6話 ローゼンベルク領都
ギルベルト達に同行することを決めた二人がまず初めにしたのは、手や服に付着した血を洗い落とすことだった。残念ながら服に付いた血はほとんど落ちず跡が残ってしまったが、少なくとも手や腕に付いた血は洗い流すことができた。服の汚れが落ちなかったことにリーゼは大分不満そうだったが、ヴァンとしては満足だ。
川辺からギルベルト達のところへと戻ると、散開していた騎士達もすでに戻っており、あの黒い獣もすっかりと布にくるまれていた。それから、ギルベルトの指示で騎士達とともに歩き出す。ヴァン達二人は前後を騎士に囲まれ、隊の真ん中に位置取ることとなった。
昨日とは異なり大勢に囲まれ、目的地も明確なためヴァンの心に憂いはない。隣を歩くリーゼの足取りも、心なしか軽やかに感じられる。
それからどれほど歩いただろうか、唐突に森が終わりを迎え視界が開けた。見渡す限りの平原が地平線まで広がっており、遠くには大小様々な山が見て取れる。前方には騎士達の仲間だろうか、何台もの馬車や馬とともに周囲の騎士達と同じ軽鎧に身を包んだ男達がいた。
「ジェド、あれは?」
ギルベルトは先頭で部隊を率いていたため、傍らにいたジェドへと質問を投げる。周囲の騎士達と同じローゼンベルク領の騎士であることまでは推測できるが、森に入っていた騎士と別れて何をしていたのだろうか。背伸びをしているもの、談笑しているもの、武器の手入れをしているものなど騎士の様子も様々だ。
「別動隊だ。馬の世話や馬車の見張り、連絡役として待機してもらっていた」
答えてもらえない可能性も考えられたが、存外素直に回答が返ってきた。その答えにヴァンは納得とともに振り返る。今まで歩いてきた森を見れば、馬車で通ることは不可能だ。かと言って、人が通りかかるとは思えないが、見張りも立てずに森の入口へ馬や馬車を放置するわけにもいかなかったのだろう。
眺めていると、ギルベルトが待機していた騎士達へと指示を出しているのか、何やら話しかけている。その横で、森から運び込まれた布に包まれた獣が馬車の一つに運び込まれていった。
「お前達は俺と同じ馬車だ。ついて来い」
ジェドの案内に従い、一台の馬車へと案内される。どの馬車も同じように見えるが、何か決まりでもあるのだろう。
ジェドが馬車に乗り込み、ヴァンとリーゼも後に続く。馬車は左右で向かい合って座る形となっており、ヴァンとリーゼは隣同士、ジェドと向かい合って座る形だ。横を向けば御者台越しに前方が、前後の窓からは周囲の様子が見て取れる。椅子には布が張られているが、正直に言って座り心地は悪い。
しばらくして、さらに数人の騎士が乗り込み、やがて馬車がゆっくりと動き始めた。
「見えてきたぞ。あれが領都だ」
陽が傾き始めたころ、ジェドに声を掛けられたことで顔を上げたヴァンは馬車の前方に目を向ける。馬車の揺れは思ったほど酷くはなく、おかげで尻の痛みも大したことはなかったが、ただ変化のない時間に丁度飽きが来ていたところだった。
馬車の進む方向には確かに、明らかに人工物だとわかるものが見て取れる。左右に長々と広がっているのは街を囲む壁なのだろう、その長さだけで街がなかなかの規模であることが伺える。いくつか背の高い建物が壁の上から顔を覗かせており、進行方向の壁には出入りのために門が設けられていた。
街へと近づくに連れ、徐々に壁の高さが明らかになってくる。ヴァンの背丈の三倍ほどはあるだろうか、近くで見上げるには首が痛くなりそうな高さで、先人はよくこれを作り上げたものだと感心する。
馬車が停止したため先頭の馬車に目を向ければ、門の見張りの騎士なのだろう、ヴァン達が共に来た騎士達よりももう少ししっかりとした作りの鎧に身を包んだ騎士が、馬車に向かって話しかけている。そのまま二言、三言言葉を交わした後、馬車は再び進みだした。
先頭の馬車が門を潜り、後続の馬車も呼び止められることなく後に続く。ヴァン達の乗る馬車も門を過ぎれば、そこは初めて目にする街だ。
馬車の中から外を伺えば、大小様々な建物が不規則に立ち並ぶのが見て取れる。整備された石畳は馬車が通行するのに程よく、街の外よりも揺れは少なく快適だ。ヴァン達の進んでいる道は大通りとなっているのか、馬車がすれ違ってもなお人が通行するのに支障がないほどのスペースが余っている。
道行く人々のうち何人かが馬車の騎士達に気付き、歓声を上げて手を振ってくれば、騎士達も応じるように手を上げる。街の中には巡回なのか、門で見たのと同じ鎧姿の騎士が二人一組で歩いているのも見て取れた。
途中で一度右折を挟み、さらに直進を続けたところ、街に入ってきたときと同じような壁と門が前方に見えてきた。先頭の馬車が停止し、街に入った際と同様に見張りに立っている騎士と何やら話し合っている。
「なんだ、街を出るのか?」
疑問を口に出せば、ジェドから「そうではない」と否定の言葉が入る。何でも、街に入る際に通った門は街門と呼ばれ、その名の通り街の外と中とを隔てる扉だそうだ。街に入る際は簡単なチェックを受けるだけで通ることができる。
それに対して、今目の前にある門は外門と呼ばれ、それより先は城の敷地であり入るのには特別な許可が必要となる。さらに、城内に入ろうと思うのであれば、更なる許可を得て内門と呼ばれる門を通る必要があるそうだ。なお、今から向かう全象術室は外門と内門の間にあるとのことだ。
馬車が停止してからほどなく、通行の許可は問題なく出され、ヴァン達一行は外門を潜り抜け城の敷地内へと足を運んだ。正面に目を向ければ、遠くにはもう一つ壁と門があり、その上には城が聳え立つのが目に入った。
しばらく道なりに進んだころ、不意に馬車が停止した。今回は門のそばなどではなく、何もない道の真ん中である。
「俺達はここまでだ」
そう言ってジェドが馬車を降り、ヴァン達に降りるよう促すため二人もその後に続く。前方の馬車に乗るギルベルトから「任せたぞ」と声がかけられ、ジェドが応じるように手を挙げた。それを確認し、再び馬車は走り出す。
「こちらだ」
短くそれだけ言って歩き出すジェドの後を、遅れないようにと二人は付いて行く。歩きながら左右を見渡せば、大小様々な建物が立ち並んでいる。馬車で街中を通った時は多くの人々が行き交い賑やかしかったものだが、外門を潜ってからは人の通行もまばらで、全体的に静かな印象だ。
「ここだ」
歩き出してほどなく、一つの建物の前でジェドが足を止める。三人の前にあるのは白を基調とした大きな建物だ。縦にも横にも大きなそれに、ヴァンは若干気後れする。
建物を見上げるヴァンとリーゼの二人を尻目に、ジェドは建物の中へと足を進める。後に続き、玄関の扉を開ければ長い廊下が続いていた。廊下は左右にいくつもの扉があり、天井にはどういう原理なのか、明かりを発する装置が等間隔に設置されており通路を照らしていた。
左右の扉には目もくれず、前を歩くジェドは真っ直ぐに進み続ける。正面にある大きな扉を開け、続いて中に入れば広々とした空間が広がっていた。
そこには大きなテーブルが四つに、何脚もの椅子が設えられている。壁際には格子の付いた大窓が嵌め込まれており、部屋を明々と照らしていた。奥には暖炉が設置されているが、今は火を入れられておらず、壁際の観賞物の一つとなっている。
その暖炉の傍の椅子に、一人の少女が座っていた。その小さな少女の長い髪は銀色に輝き、ジェドと同じような青色の外套を身にまとっている。背もたれに体を預け、何やら分厚い本を読んでいるようだ。何より気にかかるのは、遠目からではよくわからないものの、銀に輝く頭の上に、同じような色合いの物体が乗っていることだ。
三人の視線を受けてか、少女がヴァン達へと顔を向ける。その顔つきはリーゼよりも少々幼いものの、同じくらいに整っていた。
「ジェド!」
驚きに目を見開いた銀髪の少女が、体を跳ね起きさせ椅子から立ち上がる。傍らの小テーブルに本を置き、三人の方へと駆け寄ってきた。年齢は十三、四歳くらい、身長はリーゼよりも少し低いだろうか、ヴァンからすれば随分と小さく見える。銀の髪は後ろで一つに括っているのか、動きに合わせてゆらゆらと左右に揺れていた。
「おかえりなさい! 騎士団の任務は問題なく終わりましたか?」
ジェドの眼前で足を止めた少女が、見上げながら問いかける。少女特有の高い声と、やや大人びた口調が特徴的な子だ。ジェドとは親しい間柄なのか、問いかける声には喜色が滲んでいる。
「ただいまアンジェ。少々予定外の事はあったが、任務自体は問題なく終わった」
答えるジェドの声色も、ヴァンやリーゼにかけるのと比べれば幾分やわらかいように聞こえる。
「それで……その二人はどちら様ですか?」
ジェドの体から顔を覗かせ、少女がヴァン達に目を向ける。くりくりとした金の瞳が、ヴァン達二人を観察するように上から下までなぞる。
「この二人は術士候補だ。今回の任務で出会った」
「術士候補とは、珍しいですね。私はアンジェ。お二人とも、よろしくお願いしますね」
驚きに目を丸くし、名乗りを上げた少女は二人に笑顔を向けてくる。それにヴァンは片手をあげて答えてみせる。
「よろしくな。俺はヴァンだ。で、こっちが――」
「私はリーゼ。よろしくね」
名乗りを挙げつつも、どうしても目線はアンジェではなくその頭の上へと注がれる。アンジェが椅子に座っていたころから、妙な存在感を放ち続けていたそれは、今はその水色の眼をヴァン達二人へと向けている。
そう、アンジェの頭上には、生き物と思しき存在が鎮座しているのだ。頭部には左右に角のような突起があり、首と尾は蛇のように長い。胴体は両手で包み込めるような丸さで、小さな四肢がついており、左右には折りたたまれた翼がある。全身を輝く銀色の鱗で覆われたそれは、ヴァンの知識に間違いがなければ、龍と呼ばれる生物だった。
その小さな龍が、何やら二人に向けて片手を伸ばしている。傍から見ればそれは、握手を求めているようにも見える。
「ところで、それは……」
「こちらはフィーネ。見ての通りの風龍で、私の家族です」
龍のような生物を指さしながら問いただせば、アンジェから笑顔で回答があった。ヴァンは龍の生態には詳しくないが、風龍というのは龍の種類なのだろうか。なんにせよ、アンジェの飼っているペットだろうと納得する。
「フィーネは握手がしたいみたいです。お願いできますか?」
「え? あ、あぁ」
アンジェから妙な希望が告げられる。別に断ってもいいのだが、子供の言うことであるし、特に嫌というわけでもない。初対面の人間に握手を求める妙な癖でもついているのだろうかと思いつつ、右手を伸ばせばフィーネがその小さな手で握手に応じてきた。握手というか、人差し指を握る感じである。見た目通りに力は弱弱しく、ややひんやりとしたその手は触っていると何やら気持ちがよかった。ヴァンが触れると同時に、「キュッ」と小さく鳴き声を上げた。
ヴァンに続いてリーゼも手を伸ばせば、同じように鳴き声を挙げながら握手に応じた。それでフィーネは満足したのか、手を下ろしアンジェの頭上で丸くなる。
「アンジェ、ルドルフはいるか?」
「室長ですか? 部屋にいますよ」
ジェドの問いに、アンジェが三人の入ってきた扉と反対の扉を指さす。頭上のフィーネがアンジェの真似をするように腕を持ち上げ扉を指すのが微笑ましい。その扉の上には何やら文字が書いてあり、「全象術室長室」と読める。
ジェドは礼を返し、ヴァン達二人に付いてくるよう言って前方へと足を運んだ。ジェドが扉を二度コンコンとノックすれば、中から男の声が返ってきた。
面白いと感じた方は評価、ブックマーク、感想をよろしくお願い致します。




