2 入学式と記憶
入学式が終わった。長い。長すぎる。二年前の自分の時ですら嫌気がさしたのに、仕方がない。自分の立場を考えれば、むしろ必然だろう。
在校生代表としての祝辞を終え、生徒会室へ引き上げようと講堂の檀上裏から外へ出る。手入れの行き届いた帝立学園の庭園は、春の暖かな日差しを受けて花が咲き誇っている。庭園を横切るように設えられた渡り廊下を、教室棟へ移動する新入生が列をなして渡っていくのが見えた。
ふと、一人の生徒に目が留まる。
胸まであるストレートの黒髪をひとつに結い、赤みがかった金茶の瞳はきつい印象。修道服を模した紺色の制服越しにもわかるほど緩急のついた身体は、十六歳のそれとは思えない。姿勢を伸ばして粛々と歩く女生徒。
★★★★
目の前で臣下の最敬礼のまま頭を下げている少女は、レースがふんだんにあしらわれた黄色のドレス、結った髪にも黄色の花飾りがたくさんあしらわれた、とても貴族らしい格好をしていた。
「二グレード公しゃくが、むすめ、ゾフィー・ケリア・フォン・ニグレードが、ご、ごアイサツ申し上げます」
たどたどしい挨拶に、付け焼刃に教えられたのだと分かる。
「許す」
臣下の最敬礼からパッと顔を上げる。これも無作法だ。
赤みが強い金茶の目。
八歳の少女らしいく好奇心が抑えられないキラキラとした目とかち合う。
「きょうえつしご……」
言葉が切れた。またか、と私がうんざりするが早いか、
「イヤーーーーーーーー!」
と絶叫がこだました。
悲鳴を上げた少女の表情は青ざめ驚愕へと変わっている。
「助けて……、私……なんで」
数十秒無言でだらりと立っていた少女が、か細い声でつぶやいた気がした瞬間、ダン!!と音を立てて倒れた。
★★★★
女生徒を見ながら、婚約者と初めて会った時のことを思い出す。
それが今では淑女の鏡と言われているら驚きだ。
そのまま足を止めて新入生の列を見ていれば、粛々と歩いていたゾフィーが態勢を崩し、よろける。近くにいた引率の腕章を付けた男子生徒が素早く支えた。
身体を起こしたゾフィーは、乱れた横髪に手をやり、俯きがちにその場に留まっている。男子生徒の口元が動いているので何か話しているのだろうか。数秒後、顔を上げて立ち去るゾフィーは照れた様子ではにかんでいた。
今まで見たことのないゾフィーの表情に、胸にギリッと不快な感情が刺す。
金茶の目を細め、無表情とも不機嫌とも取れない表情が脳裏にチラつく。
私には見せないだけで他では穏やかな表情も見せるのかもしれない。他者からは、特に令嬢たちからは慕われているようだ。いや、それともあの者だからだろうか。
背だけは高いが印象は薄い。顔立ちは整っているが亜麻色の髪に同色の瞳はこの国ではいたって平凡。同じクラスだが授業での発言は少なく、成績は座学でも剣術などの実技でも中位。行事への参加も消極的な者が、入学式の運営に参加したこと言ったことを意外に思ったのは私だけではないはずだ。
トン!
背中に軽い衝撃を受け振り返ると、視界の下方に明るい色彩がキラキラと揺れる。目線を下げれば、ふんわりと波打つピンクブロンドの髪の隙間から檸檬のように透明感のある淡い黄色の目が覗いていた。
「あっ、ごめんなさい!」
ぶつかった衝撃に驚いたのか両腕を胸の前に折り上半身を縮めて、自分を見上げている小柄な少女がそこにいた。制服を着ているのだから、高等科の女生徒なのだろう。
帝立学園は十六~十八歳が通う高等科と、高等科修了に値する者がそれぞれの分野に分かれて研鑚を積む専門科に分かれている。専門科には制服がない。
目が合うと、花がほころんだようにパァーッと相好を崩し、
「もしかして、ルキウス・サシャ・フォン・インディグム……、皇太子殿下ですか⁉金の髪に碧い瞳……」
謝罪の時のか細い声とは違った、鈴の鳴る様な声で問うてくる。
「ええ。ぶつかってしまいましたね。大丈夫でしたか?」
「はい。こちらこそよそ見をしてしまって……、すみません」
「気になさらないでください。それより、どうされたのですか?」
「教育棟へ戻りたいのですが。講堂を出るのが遅れてしまったら、みんな居なくなっちゃって、迷ってたんです」
整った眉を下げて不安そうにつぶやく少女。
渡り廊下の方を見れば、先ほどの新入生の列は消え引率係もいなくなっていた。
「貴女も新入生なのですね。教育棟まで送りましょう」
「本当ですか!ありがとうございます!」
表情がクルリと変わり、また花がほころんだような笑顔を見せる。
「貴女のお名前を聞いていませんでしたね?」
「あ!私、サラ・ピアン・ツー・ノイマンと申します」
ピンクブロンドの髪を揺らして、ちょこんと頭をかしげた。
ランバート・ツー・ノイマン、先ほどゾフィーと言葉を交わしていた男子生徒が脳裏に浮かぶ。
新興伯爵家の嫡子。そういえば、更新された貴族名鑑に息女の名前が追加されていたな。妾腹の娘を引き取ったとか何とか噂になっていた気がする。
この高等科は貴族の子息、息女の教育と社交の足掛かりとして設立された、インディグム帝国運営の教育機関だ。帝立学園以外には領主や教会が運営している学校があり、それぞれの地域や身分応じた学校に通うこととなる。貧しい平民にいたっては教育もままならないと聞く。国として由々しき問題の一つだ。
高位貴族ばかりが集う高等科において、このサラの受け答えは拙いと感じる。が、しかし、幼い見た目と表情から素直に愛らしいと思う。ゾフィーの幼少期とも、実姉妹のわがままとも違って、癒される。
彼女の華奢な手を取って教育棟へと足を向けた。