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八章 零落・レイ

「ねえ、お母さん?」

「なに?」

「私ってだめな人間なんですか?」

「どうして?」

「私ってずっと今まで辛い目にしか合ってこなかったんですよ?」

「それは大変だったわね。ところであなたが汽車から一緒に出てきたあの悪そうな人は誰なの?」

「彼は、大八州希栄って人で...私を助けてくれたんです」

「じゃああなたは辛い目以外もあってることになるわね」

「あ、もう。意地悪」

「ふふっ。あなたはあの人について言ったら良いと思うの、これは命令でもなんでも無い。ただ、彼と一緒に話してみるのも良いんじゃないかって」

「もう、私はまだ十四ですよ。彼とは十つ以上離れてるんですから」

「何もそこまで言ってないわよ。もしかして、あなた...」

「ちっ違いますよ。もう...」

その時、別れの鐘がなった。

「...そろそろ時間ね。これで私は成仏する。もう二度とあなたには会えなくなる。それでもあなたは良いの?私は全然構わないけど」

「私も全然大丈夫ですよ。もう死んだお母さんに会えただけでも嬉しいんですから、これ以上わがままを言って困らせるわけにもいけませんよ。まあ、すぐにそっちに行くと思いますが」

「そうね。あなたはよく頑張ったわ。さよなら。彼のこと、大切にしてあげてね」

「うん。さようなら、お母さん」

彼女は最後にこちらを振り向いて、涙目で笑って門の奥に消えていった。




あ、あれは。

「大八州君!」

何故か呼び止めておいて逃げ出したくなった。謎に胸が高鳴る。あのときの恐怖とは違う、恐怖ではない、違う感覚。

「レイ、お前、伊邪那美がどこに居るか知ってるか?」

久しぶりに会って、開口一番にその言葉ですか。という彼女気取りな台詞が込み上げてきた。

そんな自分に失望する前に彼の顔を見て思考よりも先に発言を選択せざるを得なかった。

「大八州君、その顔、どうしたんですか?」

彼は少し顔に走る筋を撫でて言った。

「これは少し事情があってな。お前には関係ないことだから、気にしないでくれ。ところでさっきの質問だが、伊邪那美が今どこにいるか分かるか?」

「いえ。分かりません、すいませ...いや、だめすね。この癖」

これは自分でも少し成長できたと感じている。

「お前、ちょっと付き合え」

「え、あ、はい!」

彼に付いていった先は、一軒の家だった。

何ら変哲の無いように思えたが、玄関の戸を開けると、濃い血の匂いが私の鼻をついた。

「こ、これは?あ!奥で人が倒れています!」

私がその人の所に行こうとすると、大八州君が、私を引き戻して抱きしめた。

不覚にもいい匂いと思ってしまったことは今でも内緒にしている。

「ど、どうしたんですか?早く助けないと!」

「...もう死んでるさ。少し見てくる」

そう言って彼は私を放して、倒れている人の近くまで行った。

ひと目見ただけで死んでいるとわかり、初めて見る凄惨な死体を前に手が震えた。

手を組んで、目を閉じて祈りを捧げ、ちらりと大八州君の方を見た。

「この人、知っている人なんですか?」

「ああ、お前も知っている人だ。ところでお前、切支丹キリシタンなのか?」

「はい、家がそうでしたから」

「どっちの?」

「はい?どういうことですか?」

大八州君は少し間を開けてから言った。

「少し外に出ようか」

家の外に出ると、いつまで立っても日が昇らない黄泉の国の風が吹き付けた。

血の匂いも風が持っていってくれた。大きく息を吸い、大八州君に向き直った。

「どうして私の家が二つあるとわかったんですか?」

「お前、駅で女の人と抱き合っていただろう?わざわざこんな所に来るのに、会った途端に泣き出すような大切な人は死別した家族ぐらいだ。もちろん、お前の年齢からしての話だけどな。それで、死にたいと思って此処に来るなら、家族、特にメイのことは嫌いなはずだ。なんでとは言うなよ、顔に書いてたからな。それで、だ。家族が嫌いで此処に来たのに来た先にも家族がいるんだ。だから別の家族かなって思っただけだ。適当な考えだから聞き流してくれ」

あの一瞬でここまで考えているなんて。

「...今の、今の家族がキリスト教だったんです。すがるものが何もなくて、神様に助けを求めようと思ったけど、現実はやっぱり何も変わらない」

それなら、と言って大八州君は

「今から神様に現実を変えろと言いに行くか?基督キリスト教の神様じゃないけどな」

「...はい!」

何故か一緒に行きたくなった。何も理由はないが、彼と共にいたかった。

しばらく一緒に歩いてから、迷いなく歩き続ける彼に一つ質問をした。

「なにか行くあてはあるんですか?」

すると彼はこちらを振り向いて鼻で笑って、小さな声、囁くように言った。

「...ない」

「え、無いんですか?じゃあ一体何でこんなに歩いてるんですか?」

「ある人を少し探そうとしてるんだ」

「それって、誰のことですか?私の知ってる人ですか?」

「ああ、知ってるさ。お前が一番知ってるだろう」

まさか、メイ?いや、でも、なんで?わざわざ私と会う理由がわからない。

「お前の母親にでも会おうと思ってな」

「あ...母は、もう」

彼はすべてを察したようにため息をついた。

「お前と暮らしていたら未練が出るからって言って逝ったのか?」

「...そう、です。なんでわかるんですか...それに、なんで私の母を探そうとしているんですか?」

「それは、だな。お前が母と抱き合ったときに、お前の母は僕の母とは知り合いだったみたいだ。それで話を詳しく聞こうかと思っていたんだけど、まあ、娘を思う気持ちで旅立った人を責めるのは良くないな」

それから大八州君は、向きを変えて、今度は遠くに見える遊郭のような場所に向かって歩き出した。

「大八州君...?一体、どこに向かおうとしているんですか?」

「ん?ああ、あそこに見えるだろ。あれだ。あそこに僕の知り合いだった人の知り合いがいる」

「...じゃあ別人じゃないですか。誰ですか?その人」

彼は少し考えてから、

「知り合いの鬼が別れ際に教えてくれたんだ。もしも神様の行方がわからなかったらそこに行けって。」

と言った。それからまた何も言わずに前を向いて歩き出したので、私は少し腹がたった。

「大八州君、どうして全てをぼかして伝えようとするんですか?私が知ったらいけないことなんですか?」

「ああそうだ。知ったらいけないと言うより、知れば命の保障はないと言ったほうが良いか」

「...どういう、事ですか?」

「死んでもいいってんなら教えるさ」

私は少しもたじろがず、彼の前に回って彼の目を見て言った。

「死んでもいいので教えてください。私はあなたと一緒にいたいんです!」

そういった自分の心は先程の謎の感覚で満ちていた。

「母親に言われたのか?」

彼は正しい、でも、

「私が一緒にいたいんです。だめですか?大八州君」

私がそう言うと彼は少し悩んで、私の隣を歩きながら話し始めた。

「今探してる神様は、伊邪那美って言ってな。そいつは大昔に此処、黄泉の国に堕ちてきたらしいんだ。その時の怨念があまりにも膨大でそれを封じ込めるために作られたのが、僕の胸の中にある、コトリバコっていうものだ。その影響で顔にこの線があるんだがな。それで、その箱の中の怨念は無くさないといけなかったらしく、その怨念の吸収剤として人間の魂が使われたらしい。それのうちの一つ、最初の魂が、伊邪那美の怨念に打ち勝って自我を持ったんだ。それから彼女は伊邪那美に己の罪と向き合わせると言って力をつけながらあちこちを旅してたらしい。その過程で過去改変能力を手に入れたとも言ってたな。それで、僕と出会って、一緒にと言っても僕だけだが、なんとか昔の伊邪那美を殺して、現在の伊邪那美を弱らせたらしい」

「それで今、伊邪那美とコトリバコを接触させようとしているということなんですね」

「まだ子供なのに、話が早いな」

私はムッとして答えた。

「私だってもう十四ですよ。十分、大人です」

すると彼は驚いた様子で、

「お前、十四だったのか。僕と六つしか変わらないのか。」

と言った。私の方も彼以上に驚いて言った。

「まだ二十歳だったんですか?大八州君...その、老けてるって言われませんか?」

私の言葉に彼は少しため息をついてから答えた。

「僕が人間と接するような人間に見えるか?」

「あ、いえ...」

正直なところ、もう数年は人と接していない人に見えるが、間違いでないことはなんとなく分かった。

「ついたぞ。此処だ」

突然大八州が言った。

「もう、ですか?意外と早かったですね。あれ、此処って...」

「さっきの遊郭のど真ん中、玉藻前の邸宅らしい。話によれば、勝手に門が開くらしいが」

「やっぱり遊郭なんですね!」

「ん?それがどうかしたのか?」

私が何も言わずに大きくため息をつくと、邸宅の大きな門が開いて、中から大きな九尾が出てきた。

「まあまあ、そう怒るでない小娘よ。此処に住んでいるこの俺、玉藻前の前ではどんな争いも禁止だ」

九尾の脇から一人の青年が出てきた。恐らく彼の言っていることが正しければ、彼が玉藻前なのだろう。

「あんたが玉藻前か」

大八州君が高圧的な態度で切り出した。どんな相手にも屈しない、言い換えれば立場をわきまえない人だ。

「そうだ、俺が玉藻前。要件は何だい?手短にね」

玉藻前も全く動じない様子で答えた。すると大八州君は、とんでもないことを口にした。

「三種の神器のうちの八尺瓊勾玉やさかにのまがたまと、八咫鏡やたのかがみを探しているんだ。場所はわかっている。皇居や他の神社にあるそうだが、少し手伝ってほしいことがある。護衛を眠らせておいてくれ。それだけでいい。後は僕の知り合いの鬼がなんとかすると言っていた」

「...そんなことか」

「いいのか?」

「駄目だ」

きっぱりと断った玉藻前に、私も、彼も少し動揺した。

「な、何故断るんですか?」

私は知らぬうちに聞いていた。すると彼は私を一周舐め回すようにじっくりと見た後、言った。

「三種の神器は全て俺が持っているんだ。現世にあるのは全て偽物。殺されて悔しかったから、死ぬ間際に奪ってきてやったんだ。それで、このまま君たちに渡してもいいけど、それじゃつまらない。」

一息置いて、彼はだからと言って、取引を提示してきた。

「今から、この娘に試練を与えよう。これに耐えることができたのなら、神器は渡す。これでいいだろう」

私はなんとももやもやした気持ちになった。私だけに試練を与えて、それをこなせなかったら神器はもらえない。大八州君を完全に除外して考えた彼の考えに少々腹がたった。

大八州君は、なにか言い返すかと思っていたが、それとは裏腹に彼はその条件をすぐに飲み込んだ。

「え、いいんですか?大八州君」

「ああ、いいさ。お前、できるだろう?僕はお前を一番信頼しているからな。」

「何故?」

「それはお前が試練に成功したら教えてやる。行ってこい」

彼の顔には今まで見たことがないような慈愛で満ちていて、表情一つでこんなにも彼に惹かれるものなのかと思い、自分でもわかるくらい顔が赤くなった。

「行ってきます。大八州君」

そう言って私は玉藻前の前に立って

「試練を開始してください」

すると彼は何も言わずに私の頭の上に手をかざして、言った。

「夢幻・零落」

視界から色が消える、指先の感覚がなくなる。心臓の鼓動が早くなって、止まった。目を、閉じる。




心臓の鼓動が聞こえる。全身の感覚が戻る。大きく息を吸って、目を開いた。白黒だ。

数十秒経っても世界は依然、白黒のままだった。

周囲を見渡しても、そこは見知らぬ家の一室。試練がなにかもわからず、部屋の中を歩き回った。

部屋から出ると、そこは長い長い廊下。右も左もわからず、私の意思は関係なく適当に歩き出した。

反対側から誰か歩いてくるのが見えた。

誰だろう。でも、メイに似ている。すれ違うときに、彼女に思い切り頬をたたかれた。痛みはあった。ただ、それ以外、音も、匂いも、何もない。あるのは痛みだけ。

驚いて座り込んだ私を見る彼女の目は、汽車の中にいたあの怪物と同じ目をしていた。

逃げ出したいと思っても私の体は動かず、意思とは関係なく、私は土下座をして、何かを言っていた。

ゆっくりと顔を上げると彼女はまだあの目で私を見下ろしていた。

呼吸が早くなる。私の頭の中に、誰かの意思が流れ込んでくる。

許してください。申しません。全てあなたの思うままに生きますので。どうかお許しください。

それ以外何も考えられなかった。今までの思考が、別の誰かの意思によって上書きされる。体が思うように動かず、私の体は、彼女にの後についていった。

意思の流入が終わると、私はまた思考を一から再構築し始めた。その間も私の体は全く動かせなかった。動いているはずなのに、動いている感覚がない。あるのは、先程たたかれた頬の痛みだけ。

ある程度私がまとまってから、また意思が流れ込んできた。この瞬間はどうしても私は私ではなくなる。

痛い。どうして私が、こんな目に合わないといけなかったの?あの時、伊邪那美を殺さなければ、私は彼とともに逝けたのに。どうして?

思考の再構築が始まった。自分の意志でできた瞬きをすると、私の前には私がいた。

人間の目をしていない私と、私の意思に関係なく勝手に話し出す私が、そこには存在していた。

それから、人間の目をしていない方の私が口を開いた。

ねえ、なんで伊邪那美を殺したの?

なんでって、彼がそう言ったから。

彼はあの戦いで死んだのよ?わざわざこっちに戻ってくる必要なんて無かったじゃない。

でも、彼は私に生きろって言ってくれた。私に生きるということを教えてくれた。

その結果がこれじゃない。あなたわたしを苦しめるためにこんな選択をしたの?

違う。これがわたしあなたにとっての最善の選択だったと思ったから、今の道を選んだ。

最善って?誰にとっての?なんのための最善?

それは、分からない。最善だと思ったから考えうる最善の選択をしたんだと思う。

本当に、あなたって無能ね。こんなくだらない人間だから、まだメイのお世話をやっている。

それは、ごめんなさい。でも彼女はあなたを見捨てなかった。

都合の良い奴隷だとしか思ってないわよ。わたしはいつまで経ってもあなたなんだから。彼女の言いなりよ。

じゃあ、伊邪那美を殺さなければこんなことにはならなかったのかしら。

それは分からないは、最終決定権は、わたしでもあなたにも無い。かのじょにあるの。

ねえ、レイはどうするつもりなの?

二人の私は鏡越しに私を見た。世界が不安定だ。思考がまとまらない。逃げ出したい。もう駄目だ。

そう思って一歩後ずさった。

あれ、地面がない。落ち続ける。感覚がなくなる、痛みも、思考さえもなくなってゆく。

意識が、ほどける。




見覚えのない部屋の中にいる。

心臓の鼓動が戻ってきた。

痛みが戻ってきた。

レイが、戻ってきた。

色はまだ戻ってこない。白黒だ。

前には、大八州君。心配する目で私を見ている。良かった。人間の目だ。

手を伸ばして、彼に触れようとした。

手錠が、いくつも私の腕にかかっている。動かせない。

「あ...ああ...」

うまく発音できない。それに...どうして手錠が?

「あ、し...試練は?」

彼に聞いた。彼は少し困った顔でいった。

「失敗だ」

それから、私は私の試練中に起こったことを聞かせてくれた。

私が急に叫びだし、気がつくと手錠をはめられていたということ。髪の色が、真っ白になって、目の色も抜けて、真っ白になっているそうだ。手鏡で確認してもわかるほど、私の髪と目から色が抜けていた。

それから、私が見たのは未来に怒ることの一部だそうだ。

「...ごめんなさい」

私は謝った。私がいなければこんなことにはならなかった。涙がこぼれる。私は弱い。私なんかのせいで大八州君を困らせたんだ。私が弱いせいで未来の私はあんな目をするようになってしまったんだ。自分が惨めだ。

「...何があったか言ってみろ」

私の謝罪を聞かず、彼は優しく話しかけた。

私は、試練のことを話した。全て、私の未来のことも、話した。

全て話してから、私が大きくため息をつくと、大八州君は何かを思いつき、澄ました顔で私にこう言った。

「じゃあ、メイに直談判して未来を変えに行くか、それとも、ここで諦めるか。選べ」

もちろん決まっている。もう、迷わない。

「ここで、諦めて、もう母のいるところに逝きます」

「...そう、か。わかっ」

「ちょっと待ちなよ。二人とも」

私と彼の間に、いつの間にか立っていた骨のような角が二本生えた女性が立っていた。

人間ではないことが一目でわかった。目の中に瞳が三つある生き物を人間とは呼ばないからだ。

「貴女は...?」

彼女は大八州君の方をちらりと見て、すぐに塵となって大八洲くんに吸収されるように消えていった。彼は少しため息をついて言った。

「そう言えばお前がいたんだったな」

私が首を傾けていると、彼は少し笑って言った。

「コトリバコだ。今は僕の胸の中で眠っている。どうやら過去は変えられるらしいが、コレだと未来も変えられるんだろう。全く、とんだ性能だ。どうだ、これを聞いたうえで、もう一度考えられるか?」

「あの、大八州君はどうして私をそんなに連れて行きたがるんですか?死にたいと思って此処に来たのに、死なせてはくれないんですか?」

適当な嘘をついてこの場を誤魔化そうとしたが、ずっと黙ったままの彼の目は私の心の奥深くまで見抜いているようだった。

「...嘘、だということはバレているみたいですね。母とも綺麗さっぱりに別れて、大八州君とメイが話して彼女がいなくなって、コトリバコというもので未来を変えられたら、私は多分自由になれる。でも、それじゃ私が何もせずに幸せを享受してしまう。そんなずるいことはできません。したくありません。...でも、でも私は、戦うことが、怖いんです。もし失敗したらどうしようって。また同じ様になったら、これ以上私は何も失いたくない。大八州君や、他のみんなの顔の色がわからない。世界に色がない私に一体何が出来るっていうんですか?何もできないまま何も変わらないのは嫌だけど、なにかしてもっと大切なものを失うのはもっと嫌なんです。だから、だから...」

私は涙を流しながら話していた。大八州君はそんな私を見て嘲笑っているのだろうか、怒っているのだろうか、悲しんでいるのだろうか、涙で何も見えないせいで全くわからない。しかし、彼は私の頭に手をおいて、小さく言ったのだ。

「そうか。よく頑張ったな。此処にもうじき、僕の知り合いの鬼が来る。そいつ等に会えばお前は現世に帰れるはずだ。あと、この犬をお前に預けておく。次会ったら返すんだぞ。...じゃあな」

待って、と言って彼の服の裾を掴むこともできなかった私は、床を見ながら涙をこぼし続けた。

何もわからない犬はただ私の周囲を嗅ぎ回るだけだった。

知らぬ間に彼がいなくなって、彼の言ったとおりに二人の鬼がやってきて、私に切符を渡した。

切符にはこう書かれてあった。

『黄泉→きさらぎ駅』

私が切符を受け取ったのを確認すると、片方の鬼が言った。

「きさらぎ駅に着いたら、そのまま山を下れ。帰りは安全だから、安心すればいい。駅はこの宿のすぐ隣にある。できるだけ早く行くんだ。伊邪那美が来ないうちにな」

それからすぐにその鬼たちも何処かへ行ってしまった。

誰もいない静かな部屋の空気が私の心を抉った。

しばらく泣いてから、私は何も考えないまま、犬を抱えて宿を出た。

それから、日の登りそうな薄暗い空を見上げて、涙を流しながら呟いた。

「ごめんなさい。大八州君」

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