ADOZIONE 養子縁組 II
「休日まえにむかえに行くのは、鬱陶しいだろうか」
ヴィラーニ家執務室。
ダンテはサインしていた羽根ペンを止めてつぶやいた。
「話の経緯がよく分かりません。一から説明してください」
資料整理をするオルフェオが、ふり向きもせずに言う。
外出時に主人について歩くのが従者の主な仕事の一つだが、オルフェオには屋敷内で執務の手伝いをしてもらうことが多かった。
ヴィラーニと同じように海洋貿易をしていた家の出身で話の通りがいいのと、何より右筆として有能なのだ。
「養子の話をとり消してほしいと言われた」
ダンテはうつむいた。
「あなたが養子をとったこと自体、私が聞いたのは今朝なのですが」
「ああ……ここ数日、出張っていたからな」
「ええ」
オルフェオがふり向きもせずに答える。
「ごくろうだった」
「いたみ入ります」
オルフェオが、書類整理を終えてこちらに歩みよる。
「しかもコルラード殿とは。ややこしいことを」
オルフェオが眉をひそめる。
「急に思いついたんだ」
「あなたは急な思いつきで養子をとられるのですか」
オルフェオがあきれたように語気を強める。
「あの子にも同じことを言われた。おまえたち裏でつながっているんじゃないだろうな」
「常識的な人間ならだれでも言います」
オルフェオが反論する。
「休日は兵営ですごすから、こちらの屋敷には来ないと言われた」
「嫌われているのではないですか?」
オルフェオが淡々と言う。
「嫌われることなんてしたかな……」
ダンテは眉をよせた。
ああまで頑として拒否されるとは思わなかった。
基本的にコルラードの生活に大きく変わりはない。もう少し淡々と受け入れてくれるものと思っていた。
何がそんなに気に触ったのだろうかと、かわいらしい顔を思い浮かべる。
「そもそも、母親を愛人として囲っていた人物の子息があちらこちらに出しゃばるというだけで単純に気味が悪いと思います」
オルフェオが、机の上の書類の束を手にとりパラパラとめくって確認する。それを持ち書類棚へともどった。
「……それは、実体験か」
「実体験ではありませんが、自身に置きかえたらけっこう気味が悪いです」
オルフェオが答える。
「ダンテ様」
「何だ」
「あれは、ああは見えますが男の子です」
「知っている」
ダンテは答えた。
「しかも弟君の可能性まである方です」
「状況的にはそうだろうと思っている」
ダンテは背もたれに身体をあずけた。
「分かってやっていらしたのですか。それは厄介な」
何が言いたいのだろうかとダンテは従者のうしろ姿をながめた。
「……あの子を実弟として正式にうちの家系に加えるのはむりか」
ダンテは手元の書類に目線を落とした。
「そういった関連は、執事殿にお聞きしたほうがよろしいとは思いますが」
オルフェオが答える。
「あなたの立場でそれをやれば、確実に跡継ぎ問題の火種になる。養子くらいで止めておいたほうがいいのでは」
ダンテは窓をながめた。
やわらかく心地のよい陽が射しこんでいる。
「いまごろ何をしているのかな……」
兵営の門の周辺は、軍隊の人間との面会を待つ人々で混み合っていた。
いつもはしずかな場所だが、今日は人をかき分けて歩かなければならないほどだ。
あちらこちらから雑談する声が聞こえる。
休暇の前日は、面会所に行っても入り切れずに外で面会することも珍しくないと聞いてきたが、なるほどとダンテは人々を見回した。
平均よりやや高めの身長がさいわいして周囲を見渡すことはできたが、呼びだしてもらったコルラードがこちらを見つけられるだろうかと心配になる。
兵営の窓と、外に面した回廊を見回す。
ややしてから回廊に現れたコルラードを見つけ、ダンテは顔をほころばせて近づいた。
「コルラード」
「手短にどうぞ」
コルラードが目も合わせずに言う。
「今日から休暇だろう。むかえに来た」
「養子をとり消したというお話を期待しました」
コルラードが行儀よく一礼する。
「それ以外ではいらっしゃらなくてけっこうです。では」
「あ……待て」
ダンテは早足で追った。
コルラードの肩に手をかけて引きとめようとしたが、不愉快そうな表情でふり向かれて苦笑する。
「お父上から手紙をおあずかりしている」
ダンテは上着の内ポケットから封書をとり出した。
偽造したと思われないよう、わざわざ封蝋とゾルジ家の獅子の印章を当主にたのんだ。
コルラードは仏頂面で封書を見ていたが、ややして受けとった。
ていねいに封を外して便箋をとり出すと、しばらく目を左右に動かす。
「何と?」
「養子を承諾したのと、ご当主の言いつけを守りよくしてもらいなさい等々」
「ほら、お父上もこころよく……」
「休暇中の予定が決まりました。実家にかえって父に抗議します」
コルラードは小ぶりの手で便箋をもと通り封筒にもどすと、くるりと背中を向ける。
「え……」
ダンテは目を見開いた。
「そんなのはいつでもいいだろう?」
あわてて引きとめる。
「早いほうがいいでしょう。こんなわけの分からない話」
「抗議してもお父上の気持ちは変わらないと思うが」
「なぜそう断言できるんです」
ダンテは言葉につまった。
コルラードがふり向いて睨みつける。
「……いくらつかませたんです」
「そんな人聞きの悪い言い方」
ダンテは苦笑した。
「援助する額に、少々上乗せしただけだ」
「僕の養子入りを承諾させるためだけにですか」
コルラードが見下すような目つきで見る。
「そこまでして母の顔をながめていたいんですか」
見下す目つきすらかわいらしく思える。
口元がゆるみそうだとダンテは思った。
「べつに強引に承諾させたわけじゃないよ。かなりあっさりと話がついて、少々の支度金をつけ加えさせていただいたというだけで」
ダンテはゆるみそうな口元をさりげなく手で隠した。
「このまえも言った。お父上としては、きみはヴィラーニにいるのが本来だというお考えがもともとあったのでは」
「どちらの家の者でもありません。少なくとも僕はそのつもりです」
「いまは私の養子だ」
「とり消してください」
コルラードがきっぱりと言う。
「だいたい私の養子の何が不満なのだ。きみが引きつづきゾルジ家と関わるのもべつにかまわないし、その上でヴィラーニのうしろ楯ができたと思えば」
「あなたは、ただ母と似た顔をながめていたいだけでしょう」
コルラードがそう返す。
「僕の人格はまったく無視だ。はやい話が、首だけあれば満足なんだ」
「いや体もほしいが」
気まずい空気がただよった気がした。
気のせいか。
「……いやそういう意味では」
「話にならない」
コルラードがそう吐き捨ててきびすを返す。
「せめて今回くらいはいっしょに帰宅してくれないか?」
ダンテはそう懇願した。
「お父上の顔も立たんだろう」
コルラードがゆっくりと立ち止まる。
しばらく無言で背中を向けていたが、やがてふてくされたような声で言った。
「……今回だけなら」




