PIOVE ANCHE SU DI TE きみの上にも降る雨 I
雨が降っている。
ダンテは執務室の窓からながめた。
いつもは陽光を照り返しているブドウ畑も今日は灰色に沈んでいる。
「こんな日でも、軍隊は訓練をするのかな」
ダンテはつぶやいた。
オルフェオがこちらを見る。
「どうでしょうね。雨ではマスケット銃は使えないですから」
答えながら書類のしわけをはじめる。
「銃をつかわない訓練をするものではないのか」
「庶民出身の兵ならその軍隊によっては雨のなかの訓練もあるかもしれませんが、コルラード殿ならそこまでの扱いではないのでは」
ダンテは書類棚を行き来する従者の動きをながめた。
「貴族出身の子なら、武官や指揮官として育てるほうが使いでがありますから」
「そうか」
「外交マナーも乗馬も幼少から教育されているので、一から教える必要がない」
「乗馬……」
ダンテはそうつぶやいて顔をしかめた。
「ゾルジ家の当主は、そういう教育はちゃんと与えていたのだな」
「そうですね」
オルフェオが返す。
ダンテは、しばらく雨の降る様子をながめた。
「……コルラードの話ではなくて、軍隊の話をしたんだが」
「ああ、そうなんですか」
オルフェオが答える。
「そんなにコルラードの話ばかりしているか、私は」
オルフェオが、奥の書類棚のほうに行く。
聞こえなかったか。
ダンテは窓ガラスに顔をよせた。
窓の下の道を、馬で駆けてくる者がいる。
外套をはおっているが、小柄な体格なのが分かる。少年だろうか。
雨のなかを、急ぎの用か。
こんな雨のなかを駆けられるなど、よほど馬の扱いに慣れているのだなと思った。
うらやましい。
あれくらい乗りこなせれば、コルラードのまえでも格好がつくだろうに。
駆けてきた人物はヴィラーニ家屋敷の正門から敷地内に入り、ゆっくりと馬から降りた。
「……コルラード」
ダンテはそう口にした。
身長としぐさで、コルラードだと気づく。
ドアをふり向いた。
オルフェオが奥の書類棚からもどり、怪訝な表情でこちらを見る。
ダンテは、出入口のドアを手ずから開けた。
急ぎ足で玄関ホールに向かう。
「あ……旦那さま、お客さまが」
廊下で鉢合わせした女中が、ダンテの早足に戸惑いながら甲高い声を上げる。
「分かっている」
ダンテはそう返した。
「あの、軍人の……」
「軍人のゾルジ氏だろう。分かった」
玄関ホールにつくと、コルラードはなかへと促されているところだった。
ダンテの姿を見つけるとイヤそうに顔をそらしたが、ややしてから思い直したのか、ゆっくりとこちらに向き直る。
「父が知らせてきました。援助を再開していただけることになったと」
「ああ……」
コルラードのほうに歩みよりながら、ダンテはつい両腕を差し出した。
思わず抱きしめようとしたが、われに返りさりげなく手をおろす。
おとといゾルジ家の当主をたずねて、援助を再開するむね伝えた。
知らせを聞いたコルラードがまた来てくれるかもしれないと思ったが、こんなに早くとは。
コルラードの外套は、雨に濡れていた。
「身体を拭くものを」
手近にいた女中に言いつける。
「お父上にも言った。有益に使ってほしい」
「とりあえずお礼は申しますが」
「外套を脱いだらどうだ」
ダンテが言うと、コルラードは軽く眉をよせた。外套を脱ぎ、使用人に手渡す。
「僕と知り合いだなどと父に話すのはやめてもらえませんか」
「そのほうが話の通りがよいかと思って」
ダンテは手近な応接室へとコルラードを促した。
コルラードが、前髪からしたたる滴を手で拭ってついてくる。
「おかげで僕からもお礼を伝えるよう言いつかりました」
「よく来てくれた。ゆっくりして行ってくれ」
「どういうつもりですか」
コルラードがきつめの口調で問う。
「三年前までしていた経済援助を再開した、それだけだ」
「あれは、あなたのお父上が個人的にやっていたことでは」
コルラードが言う。
「あなたに援助する理由はないでしょう」
ダンテは応接室のドアを開け、コルラードをなかへと促した。
コルラードがこちらをチラリと見る。
玄関ホールのみで話をすませたかったのか。
かまわずなかへ促すと、しぶしぶ入室した。
「私からすれば、ゾルジ家は弟を面倒見てくれていた家ということになる。援助する理由はある」
「弟という確証はありますか。愛人なんてやっていた人だ。僕があなたのお父上の子とは限りませんよ」
コルラードが反論した。
「きみがリュドミラを嫌って貶めるのは勝手だが」
女中が身体を拭く布を持ってきた。
ダンテは受けとると、コルラードの顎や額を拭ってやった。
いやがられるかと思いきや、意外にもコルラードは拭かれるのにまかせている。
実家の屋敷で、使用人に拭かせていたクセがつい出ているのか。
当主と血縁でないとはいえ、コルラードのゾルジ家での扱いは悪くはなかったのだと推測できた。
ゾルジ家の当主は、いかにも柔和そうな人物だった。
気がやさしいのはコルラードにはさいわいだったろうが、だからこそ家を盛り立てるために必要な狡さもなく、ヴィラーニの先代にもいいように愛人を押しつけられたのか。
あらたに滴のしたたった顎を、もういちど拭いてやる。
「服のなかは?」
そう問うと、コルラードはようやく拭かせているべき状況ではないと気づいたようだった。
「この家は、当主みずからそんなことをするんですか」
コルラードが眉根をよせる。
「いや……大切な客人なので」
「こちらが援助を受けている側ですよ?」
コルラードが非常に不可解そうな表情で返す。
「着がえを用意させる」
「けっこうです。そこまで濡れていません」
コルラードはさりげなく離れた。




