15話 黒い獣の正体
布染めの後は前日に渡された本に目を通し、ジェドとアンジェを加えた四人で昼食を摂った。若草色の髪の少女は見当たらなかったが、全象術室に出入りしている限りはそのうち出会うだろう。その時に改めて挨拶をすればいい。
昼食を摂った後は午後も勉強の続きだ。ジェドとアンジェはなにやら用事があるようで術室から出ていったため、今はリーゼと二人で広間にいる。
一般教養の本は正直面白くなさそうなので後回しとし、先に全象術の基礎について書かれた本に目を通している。しかし、こちらも最初の方は全象術の歴史などが書かれており、読んでいてあまり面白みはない。
それからどれだけの時間が経っただろうか、誰かが廊下を歩く音が聞こえ、ヴァンは本から顔を上げた。かなり大柄な男なのか、廊下を歩く音が広間まで聞こえてくる。そうして、広間へと続く扉が開けられ、一人の男が入ってきた。
そこにいたのはローゼンベルク領騎士団における第三騎士隊の隊長、ギルベルトだった。ギルベルトはヴァンとリーゼに気が付いたのか、軽く片手をあげて近づいてくる。
「おう、二人ともここにいたか。久しぶりだな」
久しぶりと言っても、二日前に別れたばかりだ。感傷に浸るほど時間が経っていないように思う。騎士団の人間が全象術室に何をしに来たのだろうか。考えられるとすれば、室長への用事などだろうか。
「室長に用事か?」
「いや、お前達二人に用がある」
「私達に?」
ギルベルトは頷き、テーブルを挟んで向かいの椅子に座る。ヴァンとリーゼは読みかけの本を閉じ、ギルベルトへと向き直った。
「お前達二人に、シェイド討伐の報酬を渡しに来たんだ。ようやく報酬額が決まったんでな」
そう言って、懐から革袋を取り出しテーブルの上に置いた。その際に聞こえた金属の擦れる音からして、中には貨幣が入っているのだろう。
「その……シェイドっていうのは?」
聞き覚えのない単語だ。少なくとも、ヴァンには覚えがない。
「森の中で、全身が黒い獣っぽい生き物を倒しただろう? あれがシェイドだ」
ギルベルトの説明に、あれがそうかとヴァンは思い出す。思い返してみても妙な生物だったが、名前がついているからには他にもいるということだろうか。その大きさにしても様子にしても、明らかに普通の生物とは違うように感じていたが、いったいどういう存在なのだろう。
「その、シェイドっていうのはなんなんだ? 明らかに普通じゃない感じだったが……」
「そうだな……よし、もののついでだ。説明しよう」
そう言ってギルベルトは、シェイドという生物について詳しい説明を始めた。
まず、シェイドは大きく分けると三種類に分類されるらしい。
「まず、獣型だ」
獣型のシェイドは、その名の通り獣のような姿をしているシェイドを指すという。ヴァン達が森の中で出会ったのもこの種類になる。最も目撃例が多く、特に十年ほど前からはぐっと目撃例が増えているそうだ。幸いなことに、発見されるのは多くが人里から離れた森や山の中ということで、騎士団の迅速な対処の甲斐もあり被害はそこまで広がっていないという。
特徴としては力が強く獰猛で、人間や他の生き物を見ると襲い掛かってくるが、食べることが目的ではないそうだ。シェイドがどのような生態をしているのかは、まだよくわかっていないらしい。単独で遭遇した場合は逃走が推奨されるが、身体強化の使える訓練された騎士であれば、四、五人ほどいれば対処ができるとされている。これでもシェイドの中では危険度は低い方だということだ・
「それから、次が異形型だ」
異形型はまだ目撃例も少なく、獣型以上にわからないことが多いという。ギルベルトも、過去に一度目にしたことがあるだけだという。獣型はまだ生物の見た目をしていたが、他領からの情報とも照らし合わせてみると、異形型はおおよそ普通の生き物には見えないような姿だという。そのような姿を元に、異形型という名前が付けられたそうだ。
獣型と同じように獰猛ではあるが、大体真っ直ぐに突っ込んでくる獣型とは異なり、こちらの動きを見て対処しようとするような知能があるように見えるらしい。また、個体毎に異なる能力を有していると言われ、その厄介さに拍車をかけている。獣型の数倍は危険で、数十名の騎士で対応するのが望ましいとされているそうだ。
「それで最後は……人型だ」
「……人型?」
ヴァンの疑問に、ギルベルトが頷きを返す。
目撃例は異形型に輪をかけて少なく、ここ何年も現れたという話を聞かない。大きさは普通の人間と同じくらいだが、全身が他のシェイドと同様に真っ黒であるため、一目でそれとわかるとされている。生態はまったくの謎に包まれているが、一説によるととにかくものすごく強いらしいとのことだ。ほとんど何もわからないが、出会うことはないだろう。
「ふ~ん……ねぇ、シェイドの子供とかって見つかってないの?」
確かに、異形型はともかくとして、獣型や人型であれば子供がいてもおかしくはないだろう。いくら普通の生物には見えなくても、生物としての常識には則っているはずだ。しかし、それを聞いたギルベルトは難しそうな顔をしている。
「それがな……何でも、シェイドは黒い穴の向こうから出てくるらしい」
「黒い……穴?」
「そうだ。俺は見たことがないが、他領でその穴……シェイドアウトと呼ばれているが、そこからシェイドが現れたと聞く。そのため、シェイドは……一説によると、この世界の生き物ではない、と」
「この世界の生き物じゃない……」
いくら何でも突拍子もない話だと言わざるを得ない。そんなことが本当にあり得るのだろうか。いくら普通の生物とは違うといっても、そこまでいくと想像の飛躍と言ってもいいだろう。しかし、森の中で出会ったシェイドを思い返せば、他の世界の生物だと言われると、妙な説得力があるようにも思う。
「まぁ、その話は置いておくとして……あとシェイドと言えば、あれか」
そう言ってギルベルトは話を続ける。
今から約十年前、ファーレンベルクという国内の領地の領都で、シェイドアウトが発生するという事件があったそうだ。人型のシェイドが目撃されたというのも、この時だという。
街中でシェイドアウトが発生し、獣型をはじめとしたシェイドが数多く現れたということで、民間人はもちろん、その領の騎士団にも多くの犠牲が出たということだ。今では領都もほとんど復興が完了しているということだが、一部にはまだその時の爪痕が色濃く残っているらしい。
その日は他にも不思議な出来事が起こったということで、『ファーレンベルク領の悲劇』と呼ばれているそうだ。その日の出来事を教訓とし、各領の領都ではそれから騎士団の見回りを強化したらしい。ここローゼンベルクの領都でも、第二騎士隊が街中の巡回を担っているそうだ。
「なるほどな……まぁ、何れにしてもシェイドを見たら逃げればいいんだな」
「そうだな。騎士団に知らせてくれれば、後はこっちの仕事だ」
そう言ってギルベルトは力強く頷いてくれる。頼もしいことだ。森の中ではリーゼも居たためやむを得ず戦ったが、あの時のことを思い返せばなかなか無謀なことをしたものだ。出来ることなら、二度と会いたくはない。
「しかし、出来ればヴァンにはジェドのように、騎士団にも参加してほしいんだがな」
突然のギルベルトの物言いに、ヴァンは思わず面食らう。
「それはまた、どうしてだ?」
自分で言うのもなんだが、ヴァン自身は戦いなど素人だ。多少体格に恵まれているとはいえ、騎士団の役に立てるとは思えない。
「シェイド相手もそうだが、騎士団に全象術士が同行していると、何かと助かるんでな。アンジェって言ったか、あの子とはさすがに一緒に仕事することは滅多にないが、ジェドとは結構よくやってるよ」
そう言えば、森で出会った時もジェドが一緒だったなと思い出す。騎士団に一人だけ異なる格好の人物がいて目立っていたが、そういう理由だったのか。
「それから、ヴァンに参加してほしい最大の理由は……魔術だ」
「魔術?」
「そうだ、ヴァンには魔術の適性があると聞いたぞ」
「確かにあるが……」
魔術がどうしたというのだろう。確かにヴァンには魔術の適性があったが、他とどう違うというのだろうか。一通り全象術の属性による違いは説明を受けたものの、未だに明確な違いというのは実感が湧いていない。近いうちに、簡単な全象術を試しておきたいものである。
「シェイド相手にはな、魔術が良く効くんだ」
「……そうなのか?」
「そういう風に言われているな。俺も半信半疑だったが、あの胸に一撃で大穴を開けられたシェイドを見れば、嘘ではなかったとわかるさ」
ギルベルト曰く、魔術以外の全象術はシェイドに効きにくいということだ。まったく効かないわけではないが、効果は薄いという。
それでも、ただ剣のみで対応するよりかはマシらしい。シェイドの体には剣は通り辛く、何度も攻撃する必要があるらしい。森であったシェイドは左腕を失っていた上に全身傷だらけであったが、騎士達は結構苦労したようだ。
「そういうわけで、ヴァンには騎士団に顔を出してほしいわけだ」
体も大きいし、体力もありそうだからな、とギルベルトが続ける。それを聞けば、ヴァンとしても協力してもいいかとは思う。自分の力が役に立つなら何よりであるし、自分の他に騎士がいるのなら、森の中で対処したように一人で対峙する必要もなく、困ったときは助けてもらえるだろう。
「それから、リーゼにもな」
「えっ、私?!」
突然話を振られ、リーゼが驚いて腰を浮かせる。それからあわあわと両手を体の前で振り出す。
「む、無理だよ! ヴァンみたいに体は大きくないし、あんなのと戦うなんて無理無理!」
ヴァンからしてもリーゼが戦う姿は想像ができない。いくら全象術が使えたとしても、シェイドの前に彼女を放り出すのは、飢えた猛獣の前に餌を置くようなものだろう。とてもではないが賛成できない。ヴァンからも考え直すように言うべきだろうか。
「いやいや、別に戦えって言ってるわけじゃない。というか、それは無理だろう」
ギルベルトの目から見ても、リーゼが戦うのは論外らしい。では何だというのか。
「リーゼは天術が使えるんだろう? 騎士団で負傷者が出たときには、手を貸してほしくてな」
毎日というわけではないが、騎士団の任務や訓練では時折負傷者が出るという。普段は薬の類で事足りているし、軽傷で気軽に呼びつけるつもりはないが、重傷者が出たときには天術で治してほしいということだった。
「そういうことなら……いい、けど」
リーゼがおずおずと頷けば、それを聞いたギルベルトが破顔する。
「そう言ってもらえると助かるぜ。っと、話が長くなったな。そんなわけで、これが今回の討伐報酬だ。確かめてみてくれ」
ずいっとヴァンの方へ革袋を押しやるため、ヴァンは受け取って中身を確認する。中には大銀貨がぎっしりと詰まっていた。中身を取り出して確認してみれば、全部で二十枚ほど入っている。命懸けの報酬にしては少ないが、元々報酬を求めていたわけではないため、それを考えれば結構な金額である。
「こんなに貰っていいのか?」
「ああ、これくらいが適性だな」
何でも、今回の報酬額に関して騎士団内で話をしたようである。
今回討伐対象となったシェイドに手傷を負わせることはできていたが、騎士団ではそれを取り逃していた。ヴァンが倒さなければ行方がわからなくなっていた可能性が高く、その場合は捜索のために何日も騎士達を拘束する必要があった。そこで掛かったであろう経費を考えれば、これくらいの報酬は安いものだそうだ。
「そういうことなら、ありがたく貰っておくか。リーゼ、取り分は半々でいいか?」
「えっ、私何もしてないよ?」
「何言ってるんだ、死にかけの俺を助けてくれただろ?」
何やらリーゼは驚いているようだが、ヴァンにしてみれば命の恩人なのである。確かにシェイドを倒したのはヴァン一人であるが、その後のリーゼの働きは重要だ。少なくともリーゼがいなければ、ヴァンは今ここにはいないのだから。
「それは、その前にヴァンがシェイドを倒してくれたからで……」
「俺もリーゼを助けたし、リーゼも俺を助けた。だから、報酬も半々だ」
「そういうことなら……わかった。ありがとう」
貰った報酬の半分を差し出せば、おずおずとリーゼが受け取ってくれる。ヴァンも残った銀貨を懐へとしまった。
それから、ギルベルトとは二言、三言話をし、騎士団の訓練があるということで帰っていった。残された二人は再び本を読み進める。
いろいろと知りたかった話も聞くことができたし、なかなか有意義な時間だった。近いうちに、騎士団へ顔を出すのもよいだろう。
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