ADOZIONE 養子縁組 I
マロスティカのゾルジ家屋敷。
ダンテはゾルジ家当主との対面を終え、執事に玄関ホールへと案内されていた。
品のよい靴音が廊下に響く。
内装はやや洗練されていない感がある屋敷だが、コルラードがここで育ったのだと思うとダンテにはひたすら妄想を広げる舞台になった。
この廊下を、幼少時のコルラードが走り回ったりしたのか。
どんな遊びをしていたのか。
はしゃいで転んだりしただろうか。だれかに甘えて泣きじゃくったりしたのか。
かわいらしく背伸びをして、窓の外をながめたりしたのか。
見たかった、とダンテは眉をよせた。
想像のなかのコルラードのあまりのかわいらしさに、目眩がしそうだ。
階段ホールまで来ると、回廊に六、七歳ほどの子供がいた。
コルラードの弟にあたる子か。
おそらくはリュドミラとゾルジ家当主とのあいだの子だろう。
遠目で見た限りでは、リュドミラにあまり似ていない。
あの子が跡を継ぐことになるのか。
少なくともコルラードは、そのつもりで軍隊に入ったのだ。
コルラードとは、どんなふうに接していたのか。
あの年齢では、まだコルラードの出生については知らないだろう。
無邪気にコルラードに駆けよっていたりしたのだろうか。
コルラードは、あの子をやさしく抱きしめて頬にキスしたりしていたのだろうか。
あの子の髪をなで、笑いかけたりしていたのか。
ふいにダンテは立ち止まった。
にわかに胸のあたりがモヤモヤとする。
抱きしめて頬にキス。
私がされたい。
もしコルラードがこちらの屋敷で育っていたら、いまごろ私がされていただろうか。
七歳かそこらの子供を、つい嫉妬で睨みつけそうになる。
「あの……」
案内していた執事が立ち止まり、怪訝な表情でこちらを見た。
「シモーネ様が何か」
「シ、シモーネ殿というのか」
ダンテは意味もなく襟元を直した。
「この街の守護聖人の名をいただいたのだな」
「ええ……」
執事がいまだ不可解そうな顔をしている。
「その、あの子がライバルなのだなと思って」
「は……」
「つまり、あの子が将来この家の跡を継げば、私の商売仇に」
「はあ」
「……ああ、海洋貿易はゾルジ家はだいぶまえに辞めたのだったか」
「ええ」
「うちもだ」
ダンテはそう続けた。
話せば話すほどわけの分からない会話をしそうだと思い、この辺で打ち切ろうと思った。
執務室のドアがノックされる。
女中がドアごしに来客を告げた。
「ゾルジ氏という軍人の方が」
「ここに通してくれ」
ダンテは、執務の手を休めてそう告げた。
しばらくしてから、しずかにドアが開けられる。
コルラードがドアの隙間からこちらを覗くように見た。
横を向き、ほんとうにここでいいのかと女中に確認する。
「どうぞ。入ってくれ」
ダンテは口元をほころばせた。
執務室に外来の客を入れることは基本的にない。
外部に漏らすことのできない資料や手形などが保管してあるのだ。使用人でも信頼のある者しか出入りさせない。
ゾルジ家でもとうぜん同じなのだろう。戸惑うのは分かる。
「すぐに従者が来るので」
「なぜ今日に限って執務室なんです」
廊下をもどる女中を目で追いながら、コルラードが尋ねる。
「私の子になったのだから、話す場所なんか屋敷のどこでもいい。逆に応接室は不自然だ」
「……父が妙なことを知らせてよこしたので確認にきたのですが」
コルラードが眉をよせる。
「冗談だと思っていました」
「ほんとうの話だ」
ダンテはそう返した。
「きみを養子にもらうむね、お父上にお話しした」
「なにを考えて……」
コルラードが困惑した顔をする。
「こころよく承諾していただいたよ」
「どういうつもりですか」
「どういうつもりも何も養子は養子だ」
ダンテは苦笑した。
「わけが分からなすぎる。いい加減にしてください」
「余裕のある家で養子を引きとるのは、慈善事業としてよくあることだ。おかしな話ではない」
「そういう場合は、救貧院から引きとるものでしょう」
コルラードが眉根をよせる。
「ほんとうの理由はなんですか」
「何となく……」
いつでも会えるところにいて欲しくなった、と続けるかどうか迷う。
「なんとなくで養子をむかえるんですか」
コルラードがきつい口調で言う。
ダンテは顔をしかめた。
養子にむかえたら、もう少し親しげに会話ができるとなぜか勝手に想像してしまっていた。
「ともかくお父上の許可も得たことだ。つぎの休日からは、こちらの屋敷に “帰宅” するように」
「話にならない」
コルラードがそっぽを向き腕を組む。
「父にも抗議します。もういちど話し合って取り消してください」
コルラードはきびすを返した。つかつかとドアのほうへと向かう。
「お父上も、きみは本来はヴィラーニの人間だというつもりなのでは!」
ダンテはコルラードの背中に向けて声を張った。
コルラードが振り向く。
「ヴィラーニにしてみれば婚外子でしょう。厄介払いはありえても、引きとる意味はない」
「意味は関係ないよ。当主の私が決めたことだ」
ドアがノックされる。
年若い従者が入室し、一礼した。
「養子にむかえたコルラードだ。部屋に案内してやってくれ」
ダンテはそう言いつけた。
従者がコルラードの手元を見る。
「お荷物などは。お持ちします」
コルラードは無言でダンテを睨んでいた。
従者がドアを指し示す。
「こちらへ」
「けっこうです」
コルラードがそう答える。
「コルラード、わがままを言うんじゃない」
「なに父親づらしているんですか」
コルラードが眉根をよせる。
「きみを養子にむかえたんだ、父親だ」
「僕は納得していない」
「お父上には納得していただいたんだ。きみの納得なんか関係ない」
「兵営に戻ります」
コルラードは、ドアノブに手をかけた。従者を無視してみずからドアを開ける。
「休日には帰っておいで」
ダンテはそう告げた。
落ちついたふうを装う。何としても会話の主導権をにぎろうとした。
「休日も兵営ですごします」
「それではきみと会えないじゃないか!」
ダンテは思わず執務椅子から立ち上がった。
「会う必要なんかありません。ゾルジもヴィラーニも僕にはもう関係ない。いまはただの一軍人です」
「だが、新人とはいえそれなりの地位では? 貴族の子弟であることの証明のようなものだ」
コルラードが小さく舌打ちする。
庶民の男の子のような反応をすることがあるんだな。ダンテはつい頬をゆるませた。かわいい。
「ヴィラーニの人間としてなら、もっと高い地位を望める」
「養子がですか? かなり微妙ですね」
「口添えしてやる」
「いりません」
「コルラード」
ダンテは呼び止めた。
執務机を離れ、早足でコルラードに近づく。
「ほしいものはないか? つぎの休日まで用意しておく」
会えるだけで幸せな気分にはなれる。
だがもう少し、甘やかな会話もしてみたかった。
なだめられてはくれないだろうか。
「めずらしい食材でもとりよせようか。それとも何か遊ぶものとか」
「養子を取り消してください」
コルラードがそう返す。
「それだけでけっこうです」




