなるほど大量の硝煙があたりにただよう。
火薬の匂いが鼻をついた。
チャッ、と小さな音を立てて、少年がもういちど男に銃口を向ける。
「お嬢さま!」
石だたみをあわただしく転がる車輪の音がする。
人だかりのうしろに、良家のものと思われる馬車が停車した。
屋形のドアが開き、紺のドレスを着た若い女性が身を乗りだす。
「ヴィオレッタお嬢さま、おケガはありませんか!」
「ないわ」
ヴィオレッタはドレスの裾をからげると、馬車のほうに走りよった。
彼女が飛びこむように馬車に乗りこむと、屋形のドアが閉まる。
あとにはおかまいなしというふうに馬車は走りさった。
礼も言わんのか。
ダンテは軽く眉をよせた。