18話 全象術の使い方 3
「次に全象術だが、基本的には身体強化と同じだ」
そう語り始めたジェドによると、他の全象術も身体強化とやり方は同じようなものであるということだった。どちらも共に大切なのは、明確なイメージだということだ。イメージが強いほど全象術は強く強力なものになるし、逆に弱すぎると形を成さず、ただ象力を消費する結果に終わるという。
「全象術を使う際は、自分が何をしたいのかを明確に思い浮かべる必要がある」
ジェドはそう言って注目を集める様に、掌を上に向けて腕を前に伸ばす。すると、ヴァン達の目の前でその差し出された掌の上に炎が生み出された。風に吹かれてゆらゆらと揺らめく、赤い塊だ。二人の前でその身を躍らせる炎は、本の中の出来事のようでひどく幻想的だった。ヴァンはこういう全象術が見たかったのだ。
「改めて見ても、やっぱりすごいよな……こういうの、アンジェもできるんだよな?」
身体強化の時から、基本的には見守るように立っていたアンジェへと目を向ける。アンジェも全象術室に所属している全象術士であることだし、多少なりとも使えるのだろう。折角の機会であるし、見ておきたい。
「もちろんできますよ」
そう言って両腕を前へと伸ばす。変化は唐突に訪れた。アンジェの右手の上には、ジェドが生み出したのと同じような炎が、赤々とその存在を主張している。そして、反対の手の上に浮かんだのは、水球だろうか。水の塊ともいうべき球体が、中空にふよふよと浮かんでいる。炎以上に不思議な現象だ。
「このように、慣れてくれば複数の術を同時に使うこともできます」
アンジェは簡単そうにやってのけているが、おそらくは難しいことなのだろう。少なくとも、ヴァンは身体強化を維持するのだけでも精一杯だった。
このように複数の術を同時に操るというのは、全象術の素養がどうというより、持ち前の器用さがものを言うのではないだろうか。
「まずは一つ、何でもいいから術を使ってみるところから始めればいいだろう。何か使いたい術はあるか?」
そう言われて、ヴァンの脳裏に思い浮かぶのはただ一つだ。リーゼと出会った森の中で遭遇した獣型のシェイドを相手に使用した魔術、『黒槍』。あれであればこの目で目撃したし、何より自分が使った初めての術だ。本で読んだその他の術より、イメージし辛いということはないだろう。
「それなら、ちょっと試してみてもいいか?」
他の三人には少し距離を開けてもらい、ヴァンは一人広場の中心を向く。これだけ広い空間があれば、森の中で放ったような魔術を使ったところで、周囲に被害は出ないだろう。
それからヴァンは、森の中で獣型のシェイドと対峙した時のことを思い出す。あの時は命の危機に瀕し、全身の熱、象力を強く感じ取っていたのだった。今は周囲に危険はないが、あの時のように体内に存在する象力を感じ取ることはできている。
ヴァンは目を閉じて集中する。あの時のことを再現するのだ。まず、全身の象力を把握するのはできている。そして、その象力を右腕一本に集めていく。全身に散らばっていた象力を集めれば、右腕が熱を持ったように熱い。右腕に溜め込んだ象力が、破裂しそうになれば準備は完了だ。
閉じていた目を開き、前を見据える。イメージするのは獣型のシェイドを刺し貫いた、巨大な黒い槍状の魔術だ。あれを右腕から前方へと放つ自身の姿を想像する。右腕を振り被り、息を大きく吐く。そして――
「『黒槍』!」
――一息に右腕を振りぬけば、あの時と同じ黒い奔流が水のように溢れ、ヴァンの前方へと殺到する。それは槍の形を取り、中空にその身を躍らせる。ヴァンの右腕から射出された黒槍は宙を突き抜け、広場の真ん中を少し過ぎたあたりで消失した。
「……できた」
ヴァンは拳を振りぬいたままの体勢で、今起きた出来事を見送っていた。森でシェイドを相手取った時のように、訳も分からずただ必死だった時とは違う。明確に自分の意志の元に、今の現象を起こしたのだ。その事実がじわじわとヴァンの心の中に染み渡っていく。
「今のが、シェイドを倒した魔術か」
ジェドの呟きに頷きを返す。あの時のそれと見た目も大きさも同じくらいだった。
「あの時の全象術だね!」
「ああ、うまくいって良かった」
駆け寄ってくるリーゼに対し、右手を開け閉めしながら笑顔を向ける。想像以上にうまくできた。やはり、一度使ったことがあるというのは大きいようだ。
「それじゃ、次は私ね」
そう言って集中するためなのだろう、リーゼはその両目を閉じた。
リーゼの使用する全象術というと、ヴァンの傷を癒した天術が思い当たる。あれはあれですごい術なのだが、今は怪我人もなく、術を使う相手もいない。いったいどの術を試すのかと眺めていると、リーゼがその細い右腕を前へと伸ばし、目を見開いた。そして――
「わぁっ!」
――リーゼの歓声が上がった。その手の上には、煌々と燃え上がる炎が浮かんでいる。それは大きさが少々不安定ではあるが、先程ジェドやアンジェが見せたものと同じものだった。
「みてみてヴァン! できたよ!」
明るい声でリーゼが見上げてくる。その瞳は炎の赤い光に照らされてキラキラと輝いて見えるようだ。それで集中力が途切れたのか、炎は一瞬大きく燃え上がったかと思えば空気中に霧散する。「あっ」と気付いたリーゼは少し残念そうだ。
「二人とも、今ので感覚は掴めたと思う。そうだ、二人の適性を聞いてもいいか?」
ジェドの質問に、ヴァンは全象術室に来た日のことを思い出す。室長のルドルフと初めて会い、適性を検査した日のことだ。赤色の検査棒を壊したことは今でも覚えている。あの時、ヴァンの場合は青色、茶色、黒色の三色の検査棒を光らせることができたのだった。
「確か、俺が水現術と地現術と魔術で、リーゼが――」
「私が火現術と風現術、それに天術だね」
ヴァンとリーゼの回答に、ジェドは何やら驚いたような顔を見せる。
「二人とも三属性とはすごいな。ちなみに俺は火現術と風現術、アンジェはその二つに加えて水現術の適性がある」
ジェドの説明に、ほうほうと頷く。残念ながら地現術と魔術は無理だが、水現術ならアンジェから手解きしてもらえるということか。しかし二人とも火現術と風現術が使えるとは、教えてもらえるリーゼがちょっと羨ましい。
「ひとまず、アンジェがヴァンに水現術を教えてくれるか? 俺はリーゼに、まずは火現術を教えよう」
そして、二組に分かれての訓練が始まった。
まずはリーゼがやって見せたように、アンジェの出した水球を真似することからだ。何もない状態からイメージするよりも、目の前に実物があるもののほうが格段にイメージがやりやすい。
それほどの時間も掛けず、水球を再現することには成功した。問題はその状態を維持することだ。もう何度目かになる水球が、制御を失いぱしゃんとヴァンの手を濡らし地面へと落ちていった。ぽたぽたと雫が虚しく落ちる。
「水球と繋がる糸を切らないように、少量の象力を送るのですよ」
「糸を切らずに……」
アンジェのアドバイスをイメージへと取り込んでいく。強く意識をしてみれば、掌の上に浮かんだ水球とヴァンとを繋ぐ、象力の道とでもいうべきものを感じる。これを切らないように、水球を維持できるだけの象力を注ぎ続ければよいのだ。
しばらく練習すると、なんとか水球を維持できるようになった。アンジェの水球はその形を綺麗に維持しているのに対し、ヴァンのそれはやや不安定で大きさが若干不規則である。これは象力のコントロールに差があるためだろう。
「維持はできるようになってきましたね。でしたら、次は少し大きくしてみましょうか」
そう言ってアンジェは水球を膨らませ始めた。どんどんと大きくなったそれは、最終的に直径が肘から先程の大きさへと至る。ゆらゆらと揺れる水球に、向こうの景色が歪んで見えた。
象力の込め方はもうわかっている。送り出す象力を増やし、水球を大きくしていく。
「あっ」
一度に送り出す象力が大きすぎたのか、ヴァンと水球とを繋ぐ糸が切れ、水塊が地面へと落下する。
気を取り直し、もう一度水球を作り出すところから始める。見慣れたそれをイメージすれば、水球が再び掌の上に現れた。
そこから集中を切らさないよう、水球を凝視して象力を注ぎ込んでいく。すると水球はどんどんと膨張し、アンジェの持つ水球の大きさを少し超えたところで大きさを維持する。先程の大きさよりも、維持に使用する象力が少し多くなっただろうか。
「いいですね。でしたら次は、こんな感じでどうでしょう」
そう言って、アンジェは片手に浮かべていた水球に両手を添え、左右へと広げて見せる。水球はその手の動きに合わせる様に、その身を左右へと伸ばした。大きさを変えるのも、形を変えるのも、象力次第で自由自在ということだ。
ヴァンもそれに倣い、水球へ両手を添える。アンジェのように操作に慣れているわけではないので、慎重に、ゆっくりと手を広げていく。象力を途切れさせずに注ぎ込み、手の動きに合わせて水球の形を変えるイメージを持てば、アンジェと比べてずっとゆっくりではあるが、水球は同じように形を変えた。
「このように、水現術は象力操作の練習にも最適なので、日頃から訓練するとよいですよ」
アンジェは締めとばかりに水球を複雑な形へと操作し始める。水塊はアンジェの背丈ほどの大きさになったかと思うと、太い部分や細い部分など、全体的に凹凸が出来上がっていく。
最終的には実物の数倍の大きさにもなる、アンジェの頭の上に乗る風龍、フィーネそっくりの水で出来た龍になった。大きく翼を広げた姿がなかなか格好いい。細部までじっくり見ても、実によくできている。ここまで細かい操作になると、ヴァンに出来るのは何時の事になるだろうか。
さらに、アンジェの全象術はこれだけに留まらない。両手をぐっと握ると、水で出来た龍が表面から凍り付き始めた。先程までは後ろの景色が揺らめいて見えていたそれは、瞬く間のうちに陽の光に輝く氷像へと姿を変えた。
「ふふん、私自慢の術です」
アンジェが得意そうに言うが、実に見事な氷像である。これは自慢にもなろうという出来だ。売ったらいい値段が付きそうである。溶けてしまうのが難点だろうか。
「これはすごいな。氷にもできるのか」
「火現術が必要になりますけどね。水現術はあくまで水を操る術で、熱に関しては管轄外ですから」
つまり、火現術の使えないヴァンにはできないということだ。別に氷像を作りたいわけではなかったが、目の前で見るとちょっと羨ましい。
それからしばらくの間は水現術の操作練習に時間を費やし、その日の講義は終了となった。
最後のころには、だいぶ水球の操作もスムーズになり、自由自在とはいかないまでも思い通りに操ることができるようになっていた。しばらくはこの水球操作と、黒槍を再現して全象術に慣れていこうとヴァンは今後の予定を考えていた。
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