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9話 大風呂談義

 外は陽がかなり傾いており、地面に長い影を作っている。ジェドの後に続いて歩きながら、ヴァンは率直な疑問を聞くことにした。


「風呂って、どこにあるんだ?」


「外門の外に出なくてもいいように、城の敷地内に大風呂がある。我々術室の人間だけでなく、騎士団や薬室の人間も使用する共用の大風呂だ」


 城の敷地内にあるのであれば、それほど歩く必要もなさそうだ。しかし、城の敷地内の人間ほぼすべてが使用するとなると、いったいどれだけの人数になるのだろうか。特に騎士団の男達と鉢合わせたとしたら、実に男臭そうである。出来ることなら、混雑する時間帯は避けたいものだ。

 ちなみに混浴かどうかを聞こうかと一瞬考えたが、リーゼ達もいるためなんとなく控えておく。十中八九男女別だろうし、どちらにせよすぐにわかることだ。


 それからほどなく、目的の場所へと辿り着いた。術室の建物より縦には低いが横には長い。中に入れば、入口からすでに湿度が高かった。

 入ってすぐの部屋は広く、いくつか長椅子が設置されており、数人の男達がなにやら談笑に興じていた。正面にはカウンターが設けられており、大風呂の従業員と思しき男が一人座っている。その男の左右にある男女を示す暖簾を見れば、やはり風呂は男女別であったかとヴァンは一人思う。


 ジェドとアンジェがカウンターの男に近づき、入浴料と引き換えに垢すり用のタオルを受け取るのを見て、ヴァンとリーゼもそれを真似る。そこから先は男女に分かれて進むことになる。アンジェが頭の上に風龍のフィーネを乗せたままリーゼと共に奥へ消えていくのを見送り、この風呂屋はペットの同伴が可能なのかと考える。衛生的に問題ないのだろうか。


 それからヴァンはジェドの後を追って男用の暖簾を潜った。まず目に入るのは履き物を脱ぐスペースだ。そこで膝下まであるブーツを脱げば、次に目にするのは等間隔に並んだ棚と、その棚に設置されたいくつもの籠、それに棚の脇に山と積まれたタオルだ。

 どうやら棚の籠には脱いだ服を入れておくらしい。ジェドはすでに服を脱ぎ始めており、その横でヴァンも同じように服を脱ぐ。


 その身一つに垢すり用のタオルのみを持って、風呂へと続く扉を開ければぶわっと熱気が溢れてきた。浴場は思った以上の広さがあり、その広さの割には利用客の姿はまばらだ。混雑していないようで一安心である。浴場の真ん中にはなみなみと湯を張った風呂が鎮座しており、部屋全体へと絶え間なく湯気を供給していた。


「まずは体を洗うぞ。こっちだ」


 ジェドの案内に従い、壁際へと移動する。壁際には等間隔に木製の椅子が並べられており、椅子の前には白色と緑色の石鹸、それに木桶が置いてある。胸の高さにはこれまた木でできた水路が張り巡らされており、どうやら中をお湯が流れているらしい。


「水路の横の栓を開ければ湯が出てくる。緑が頭用、白がそれ以外だ」


 それだけ言って、ジェドはさっさと自分の体を洗い始めてしまった。ジェドと同じように目の前の水路の栓を開ければ、確かに湯が流れ出てくる。これで体を洗えということだろう。石鹸は、緑色のものを頭に、白色のものを体にと使い分けろということか。

 木桶に湯を溜め、頭から被れば体に付着した砂や血が流れ落ちていく。体を伝う湯の熱さがなんとも心地よい。石鹸を泡立て、タオルで擦ればヴァンの体はたちまちのうちに綺麗になった。


「体を洗ったら、風呂で温まる。タオルは湯につけるなよ」


 ジェドと共に風呂へと移動し、足から風呂へと浸かれば足先からじんわりと体が温まる。なかなかよい熱さだが、ヴァンの好みからするともう少し熱くてもいいくらいだ。落ち着いて周りを見渡せば、浴槽からあふれた湯が排水溝へと吸い込まれていくのが目に入った。


「これ、結構な水量だけどよく動かせてるな。どうやってるんだ?」


「これも俺達、全象術士の役割の一つだ」


 ジェドの返答に、どういうことかと視線を向ける。ヴァンの視線を受けたジェドは、先程体を洗った壁際へと顔を向ける。


「水を汲み上げるのにも、湯を沸かすのにも、全象術室から提供された象力を使用しているんだ。城の敷地内ではこの大風呂と、これから行く食堂が最も象力を消費する場所だな」


 ジェドの回答に、ヴァンはなるほどと納得する。ルドルフの話でも、象力を使用して様々な術具を動かすということだった。おそらく、水を汲み上げる術具や熱を発生させる術具などがあるのだろう。

 しかし、どうにも象力の無駄使いに思えてならない。ルドルフの話では、ローゼンベルク領の全象術士事情は、深刻な人材不足なのではなかっただろうか。


 体を洗う壁際にある水路の湯はそのまま中心の湯船に注がれるようになっているため、無駄のないつくりにはなっているものの、湯は絶え間なく供給されている。ヴァン達二人を含めても数えるほどしか利用者はいないというのに、いったいどれほどの象力が使われているのか。気になったヴァンはその疑問をそのままぶつけてみることにした。


「なぁジェド、いくらなんでも象力の無駄使いじゃないか? 全象術士は少ないって話だし、こんな大量の湯を沸かすのに使うくらいなら、他のことに使えばいいじゃないか」


「そうは言うが、この大風呂も食堂も利用者が多い。今はここも利用者が少ないようだが、もうすぐ込み合う時間帯だ。それに――」


 言いながら、ヴァンに見る様にと手で示してくる。その示す先は浴槽の丁度真ん中あたりで、よく見てみれば何やら溝のようなものが彫られている。これは何のためにあるのだろうか。


「――夜番の騎士など、夜間の利用者もいることからこの大風呂は一日中稼働しているが、利用者の少ない時間帯は浴槽を半分に区切り、水路も半分だけ稼働させることで象力の消費を抑えている」


 ジェドの説明に、一応象力を節約するように考えられてはいるのだとヴァンは納得する。このように重要な施設に象力を提供するとは、全象術士の存在は思った以上に大きいようである。

 しかし、よくよく考えてみると、いまいちヴァンの想像する全象術士の姿と合わない。どうにも地味な働きである。全象術士というのは、火や水を自由自在に操るような派手な存在を言うのではないだろうか。

 そう言えば、目の前のこの男も全象術士であった。頼めば見せてくれないだろうか。


「なぁ、ジェドって全象術を使えるんだろう? どんな感じなのか、見せてくれないか」


「そうだな……」


 駄目元で聞いてみれば、以外にも即座に否定されなかった。口数は少なく説明も短いが、このジェドという男は存外親切なようだ。


「水現術が使えれば早かったんだが、生憎と俺に適性はない。屋内で火現術を使用するのも避けるとすると……これだな」


 そう言ってジェドはおもむろにヴァンへとその掌を向けてくる。いったい何をするつもりかとヴァンが身構える暇もなく、ジェドの掌から発された風がヴァンの頬を撫でた。驚きにヴァンが瞬きを繰り返す間に、発生したのと同じような唐突さで風が止む。


「……今のは?」


「風現術……風を操る全象術の一種だ」


 今のが全象術か、とヴァンは先程起きた現象を振り返る。目に見える形でなかったのは残念だったが、ジェドの手が起こした不思議な現象は、まさにヴァンの思い描く全象術士像のそれだった。


「なるほどな……ちなみに、どういったことに利用されるんだ?」


 ヴァンの頭でもいくつか利用方法は思いつくものの、ここは全象術士として先達の意見を伺いたい。


「空気の入れ替えや洗濯物を早く乾燥させるとか、特殊な例だと風現術の使える船乗りが、船を進ませるために使用するというのもあったな。こと戦闘に於いては他の全象術に軍配が上がるが、相手の体勢を崩すとか、強い風で吹き飛ばすなど出来なくもない」


 両腕を浴槽の淵に乗せ、ジェドの説明を聞く。随分と現実的で夢のない使い道もあるが、戦闘に使用できるというのはちょっと魅力的だ。またあの黒い獣と戦う気はさらさらないが、全象術を使用した戦闘というのはなんとも心躍るものである。


「それから……暗殺、とかな」


「あ、暗殺?!」


 いきなり物騒な言葉が出てきたことにヴァンは驚きをあらわにする。ジェドは「そうだ」と言い、言葉を続ける。


「風現術の中に、音を遮断する術が存在する。その術で音もなく標的に近づき、暗殺するというものだ」


 なんとも危険な全象術の使用方法もあったものである。そのような全象術を使う人間に会わないことを切に願いたい。しかし、全象術の使用用途を棚に於けば、やはり全象術というものには色々な可能性があるようだ。

 そんな風に全象術に思いを馳せつつ、存分に風呂を堪能したヴァンはジェドと二人して風呂を後にする。入ってきたときと同じ脱衣所と浴場を繋ぐ扉を潜り、山と積まれたタオルから一枚を失敬して体を拭く。使い終わったタオルは専用の籠の中に入れる仕組みのようだ。


 体を拭き終われば、いよいよイザベラから借りた服に袖を通すことになる。袋から取り出し広げてみてみれば、確かに作りというかデザインというか、全体的に質素ではある。しかし贅沢は言っていられないうえ、ヴァンとしては服など着られさえすればなんでもよいのだ。

 それからジェドと連れだって大風呂の入口へと戻ってくる。左右を見渡してみるが、どうやら他の二人はまだ出てきていないようだ。そういえば、女というのは得てして男と比較すると長風呂だったなと思い直す。


 自分達ももう少し入っておけばよかったかとも思うが、もう十分に温まったし、これ以上入っていてはのぼせてしまいそうだ。ここは大人しく、椅子に腰かけて待つこととしよう。

 それから眠気を覚えるくらいに時間が経ってから、ようやく二人が女湯から現れた。


「お待たせしました」


 そう言って見上げる二人を見下ろせば、十分に体が温まったのか若干頬が上気している。どういうわけだか、二人の長い髪は一切濡れていなかった。いったいどうやって乾かしたのだろうか。


「どうだった?」


「広かった! それに、貸し切りだったわ」


 ヴァンが聞けば、リーゼから弾んだ声で回答があった。騎士団もあることだし、なんとなくここの男女比は男に偏っているのかと思っていたが、どうやら思った以上に差がありそうだ。貸し切りとは、うらやましい話である。

 それからも若干興奮したリーゼから風呂についての説明が入るが、何れもヴァンがジェドから聞いた内容と似たり寄ったりだ。折角楽しそうにしているのだからと、それらをおくびにも出さずに相槌を打つ。


「次は食堂だ」


 話がひと段落したタイミングで、ジェドから次の目的地へ促される。四人は食堂へ移動するため、大風呂を後にした。

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