16話 全象術の使い方 1
「いい加減、全象術を覚えてみたくならないか?」
暖かな日差しが射しこむ全象術室の広間で、手に持っていた本をテーブルに投げ出したヴァンは、隣で静かに本を読んでいたリーゼへと話しかけていた。
ローゼンベルク領騎士団第三騎士隊の隊長ギルベルトが、森で出会いヴァン達が倒した黒い獣、シェイドを倒した報酬を持ってきた日の翌日の午後の事だった。
そろそろ利用にも慣れてきた食堂でリーゼと共に朝食を摂り、人工象石の保管庫にて後から合流したジェドとアンジェも加えて象力の供給を行った。それから少し休憩を挟み、四人そろって昼食を摂った後はリーゼと共に広間で勉強だ。
腹を満たし、柔らかな日差しを受けて文字の羅列を目で追っていると、次第に眠気が襲ってくる。我慢して眠気と格闘していたが、本の内容は全くと言っていいほど頭に入ってはこなかった。
それに、ずっと本を読んでいるというのは、どうにもヴァンの性格とは合わなかったようだ。ずっと同じことをし続けていたため、いい加減に飽きが来ている。
それでなくても、ここ二日間でやったのは象力の注入と服の材料となる布染め、後はほとんど本を読んでの勉強だ。飽きるのも仕方がないだろうとヴァンは思う。
声を掛けられたリーゼは、陽の光を受けて艶やかに輝くその長い黒髪を少し揺らしながら、宝石のような青い双眸でヴァンを見返した。その整った顔には少々の困惑が付与されている。
「いきなりどうしたの?」
「リーゼは思わないのか? やってることがなんていうか、そう、地味だ!」
ヴァンは思うのだ。やっていることが地味すぎると。日中の九割は机に向かっているといっても過言ではない。これでは健康にだって悪いだろう。
そして何よりも、ヴァンの想像する全象術士っぽくない。世の全象術士というのは、もっと幻想的な現象を意のままに操る存在を言うのではなかっただろうか。
「別に、私は嫌じゃないけど」
そう言って、手元の本へと目を戻してしまう。なんとも優等生的な回答だ。どうやら、リーゼは本を読み続けるのが苦ではないらしい。羨ましい限りである。
「そうは言うけど、リーゼだって全象術に興味くらいはあるだろう? 自分に何ができるか、せめて確認くらいはしておきたいと思わないか?」
「ん~、確かに興味がないわけじゃないけど……」
そう言ってリーゼは顎に指先を当てる。多少の関心は引けたようだが、まだ足りないようである。ここは、それらしいことを言ってリーゼをその気にさせてしまおう。そんなことを思うくらいには、ヴァンは本を読むのに飽きていた。
「それに、俺達の記憶だって戻る気配がないだろう? 同じことを続けるより、いろいろなことをしてみたほうが、記憶が戻る手掛かりになるとは思わないか?」
「んんん、それは……一理ある、かも?」
リーゼがヴァンの方に顔を向け、首を傾げる。どうやらもう一押し必要なようだ。
「記憶が無くなる前もきっと全象術は使えただろうし、案外簡単かもしれないぞ? 試してみないか?」
「ん、そうだねぇ……うん、やってみてもいいかも」
リーゼが笑顔で頷くのに、内心で拳を握る。どうやら乗り気になってくれたらしい。よくよく考えれば一人でもやってもよかったかと思うが、どうせ初心者二人なら一緒にやってしまえばいいだろう。
「でも、私達二人だけじゃ、何かあった時に危なくない?」
リーゼの疑問に、ヴァンは少し考えこむ。手元の本には全象術の基本的な話は書いてあったものの、実践するとなると別の本が必要になるだろう。幸い、書庫には各種全象術の専門書が揃っているようなので、それを借りれば知識面では問題なさそうだ。
しかし、こと実践となるとやはり事故が怖いところだ。森の中でシェイドを相手に使ったような黒い槍状の魔術を、城の敷地内でぶっ放しても大丈夫だろうか。ここはやはり、人手を借りるのがいろいろと考慮しても安全だろう。
「とりあえず、ルドルフに相談すればなんとかなるんじゃないか?」
「ん、それもそうだね」
そうして二人はルドルフを訪ねるべく、室長室へと足を向けた。
一夜明けて翌日の午後、ヴァンとリーゼの二人は全象術室の建物の後ろ側に集まっていた。何でも、全象術を試したりするために、術室の後ろ側は結構な広さの空き地になっているということだった。話に聞いていた通り、一辺五十歩はくだらないだけの広い空間がある。
あの後ルドルフを訪問した結果、ルドルフ自身は仕事が忙しく、二人を見るだけの時間は作れないということだった。その代わり、ジェドの方に話を通してくれたのである。
ジェドに話を持っていった結果、翌日なら時間もあるということで快く引き受けてもらえた。ジェドであれば、身体強化を教えるのにも最適な人選だということだ。ちなみに、アンジェも一緒である。
そのような理由で、術室の裏手にはヴァンとリーゼ、それにジェドとアンジェを加えた四人が集まっていた。ついでにアンジェの頭の上には、いつものように風龍のフィーネが乗っている。
「それで、今日は全象術を教えるんだったか?」
「そうだ。頼むぜ、ジェド」
今日が待ち遠しくてたまらなかったのだ。昨日は結局、一日本を読んで過ごしたのだから、今日の気力は十二分にある。
「それは構わないが、二人とも象力は十分か?」
ジェドの質問に、ヴァンとリーゼは揃って頷きを返す。今朝は二人とも人工象石に一つずつ象力を満たしているが、あれくらいの量であれば支障はない。全象術が象力をどのくらい使うのかはわからないが、少なくともすぐに倒れるということはないだろう。
「よし、それなら……まずは身体強化からいくか」
身体強化というと、ルドルフの説明にもあった、走るのが早くなったり力が強くなったりするという、全象術士ではない普通の人間にも使える体を強化する術だ。ちょっとヴァンのイメージする全象術とは異なるが、初めての全象術であり、少しワクワクする。
それから、ジェドは二人を広場の端の方へと手招きする。そこには大、中、小と大きさの異なる岩がいくつか並んでいた。殺風景な広場の中で、そこだけに岩があるのがなんだか気にかかった。
「これは、身体強化の訓練に使用する岩だ。ヴァン、まずは普通に持ち上げてみろ」
そう言って、ジェドは岩の方を指し示す。持ち上げろと言われても、小さいとはいえ岩は岩だ。かなりの重量があるのは明白で、持ち上げるのはなかなか骨が折れそうだ。しかし教えてもらう立場であるしと思い直し、一番小さな岩へと手を伸ばす。
「ふん!」
大きく息を吸い、全身に力を込めれば岩は僅かに持ち上がった。拳一個分ほどだが、確かに宙に浮いている。少しの間ぷるぷると腕を振るわせた後、ズシンと音を立てて岩は元の位置へと戻る。
「どうだ?」
「なかなかやるな。身体強化なしだと早々持ち上がらないんだが……」
これは鍛えがいがありそうだ、とジェドは小さく呟く。続いて、ジェドはリーゼにも試してみるよう促した。
指示されたリーゼは「えぇ……」と嫌そうな顔をしつつも、ヴァンの持ち上げた岩の前へと立つ。リーゼがそれを持ち上げるのは無理があるだろうと、ヴァンは思うのだが。
「んんん! んんんんん!」
一応、全力で取り掛かってはみるらしい。変なところで真面目である。案の定、岩はピクリとも動かずその場に鎮座している。無理もないだろう、ヴァンでもギリギリ持ち上げられた岩なのだから。
「このように、普通にやっても持ち上がらない」
「わかってたなら、やらせないでよね!」
リーゼが抗議しているが、ジェドはどこ吹く風だ。わかっていたように腕を組み頷くのみである。少しリーゼが気の毒だ。
「そのままでは持ち上げるのが困難な岩でも、身体強化が出来れば問題ない。アンジェ、見せてやってくれ」
「ふふん、任せてください」
そう言って、自信満々といった様子でアンジェが進み出る。外見はリーゼ以上に小柄なアンジェだ。一見しただけでは、眼前の岩を持ち上げるなど不可能に見える。しかし――
「よい、しょっと」
――軽く、本当に軽くといった感じで、アンジェが岩を持ち上げて見せる。岩は驚いたことにアンジェの膝辺りまで持ち上がっているが、見た目ではそこまで力を入れているようには見えない。なるほど、これが身体強化の力かとヴァンは目の前の光景に納得する。
さらにアンジェはもう一回り大きい岩、それよりもさらに大きい岩を連続で持ち上げて見せてくれる。最後の岩を持ち上げた際は若干ふらついていたが、これは重さというより、重心の問題だろうか。小柄なアンジェでは、バランスを取る方が難しいらしい。
「このように、身体強化を使えば重い岩でも軽々持ち上げることができる」
「一番大きな岩はまだ無理ですが、何れは持ち上げられるようになって見せます」
どうやら、一番大きい岩を持ち上げるのはまだ無理らしい。そう思っていると、ジェドから追加で説明が入る。
何でも、身体強化には元となる筋力も関係するらしい。使用者の元々の筋力が強ければ強いほど、身体強化で強い力が出せるそうだ。それでも、アンジェの細身で大岩を持ち上げられるのは驚異的なことである。
「もちろん、より象力を込める方が身体強化が強くなるというのもある。つまり、筋力と象力の両方があるのが一番だということだ」
そう言いながら、ジェドは一番大きな岩を軽々と持ち上げて見せる。なるほど、両方が備わるとここまで可能だということか。
ヴァンの筋力はジェドと同じくらいはありそうだし、限界値測定を思い出すに象力が不足しているということもなさそうだ。つまり、適切に身体強化を使えれば、ヴァンにもあの一番大きな岩を持ち上げることは十分可能ということになる。
「さて、それでは身体強化の効力がわかったところで、使い方を説明しよう」
そう言って、ジェドによる全象術士の講義が始まったのだった。
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