第二話『世界間コミュニケーション』
「……何が、起こったんだ……?」
俺の目の前で起こったのは間違いなく魔法攻撃だ。あれほどまでに凶暴だった獣が、俺の目の前で真っ黒に焦げながら横たわっていた。
新手の敵かとも思ったが、その割には追撃が飛んでくる様子はない。それでも気は抜けないし、今でもこの状況が大ピンチなのは変わりないんだが――
「君、大丈夫か⁉」
そう言いながら駆け寄ってきた人影を見て、俺は少し肩の力が抜けたような気がした。なんというか、この世界にも人間がいたことに対して安心した感じだ。この世界に関してはまだ分からないことだらけだし、何なら人類は俺だけってパターンも考えられないではなかったからな。とりあえずそれが否定されただけでも俺としては一安心だ。
「はい、おかげさまで。助かりまし、た……」
そんなことを考えながら駆け寄ってきた人にお礼の言葉を返そうとして、俺は凍り付いた。
――燃えるような赤い髪に、透き通る空のような青い瞳。途轍もない美人が、俺の目の前に立っていた。
「……どうした?やっぱり負傷しているのか……?」
「大丈夫です、大丈夫ですから!」
いや何度見ても綺麗すぎる、これ直視したらマジで目が焼けるんじゃないか⁉
美人は三日で飽きるとかいう格言があるが、そんなものは嘘だと今俺の目の前で証明された。こんなの毎日見ても飽きるわけがないし、何なら気恥ずかしくて長時間見てなんかいられない。俺がコミュ障よりなのも問題なのかもしれないが、チラ見しただけでも分かるくらいにはとんでもない美人さんだ。
というか距離感近くね、これがこの世界の常識なのか⁉
後から振り返れば分かることだが、この時の俺は完全にテンパっていた。死の危機を乗り越えたと思ったら、目の前には絶世の美女。こんなの情緒がおかしくならない方がおかしな話ではあると思うが、それにしたってこの時の俺はパニックになりすぎていた。
「どうした、精神攻撃でも受けているのか⁉そんな魔獣はこの地にいないはずだが……」
「いや、大丈夫ですって!とりあえず距離取ってもらえませんかね⁉」
テンパる俺をみて心配する女性と、それで距離が詰まることに対してさらにテンパる俺。なんというか、奇跡的なループがここに完成していた。とりあえず俺の一声でその繰り返しを止めると、俺はそこから大きく深呼吸を三回繰り返して、
「……はい、もう大丈夫です。助けていただいてありがとうございました」
「感謝などいいさ。この地で困っている者は、みな救うのが私の理想だからな」
頭を下げる俺に、女の人はからっと笑ってそう返した。ぶっきらぼうでもなければ恩着せがましくもない、まさに理想的な受け答え。目覚めたら知らない場所にいるわ獣に襲われるわで散々な滑り出しだったが、それを補って余りあるくらいにはいい初対面を果たせた気がする。
「……ご立派な考えですね。尊敬します」
「……いや、この程度はできなくてはならないのさ。ここで止まっていては、私の理想へはいつまでたっても近づけん」
女性にしては低めな声で紡がれた答えに、俺は思わず息を呑んだ。
その返答は謙遜というより、自分への戒めのように聞こえる。ストイックと、そう表現するべきなのだろうか。どことなく自罰的なその言葉は、今までの印象とは少し違って聞こえた。それは戦士というよりは、戦国武将などの雰囲気にも思えて――
(……そういえば)
今まで顔ばかりに気を取られていて気付かなかったが、女性はずいぶんと豪華な服装をしている。腰につられている剣の鞘のような――というか、この世界の感じを見るに実際に鞘なのだろう――なものには豪奢な装飾が施されているし、白を基調にデザインされたベストは騎士を連想させる。この世界の常識を何も知らない俺にも、これが一般的な服装でないということは容易に予想がついた。
「……失礼を承知で、一つお伺いしてもいいですか?」
「ああ、何でも聞いてくれ。ここのことなら大体は答えられるはずだ」
そう言って頷いたのを確認して、俺はとりあえず一安心。聞かなければならないことは十どころか百でも足りないくらいなのだが、とりあえず今聞かなければならないことは決まっていた。
「実は俺、ここに迷い込んでしまって……近くに人がいる集落はありますか?」
そう、人里だ。何をするにしたって、とりあえず情報収集が安全にできるところじゃないと始まらない。だからその拠点にする場所を見つけられないかと、そう考えたうえでの質問だったのだが――
「……あの、何かまずいこと言いましたか?」
その問いを受けた女性の表情は、今までにないくらいに怪訝なものになっていた。
「いや、なんでもない。このような辺境の地に迷い込むのは珍しいなと感じたまでだ。……自分の出身は言えるか?」
「え」
突然飛んで来たキラーパスに、俺はフリーズした。でもよく考えれば迷い人の出身を聞くのは当然のことであって、位置が分かる場所なら送り届けようという厚意でもあったのだろう。ただ、こちとら異世界人なのだ。
「それは……えーと、ですね……」
しどろもどろになっている俺に、女性からの怪訝な視線が突き刺さる。最初のやり取りである程度築いた関係にひびが入りかけているのが手に取るようによくわかった。
「どうした、言えないのか?」
澄んだ青い眼が、こちらを逃がすまいとにらんでいる。それを前にすれば、下手な言い訳は通用しないと確信するのにそう時間はかからなかった。……となれば、俺にできることは一つ。
「……実は俺、ここではない世界から来た人間でして……」
俺はうなだれたように、目の前の女性に真実を告げた。
こういうのは信じてもらえないのがよくあるオチだというのは知っているが、それでもそうする以外の選択肢がなかった。ああ、これは絶対良くない方向に転がるやつだ……
青い眼は、うなだれる俺の瞳を逃がさずにのぞき込んでいる。俺の目の中に何か入っているのかと疑いたくなるくらいの凝視っぷりだったが、やがて女性は一歩距離を置いて、
「……驚いた。嘘は言っていないんだな」
そう、目を丸くして言って見せた。
「へ……?」
「私の眼は悪意に敏感でな。邪な気が在って妄言を弄すならそれ相応の対応を下すつもりだったが、それがないということは……そうだな……」
悪意に敏感な眼というのが具体的に何かは分からないが、女性の中では何か懸案事項があるらしい。少なくとも、即首切りエンドは回避できたとみてよさそうだった。
それ以降女性はしばらく言葉を発さず、何かを考えこむかのように目を瞑っている。無限に続くかとも思えた気まずい時間の中で、俺は必死にこれからどうしようかを考えていたのだが――
「……本当に、お前はこの世界に縁がないのだな?」
「……はい、朝目覚めたら突如ここにいました。縁もゆかりも、当然金もありません」
茶化してはみるが、これは相当ヤバい話だ。下手すればこのまま街にたどり着けずに死ぬし、たどり着けても金がないんじゃ野垂れ死にかねない。だからここで女性に会えたのは千載一遇のチャンスなのだ。もっとも、それをふいにしかけているのは俺のプレミのせいに他ならないのだが――
「……お前は、私の名前を知っているか?」
唐突に、そんな質問が飛んでくる。話の流れもへったくれもない質問だが、ここまで来てしまった以上正直に答えるほか選択肢はないだろう。
「……いえ、知りません。なんせ今日ここが初対面なものでして……」
頭を掻きながら、俺は目の前の女性にそう返す。……その直後、女性の目が驚いたように見開かれた。
「……成程な。……お前がここではない世界の住人であったことは、疑いようのない事実らしい」
「……!信じてくれるんですか⁉」
「そうでなくては説明がつかん。仮にその言葉が違ったとしても、私に害意を持っていないことは十分に理解できたさ」
思わず身を乗り出す俺に、女性は笑ってそう返す。どういう訳かは分からないが、女性は俺の言葉を信じてくれたらしい。ここまで窮地ばかりの俺にとって、その事実はとんでもない進歩だった。
「ああ。とりあえずは私の屋敷に案内しよう。そこなら当面の算段はつくし、話もより詳しく聞けるだろうからな」
「……はい。そうしていただけると、ありがたいです」
とにもかくにもこの平原を抜けて安全なところに出るのが最優先だ。そう言う意味でも、女性の提案はとんでもなくありがたいものだった。
「素直で助かるよ。……ああ、そう言えば名乗りをしていなかったな」
歩き出そうとしたところで、女性はくるりと向き直る。そのとんでもなく整った顔立ちが、俺の正面にあった。
二人の視線がぶつかる中で、女性はゆっくりと腰を落とす。そして、威厳を示すかのように羽織っていたベストをはためかせると――
「……私はソフィ・アレグリア。……一応、この土地を含め周辺地域の主をしているものだ」
「土地の……主⁉」
突然飛び出したとんでもない身分の名乗りに、俺はとっさにそう返すことしかできない。なし崩し的に始まった俺の異世界生活は、初めからクライマックスの雰囲気を醸し出しつつあった。
どうにか一週間以内に次話更新することができました……。作中では最初からクライマックスなんて言われていますが、この物語はまだ始まってすらいませんのでここからの展開にご期待いただけると嬉しいです!次もできる限り早く出しますので、更新通知などを付けてお待ちいただければと思います!
――では、また次回の更新でお会いしましょう!