ミーティング
水曜日の四時間目。健吾は毎週、この授業を楽しみにしていた。苦手な算数と体育と理科のコンボも、四時間目があるから乗り越えられていた。得意科目でもあるその授業は、情報だ。
「よーし、みんなタブレットは用意してるかな? 今日はそれがなかったら授業にならないからな」
教室をざっと見まわして問題ないことが確認できると、担任の小林先生はそのまま話を続けた。
「はい、じゃあ先週言った通り、今日はWeb会議の練習をします。使うアプリは、先生たちも実際に会議で使ってるちゃんとしたやつだぞ」
そうして先生は最初に、スライドを使いながらWeb会議とはどんなものか、という説明を始めた。健吾にとっては既に知っていることだらけだったから少し退屈だった。
そして一通り説明が終わったところで、いよいよミーティングに参加する時間となった。指示された通りに操作し、IDとパスワードを入力する。読み込み中の画面が表示されたがそれも束の間、すぐに画面上に自分の姿が表示され、そこに続々とクラスメイトの顔が追加されていく。
健吾はもちろん、クラスの誰もが画面に映る自分の姿に興味津々だった。手を振ったり、顔を近づけたり、変顔をする子がいたり、思い思いに好奇心をぶつける。そして気づけば画面上では、面白い変顔をしている子を小林先生が拡大表示させるという変顔大会が開催されていた。
ひとしきりみんなの変顔をなめた後、満場一致での優勝者、小林先生は授業を先に進めるために素の顔に戻った。
「よし、じゃあこれから基本的な使い方を教えていくぞ」
ミュート、カメラのオンオフ、背景の設定、画面の共有……。初めはワクワクした気持ちで聞いていたが、思っていたよりも色々な機能があり、だんだんと健吾の集中は切れてきていた。そしてぼーっと画面を眺めている時に、健吾はある不思議なことに気がついた。人数が合わないのだ。
クラスの人数は三十一人。小林先生を合わせても三十二人。それなのに、画面に表示されている人数は三十三人。参加者をよく見てみると、一人だけ名前が空欄で、画面も真っ暗になっているアカウントがあり、どうやらこれが三十三人目の参加者のようだった。
健吾は湧き上がってくる疑問を抑えきれなかった。
「あの、先生、すみません。ミーティングの中に知らない人がいるんですけど」
「知らない人?」
「はい、あの、一人だけ名前が無くて真っ暗な画面の人がいると思うんですけど」
健吾の言葉を聞いた小林先生は、それまで表示していたスライド資料を一旦外し、参加者を一覧表示にした。しかしどこを見ても、健吾が言うような参加者は見当たらなかった。
「うーん、そんな人いないみたいだけど」
驚くべきことに、教室の前方に投影されている先生の画面では確かに参加者は三十二人になっていた。しかし自分の画面に目を落とすと、やはり三十三人だ。
「でも」
「じゃあそんなアカウントが見えている人は他にいますか?」
なおも食い下がってくる健吾を遮って、小林先生はクラスに投げかけた。しかし手を上げる人は誰もおらず、教室はシーンとした静寂に包まれただけだった。
「はい。授業に集中してください、石田くん」
先生に注意され、クラスに笑いが起こったが、それ以上どうすることもできず、もやもやした気持ちを抱えたまま授業の終わりを迎えた。
その後、好物のカレーで胃袋が満たされた後でも納得できなかった健吾は、給食の時間が終わるや否や、もう一度タブレットを取り出した。授業で教わった内容を思い出しながら、自分でミーティングを開催する。自分だけで開催をしたら人数は一人になるはずだ。
少しの間があって画面が切り替わる。そこに表示された人数は、二人。前と同じく、真っ暗な画面に名前は空欄の参加者がいた。
この画面を見せて小林先生に言ってみようか。でも、さっきと同じように、先生や他の友達からは見えないかもしれないし。そんなことを考えていると、いきなりイヤホンから声が聞こえた。
「おーい、聞こえるかい」
健吾は体をビクッと震わせ、思わず辺りを見回した。が、そこにはいきなり体を動かす健吾を不審な目で見るクラスメイトの姿しか無かった。
「違う違う、こっちだよ」
再び画面の方に顔を向けた健吾は、恐る恐るイヤホンのマイクに向かって話しかけた。
「もしもし……」
「お、返事をくれたね。嬉しいな。やっとぼくの声を聞いてくれる子が現れた」
どうやら声の主はミーティングに参加している誰かのもののようだった。得体が知れなくて気味が悪い気持ちもあったが、それよりも好奇心が勝った。
「君は誰? クラスの子、じゃないよね?」
「そうだね。ぼくは健吾くんのクラスの人間じゃない」
「なんで、ぼくの名前を知ってるの? 君はどこの誰?」
「ふふ、質問が多いなぁ」
「あ、ごめん」
そう指摘された健吾は少し居心地が悪そうに画面から目を逸らした。
「いいよ。気にしないで。まず君の名前は、画面に表示されているだけだよ。あとの質問はごめん。答えられないんだ。でも、ぼくのいるところにはクラスメイトも、お父さんもお母さんもいないんだ」
「君は一人だけなの?」
「うん。ここにはぼくしかいない。それに、こんな風にぼくの声を聞いてくれる人が現れたのも、健吾くんが初めてなんだ。だから、実は今すごく嬉しいんだよ」
先ほどの寂しそうな調子から一転、その声からは興奮している様子がありありと伝わってきた。
「確かに、先生も他の子も、君のことが見えなかったみたい」
「でしょ。ねえ、健吾くん、ぼくの友達になってよ。本当にこんな風に誰かと話すの初めてで嬉しくて。健吾くんの話をぼくにしてくれるだけでいいからさ」
健吾の心に迷いは無かった。
「もちろん、いいよ」
声の主を可哀そうだと思う気持ちもあったが、それより何より秘密の友達ができることにワクワクした。
「君のことはなんて呼べばいいの?」
「うーん、実はぼく名前も無いんだ。でも健吾くんにとってなんでも話せる存在でありたいし、ぼくのこともケンゴって呼んでほしいな」
自分の名前で相手を呼ぶのは少し変な感じもしたが、もともと奇妙な友達なのだし、それを受け入れることにした。
「そっか。オッケー。じゃあケンゴ、これからよろしくね!」
その時背中に衝撃が走り、うっ、という声が漏れた。健吾が振り返ると、そこにはボールを持ってにやにやしているクラスメイトの秀人がいた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「大丈夫だよ。でもごめん、友達の秀人くんからドッジボール誘われてて。続きはまた後ででいいかな?」
「もちろん、いいよ。後で秀人くんの話も聞かせてよ」
「うん。じゃあ、またね」
そう言って健吾はその日のミーティングを切り上げた。
それからというもの、健吾はどんどんと秘密の友達にのめりこんでいった。こっちのことを何も知らず一人ぼっちのケンゴは、どんな話にも羨望の声を上げてくれて、話をしていて気持ちがよかった。
健吾は自分がいかに良い友達に囲まれているかを語った。
「そうかぁ、羨ましいなぁ」
健吾は自分がいかに先生から信頼されているかを語った。
「そうかぁ、羨ましいなぁ」
健吾は自分がいかに親から愛されているかを語った。
「そうかぁ、羨ましいなぁ」
学校でも家でも、時間があればミーティングを開催し、もはやケンゴがいない生活は考えられなくなっていた。
そんなある日、目を覚ました健吾は、自分が夢でも見ているのかと思った。さっきまでベッドで寝転びながらタブレットを使っていたのに、気がついたら、何もない真っ暗闇の空間に倒れていたからだ。
「健吾くん、こっちだよ」
呆然としている健吾の耳に、いきなり健吾の声が届いた。慌てて声のする方を見ると、暗闇の中に一部だけ、四角くぼぉっと光っているところがあった。さらによく見てみると、その四角の中に自分の姿が見えた。ただ、鏡になっているわけではなく、そこにいるのは健吾の姿をした、健吾ではない誰かだった。
「ぼくだよ、健吾くん。ごめんね。健吾くんの楽しそうな話を聞いてたら、我慢できなくて。だってぼく、ずっとそんな真っ暗なところにいたんだよ」
健吾は自分に何が起こっているのかを理解できていなかった。
「ケンゴくん? どういうこと?」
「ぼくと健吾くんが入れ替わったんだよ!」
ひと際大きな声で、健吾の問いかけに対して間髪入れずにケンゴはそう答えた。
「今健吾くんがいるのは、さっきまでぼくがいた世界さ。ああ、不安にならないで。大丈夫、ぼくが健吾くんと入れ替わったように、健吾くんも誰かと入れ替われるはずだから」
ケンゴがまくし立てる。
「おっと、秀人くんが呼んでるから、そろそろ行くね。ふふ、ドッジボールの誘いみたいだ。じゃあ、そういうことで、元気でね」
「待って!」
健吾の頭が追い付かないまま、ケンゴはプツンと消え、辺りはまた真っ暗闇に戻った。健吾の必死の呼びかけは、真っ暗な空間に当てもなく広がるだけだった。
健吾の心の中では色んな気持ちがごちゃ混ぜになっていた。大部分はこの空間に閉じ込められたことへの恐怖と怒りと不安。あとの少しは、嘘をついていたこへの申し訳なさ。
だってこれから始まるのはドッジボールではなく、自分を的にした的当てゲームなのだから。それを小林先生に相談しても、そんなのは自分のせいだと片付けられる。そして家に帰って待っているのは、ボロボロの自分に何の興味も向けない親。
健吾は理想の日々を嬉々として語っていただけだった。そして今や、唯一心を許せると思っていたケンゴにも裏切られてしまった。健吾は力なく地面にお尻をつけた。
そうしてどれくらいの時間が経ったのかも健吾にはわからなかったが、不意に、四角い光がまた目の前に現れた。しかしそこにケンゴの姿は無く、代わりに、知らない子が興味深そうにこちらをのぞき込んでいた。暗闇には、そのミーティングの光に青白く照らされた健吾の顔だけが浮かんでいた。