4話 はじめての出会い
鳥の声と陽の暖かさに、ヴァンの意識が浮上する。目をゆっくりと開け、寝起きでうまく回らない頭で現状を確認すれば、自分が地面に仰向けに寝ていたことが分かった。
視界に入るのは日の光を最大限に受けんとする木々と、雲一つない一面の青空だ。どれほどの間寝ていたのかは定かではないが、日の高さからして少なくとも昼に差し掛かったころだろうと推測する。
自分は何故こんなところで寝ているのかと、未だうまく回らない頭でヴァンは寝る前の記憶を探る。そもそもの記憶の始まりは、記憶喪失の状態で今と同じように森の中で目覚めたことで、そこからリーゼと二人して森の中を彷徨い歩いた。
それから妙な黒い獣と遭遇し、無我夢中で戦った結果、何が起こったのかはわからないものの倒すことには成功した。代わりに自身も致命傷を負って倒れたはずだが――
「……生きてる、な」
――そう、間違いなく自分は死ぬのだと思っていたが、今はこのように生きている。左腕は折れ、わき腹を抉られ、右腕もあちこちから出血していたはずだが、今は全身のどこからも痛みを感じない。もしや感覚を失くしてしまったのかと思えば、両腕も、ついでに両足も間違いなく思い通りに動くようだ。
では腹周りはどうかと意識を向ければ、僅かな重みと温かさを感じる。圧迫感の正体を確かめようと首を持ち上げれば、リーゼがヴァンに折り重なるように倒れているのが視界に入った。
一瞬、死んでいるのかと焦ったが、規則正しく上下する胸を見て少なくとも呼吸はしていると安堵する。手にも顔にも血がべっとりと付着しているため、視覚的にはやや猟奇的だが、顔色も悪くはないため単に寝ているだけだと判断する。
しばらくリーゼの寝顔を観察していたが、本格的に自身の状態を確認するには少なくとも腹の上から退いてもらわなければならない。熟睡中のところ申し訳ないが、声を掛けることとする。
「リーゼ、起きろ」
声を掛け、体を揺する。深く考えずに行動に移したが、よくよく見てみればヴァンの左手はわき腹の傷口を押さえたために血塗れで、その血に塗れた手を拭うこともせずリーゼに触れたことに気が付いた。幸いなことに血は乾いており、また触れた部分にも元々血の跡があったため、気にしないことにする。
「んん……」
しばらく揺すったところで反応が返り、ゆっくりと瞼が持ち上がっていく。焦点の合わない青い瞳が数度瞬きを繰り返した後、ヴァンの顔を捉えた。
「ヴァン! えっ、体は大丈夫なの?!」
体を起こし膝立ちとなったリーゼに対し、右手を軽く上げて答える。
「まだよくわかってないが、どうも大丈夫なようだ」
言いつつ、リーゼが退いて自由となった上体を持ち上げ胡坐を組む。まずは両腕の状態を確認するが、どちらもところどころ血が付いているものの目立った外傷はない。ぐるぐると回してみたものの痛みもなく、間違いなく折れたと思っていた左腕も何の違和感もなく思い通りに動かすことができた。
首を傾げつつ、最も気になっていた左わき腹へと視線を落とす。そこには昨日の攻防が夢ではなく現実であったことを証明するように引き裂かれた服があり、そこを中心に血痕が広がっているのが見て取れる。
しかし破れた服の間から見える地肌に傷はなく、汚れている以外はこれといって外傷などは見受けられない。指で触れて確認してみるが、確かに触れた感触がある以外には傷跡もなく、抉られた肉も引き裂かれた肌も、元の通り健康的な肉体へと回帰していた。
「治ってる、な」
ヴァンの記憶では、意識を失う直前までは間違いなく死ぬ一歩手前といったところだった。薬や応急処置といった手当てをしたところで、いくらなんでも一晩でここまで驚異的な回復は見込めないだろう。何が起こったのかはわからないが、この場で何かができる唯一の存在へと目を向ける。
「リーゼが……治してくれたのか?」
それ以外に考えられず、かと言って治す方法も思い当たらないため、発する言葉は疑問形だ。対して、自身の体を確認するヴァンを膝立ちで見守っていたリーゼは両掌へと視線を落とす。
「……わからない。ただ、私も必死で……なんだか、両手が光ったのは覚えてるんだけど、そこから先は覚えてないの」
「そう、か」
思えば、自分が黒い獣と対峙した際にも似たようなことは起きていた。視線を前へと向ければ、黒い獣が昨日倒れた体勢のまま仰向けに倒れているのが目に入る。近づいて見下ろしてみれば、その胸部分には大穴が開いており、向こうの地面が見えるほどだ。
その結果をもたらしたのは、昨日ヴァンの右腕から発生した黒い槍状の光だった。あれを成したのは自身だったという自覚はあるものの、どのようにしたのかと問われたところでヴァンの口から説明はできそうにない。
「まぁ、何にせよ二人ともこうして無事だったんだ。今はそれだけで十分だろ」
「うーん、そんな風に片づけちゃっていいのかなぁ……」
「あまり考えすぎても仕方ないだろ。それで、これからどうするかだが……」
改めて自分とリーゼの恰好を見直すと、体にも服にも血が付着してしまっている。昨日と同じく人を探して進む前に、落としきることはできないとしても、多少なりとも洗い落とす必要があるだろう。幸いにも、川沿いに進んできたおかげで洗い落とすのに十分な水量を確保するのは容易だ。
「よし、まずは川で血を洗って――」
言いかけたところで、ふとヴァンの耳が異音を拾った。それは昨日に黒い獣が立てていたような、草木をかき分け近づいてくる音だ。奇しくも獣が現れたのと同じ方角から聞こえるそれは、嫌でも昨日の出来事を思い出させた。しかも、昨日とは異なり聞こえてくる音からして、近づいてくる存在は複数だ。
同じく音に気付いたのだろう、不安げな顔をしたリーゼが近寄ってくるのを横目で確認したヴァンは、手振りで自分の後ろにいるよう指示を出す。今度こそ身を隠したいが、近づいてくる音からして昨日の獣よりも早いようだ。
それから間を開けず、木々の間から彼らは姿を現した。数は五人、何れも軽鎧に身を包み、剣と盾を手にした男達だ。黒い獣でなかったことに少し安堵するが、相手は武装した人間だ。相手の出方がわからない以上、警戒は必要だろう。
こちらが気付いたのと同時に、相手もこちらに気付いたようだ。先頭の男の合図を受け、男達がヴァン達を取り囲むように左右に広がる。
「ここで何をしている」
集団の隊長格なのだろうか、真ん中の男が問いかけてくる。対して、ヴァンは答えに窮した。何をしていると問われても、特別に何かしていたわけではない。リーゼと顔を見合わせるが、特に妙案はないようだ。困ったような眉尻を下げた顔で見返されたヴァンは、せめて嘘偽りなく正直に答えようと、男達に向き直る。
「あ~っと、道に迷って……」
「こんなところでか? それで……これをやったのはお前達か?」
これと言いながら、男は剣の切っ先で倒れた黒い獣を指し示す。変に誤魔化しても仕方がないと、ヴァンは頷きを返す。それを受けた男は何やら考えた後、別の男に「まずは合図を」と指示を出す。指示を受けた男は懐から笛のようなものを取り出し、短く二度、強く吹いた。甲高い音が辺りに響き渡り、続いて音に驚いたのだろう鳥達が俄かに騒ぎ出した。
「ねぇ、そんな正直に答えて大丈夫なの?」
男達に聞こえないようにだろう、リーゼが小声で問いかけてくる。
「別に悪事を働いてるわけじゃないんだ。変に隠しても仕方がないだろ?」
「そうかもしれないけど、どう説明するっていうのよ」
「ありのままを話すさ」
肩を竦めてリーゼに答える。尚も不安そうにするリーゼに対し、任せろとばかりに頭に手を置く。どうもリーゼは悪いように考えているようだが、目の前にいる男達は探し求めていた第三者、しかも複数人だ。出来る限り友好的な関係を築いて、安全なところまで案内してほしいところだ。差し当たっては、男達の正体や目的を知りたい。
「こっちからも質問なんだが、あんた達は……あ~、どういう集まりなんだ?」
全員が同じ服装ということは、何らかの組織に所属しているというのが濃厚だろう。これで相手が犯罪組織であれば、リーゼと共に逃走の一手となるわけだが、あくまでヴァンの見立てになるがそのような雰囲気は感じられない。組織立った行動といい立ち居振舞いといい、正規の訓練を受けているように感じられる。
「我々はローゼンベルク領領都における騎士団、第三騎士隊所属の騎士だ」
その答えに、なるほど、とヴァンは納得する。言われてよくよく見てみれば、確かに煌びやかな鎧に身を包んだ騎士のイメージとは異なるものの、軽鎧に身を包み剣と盾を手にしたその姿は騎士のそれだった。
さらに、ヴァンは自身の記憶を手繰り寄せる。ローゼンベルクというと、確か国内の領地の一つの名前だったはずだ。王都から見て南西に位置し、大領地と言うわけではないがそこそこの広さの領土に多くも少なくもない人口、それから特徴として領地の一部が海に面していたと記憶している。その領都の騎士がここにいるということは、現在地はローゼンベルク領のどこかで間違いないだろう。
「それで、騎士様方はこんなところに何用で?」
もしや、ヴァン達二人を探しに来たのだろうか。何しろ、ヴァン自身はともかくとしてリーゼは着飾ればいいとこのお嬢様と言っても違和感のない容姿をしている。騎士が具体的にどういう仕事をしているのかは知らないが、リーゼの家から騎士団へ捜索の依頼があったと考えれば辻褄が合うのではないだろうか。
「我々の任務はこいつの討伐だ。昨日、手傷は負わせたものの逃がしてしまったため、本日も捜索を続けていたのだが……」
と、話の途中でガサガサという草を掻き分ける音が周囲からいくつも聞こえ、やがて目の前の男達と同じ軽鎧を身に着けた男達が三十人余り現れた。その中に一人だけ、周囲の男達とは異なり、軽鎧ではなく膝まである濃い青色の外套を身に着けた銀髪の男がやけに印象的だ。
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