ONDEGGIANDO NELLA FOLLIA 狂気にゆれる I
「コルラードは?」
シャンデリアで照らされた食堂広間。
ダンテは夕食のしたくをする女中の一人に問いかけた。
「お部屋でお召し上がりになるそうです」
女中が答える。
またかとダンテは顔をしかめた。
せめて時間をずらしてここに現れるなら、会う機会もありそうなものだが。
「ここで食事をしなさいと伝えてくれ」
「あの」
「何だ」
「どうしてもお部屋で召し上がりたいのだとおっしゃっていて」
女中が困り顔で答える。
どうしてもここの当主とは食べたくないという意味かと感じ、ダンテは眉をよせた。
「だめだ。ここに来なさいと伝えてくれ」
語気を強める。
「養父の言いつけだと」
しばらくして女中に促されコルラードが広間に現れる。
顔を見るのは二日ぶりだ。
ダンテは目元をほころばせた。
心の臓のあたりに、じわりと甘いしびれのような感覚が走る。
「食欲がありません」
コルラードは長テーブルのそばまで来たものの、あさってのほうを向き言い放った。
だからなぜこうまで嫌われなくてはならないのだ。
私が何をしたというのだ。イラつきつつもダンテは平静を装った。
「どこか具合でも? 医師を呼ぼうか」
「けっこうです」
コルラードがあからさまに顔をそらして答える。
「ではここで食べなさい」
ダンテは執事に食事をとり分けるよう指示した。
コルラードが、チラリとこちらを見る。
「座りなさい」
そう言ったが、コルラードはそっぽを向き立っていた。
テーブルナプキンを手にした女中にすすめられ、ようやく座る。
コルラードが、姿勢よくスプーンを持ちスープを口にする。
「食事マナーはきちんとしているのだな」
ダンテは話しかけた。
「ゾルジ家で教えられたのか」
ワインを口にする。
飲みくだすふりをしながら、コルラードの様子を見つめた。
ヴェネツィアングラスのうすい縁が唇にふれ、ワインのクセのある香りが歯冠をなで舌に流れる。
コルラードとのキスは、この感触よりももっとずっと甘やかだった。
もういちどしてはいけないだろうか。
「きみがもしこちらの屋敷で育っていたら、私が食事マナーを教えてあげたかった」
「……僕が生まれたころ、あなたはいくつですか」
コルラードが姿勢よくスープを口にする。
「十歳かな」
「十歳の子が?」
「十歳にもなれば、弟にものを教えるくらいできるよ」
ダンテはもういちどグラスに唇をつけた。
したくてたまらないキスの代わりだ。
「毎日着替えさせてあげて、身体を拭いてあげて、いっしょに寝てあげたかった」
「それは使用人の仕事でしょう」
コルラードが答える。
「きみがここで育っていたら、きみの世話を使用人になどやらせなかった」
ダンテはしずかにグラスを置いた。
「私がすべてやった」
そうしたら、いまごろ兄として慕ってくれていただろうか。
肩に手をかけるのすら怒らせそうで遠慮するなどということにはならずに済んだだろうか。
「年ごろになったら、性的なことも教えてあげたかった」
ダンテは声音を落とした。
「手解きをしてあげたかった」
コルラードはきつく眉根をよせてスプーンを置いた。
そばにきた女中の顔を見上げる。
「もういいです。下げてください」
「もういいのか」
ダンテはそう問うた。
「冗談が悪趣味すぎて食欲がなくなりました」
「冗談など言っていない」
ダンテはべつの女中に声をかけた。
「甘いものを持ってきてあげてくれ」
「いりません」
コルラードが席を立とうとする。
「コルラード」
ダンテは呼びかけた。ヴェネツィアングラスのステムを指先でもてあそぶ。
「話がある。食事が終わったら私の部屋にきてくれ」
「……当主の私室に入れるのは、執事や従者くらいでは」
こちらを見もせずコルラードが答える。
「きみは私の養子なのだから、関係ない」
「お話ならここで伺います」
コルラードがそう答える。
「私室でゆっくりと話がしたい」
「一人でやりたいことがあるので」
「私の部屋でやればいい」
コルラードはますます不機嫌な顔になった。
「あなたにはプライバシーという考え方はないですか」
「ない。きみに関しては」
「……なにを言っているんだ」
コルラードがあきれたように顔をしかめる。
「そんな勝手な考えから、人のことをなんだかんだと調べて」
「食事が終わったら、いっしょに私室に」
「行きません」
ぴしゃりとコルラードが断る。
「格下の家の者でも、いやなことを拒否する権利くらいはあると思っています」
「きみは私の養子だ。うちの子としか考えてはいない」
「僕といくら顔を合わせても、母につながるものなんか出てきませんよ」
コルラードが眉をよせる。
「二年もまえに死んだアバズレなんてもう関係ありませんから」
コルラードがゆっくりとこちらに顔を向ける。
ダンテの顔を見て、意外そうに目を見開いた。
リュドミラを非難すれば、もっと不快な顔をすると思ったのだろうか。
しばらくこちらを見ていたが、ややしてテーブルのほうに視線をもどした。
「知りたいのはきみ自身のことであって、リュドミラのことではない」
「知ってどうするんです。新米の軍人のことなんて」
「知ったら満たされる」
ダンテは答えた。
「では、さんざん勝手に調べたんだ。満足でしょう」
「すべてを知ったわけではない」
ダンテはテーブルの上でゆっくりと手を組んだ。
「笑うとき、どんなふうに笑うのかまだ知らない」
執事がワインをそそぐ。
ワインがグラスに流れるさまをダンテは目で追った。
「一人のときにどうしているのかも知らない」
グラスのなかのワインがゆれる。
「服のなかの素肌も知らない」
コルラードは眉をよせた。
「情交のとき、どんなふうに相手に心身をさらけだすのか知らない。そもそもどんな相手としたことがあるのかを知らない」
「……からかっているんですか」
「知るとはそういうことまでを言うんだ」
シャンデリアに灯されたロウソクの火が、テーブルに不規則に動く影をつくる。
「心のなかも知らない」
ダンテは目を伏せた。
表情が乏しく、目が据わった状態になっているのが自分でも分かる。
「すべてを知りたい」
コルラードは気味悪そうにこちらを見た。
こちらを伺いながらワインに口をつけたが、唇を潤す程度でゆっくりとグラスを置いた。
「ワインはきらいなのか」
ダンテは尋ねた。
「赤か白かを聞こうとしてもなかなか顔を合わせてくれないから、白にしたが」
ダンテはグラスのステムを指先でつまんだ。
「赤が好きなら赤を用意させる」
「部屋にもどります」
コルラードは席を立った。
戸惑った様子の女中たちを無視して、出入口のドアに向かう。
「コルラード」
ダンテはあわただしく椅子を引き、席を立った。
早足でコルラードを追い、細い二の腕をグッとつかむ。
「私の部屋にという約束だ!」
「なんの話ですか、約束なんかしていない!」
コルラードはふり払おうとして腕を大きく動かした。
ダンテはさらに力をこめる。
「コルラード!」
「ダンテ様」
もう少しで揉み合いのような様相になるところだった。
執事が冷静に声をかける。
ダンテは、われに返ってコルラードの顔を見下ろした。
コルラードがひるんだ感じでこちらを見る。
「……ちょっと言い合いが過熱しただけだ。すまん、何でもない」
ダンテは、さりげなく襟元を直しながら作り笑いを浮かべた。
「コルラード、私室にきてくれないか」
ダンテは平静をとりつくろい、あらためてそう言った。




