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火に願い水に沈む  作者: 芝雁旗
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神隠し

 太陽が高くのぼり白銀(しろがね)の冬空を溶かしはじめる三月の下旬。地上は透徹とした春の日差しに満ちていた。未だ肌寒い時期ではあるが夥しい光の恵みをうける地上は土の香りが日々強くなっている。そんな春の光を取り込んだ明るい部屋の中で二つの影が向き合っていた。

「私の失踪時期の話は以上です」

 と、男は相手にいった。男がいるのは精神科病院の面談室だった。革張りの椅子に座り、むかいにいる相手に話しかけている。

「長々と語ってしまいましたが、何処か不明な点はありましたか?」

「不明な点で言うと最初からよく分からなかったのだけど」

 女は遠慮がちに答えた。純白の白衣に身を包む彼女はこの病院の医者で男の担当医だった。

「あれ、また日本語がおかしかったですか?最近は随分達者になって来たと思うのですが」

「それについては大丈夫よ。何も問題無かったわ」

 女は微笑して白衣のポケットからペンと紙を取り出した。

「もう一回確認したいんだけどいいかな?」

「はい。なんでしょうか」

「じゃあ失踪理由なんだけど、七歳のときに女の人について行ったからであってるかな?」

「まあ、遺憾ながらそうなります。凄い美人だったんですよ」

「その……七歳だったのよね?」

「理性を溶かすほどの美貌といえばよいでしょうか。七歳といえど立派な男児ですから」

 そういって微笑む男をみて彼女は苦笑した。

 皮張りの椅子に行儀良く座る男は羽賀弘文(はがひろふみ)という。この辺りで彼を知らぬものはいない有名人だった。

 

 男が有名になった原因は平成十七年におきた失踪事件である。–––このとき弘文は七歳。幼稚園を卒業して今年から地元の小学校に通い始めることになった。事件が起こったのは入学から約五ヶ月後のことである。二学期最初の登校日、担任が朝礼の際に弘文が学校に来ていないことに気がついた。朝礼後、学校に欠席の連絡が来ていないことを確認した担任は家に電話をかけた。すると応対した母は息子は既に登校したという。事態に気づいた両親と学校はすぐさま警察に相談した。幼い子の失踪ということもありその日のうちに本格的な捜査が始まったが、重要な手がかりは何ひとつ得られないままその日の捜索は終了となった。翌日から万全体制を整えての捜索となったがやはり手掛かりはみつからず、報道機関を使って広く世間に情報求めたが何の進展もないまま半年が過ぎた。 時を経るごとに弘文の両親はやつれていった。募る哀惜と枯れる希望。終わりなく明かりのない迷宮をひたすら歩くような陰鬱とした日々にじわじわと苦しめられていた。

 それから二年。世間の関心を集めた失踪事件も人々の記憶から忘れられ、羽賀弘文の行方を案じるものはごく少ない関係者のみとなっていった。

 事態が動きだしたのは事件発生から八年後のことである。この出来事が再び世間の注目を集めることとなる。

 三月上旬。駅前のバスターミナルには未だ溶けぬ積雪があった。その雪をざくざくと踏みしめて駅の交番にフラリと妙な男があらわれる。

「昔この辺りに住んでいたものですが、久しぶりのことで道が分かりません。道を教えて頂けますでしょうか」

 男はたどたどしい日本語で尋ねた。

 交番に詰めていた三人の警官は奇異そうな目で男を見た。

 年は二十歳前後と思われた。態度は荘重、物腰穏やかな好青年で、凛々しい目もとに秀でた眉、品のいい穏やかな笑みを浮かべている。服装は着物に羽織と浮世離れなこと甚だしいが、警官の目をもっとも引いたのは腰に刺した刀である。

 警官らに緊張が走った。模造刀か本物の刀か鞘に収まっているため彼らは判断できなかったが、最悪を想定して彼は瞬時に目配せした。 

「どうぞ中へお入り下さい」

 もっとも年上の巡査長が招いた。

「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 と、尋ねながらも二人の巡査を庇うように前にでる。それを見て巡査らは腰に手を当てた。無論銃を抜くための行動である。こうして万が一、男が刀を抜き切り掛かった際に巡査長は自分を盾に二人を守り、残る二人の巡査が万策尽くして男を取り押さえる手筈を整えた。

 このようなやりとりを男は虚をつかれように眺めつつ、

「羽賀弘文です」

 と、しっかりとした口調で答えた。男は交番の入り口で静かに頭を下げると中へ入り、室内を興味深げに見廻している。

「羽賀弘文?」

「はい。羽賀弘文です」

 巡査長は一瞬虚をつかれたようだった。年若い巡査らは何も引っ掛かりを覚えなかったが、十年近く勤めてきた巡査長は八年前の事件を覚えていたのである。

 ここから事態は大きく動いた。ここでは対応しきれないと巡査長は弘文をともなって警察署へむかったが健康を配慮し、簡単な事実聴取ののち直ぐに地元の大病院に検査入院となった。病室で暇を持て余すの弘文のもとに両親が訪れたのはその日の面会時間ギリギリになってからのことだった。はじめに父は大きくなった我が子の姿に当惑し躊躇った様子だったが、目に涙を浮かべて喜ぶ純粋な母の姿に次第に警戒をやわらげ、母と同様に相好を崩して再会を喜んだ。

 翌日は両親付き添いのもと朝か病院で検査となった。かなり詳しくいくつもの検査を受けたため、すべてが終わり病室に戻ったときには日はとうに暮れていた。事情聴取のため何人かの私服警官がその日病院を訪れていたが検査が長くなったため翌日あらためて行うこととして両親に挨拶をして帰っていった。 

 翌日、弘文の病室に昨日の私服警官らが訪ねてきた。彼らは今回の事情聴取で事件の全容が明らかにするつもりだった。しかし予想に反して聴取は難航した。はじめに尋ねたのは誘拐犯の存在についてである。警察の見解では七歳の子どもが生きていくには何かしら大人の庇護があったとみていた。しかしそのことについて弘文に尋ねるとそんなひとはいないという。ならばと今までどこで過ごしてきたのかときくと言葉を濁して明言を避けた。その後も事件解明のために踏み込んだ質問をいくつかしていったが、明確な答えが返って来ることはなかった。

 結局ほとんど前進のないままその日の聴取は終えた。警官らは丁寧な挨拶をして退出していった。

 退出する際に警官のひとりが思い出したかのように刀について尋ねた。

「刀?」

 と、弘文は聞き返した。とんと検討もつかぬふうである。

「そう刀」

 警官は震える声で繰り返した。その顔は恐怖に強張っている。

「君を応対した警察官の人がね。持っていたっていうんだけど」 

 刀について事件を担当する警官らに報告があったのは弘文が入院した日の夜のこと。署内で聴取のため今回の事件資料を整理していると巡査長が慌てた様子で報告に来た。彼がいうには弘文は腰に刀をさしていたが、そのことについて今のいままで忘れていて回収もしてないという。それを聞いた皆は一様に首をひねった。というのも弘文を署に迎えたとき、また病院で行動を共にしていたときですら誰も刀など見ていなかったのである。巡査長の気のせいではと思もわれたが、彼のみならず二人の巡査も同様に見ていたとすると見間違えとも考えにくかった。そこで交番に備えつけられた防犯カメラの映像を確認することとなった。直ぐにでもということで私服警官のひとりが巡査長と共に交番へいき、羽賀弘文が訪れたときの映像をみた。映像をみて警官らの顔は青褪めた。映像に刀は映っていなかった。それどころか弘文すら映っていなかったのである。映像に映っていたのは得体の知れない影のように黒い二足歩行の獣で身体は無数の目と口に覆われている。映像では巡査長らその獣に話しかけたり、椅子を勧めたりしているのである。

 警官はこの瞬間まで刀ついてもカメラに映る獣についても忘れていた。

「さあ……よくわからないですね」

 と、弘文はいった。口調は相変わらずたどたどしい。  

「そうですか」

 警官は震える声でなんといった。あの光景を思い出した途端に全身が粟立っていた。

「それと……いえ長々と失礼しました」

 悼ましい獣のことを尋ねようとして警官は口を閉ざし、あらためて丁寧に挨拶をして退室した。 

 その後も何度か聴取が行われたが、事件解明に繋がるような証言はえられず、重大な事件性があるとも考えられなかったため一ヶ月後に捜査は終了となった。不気味な映像をみた警官はその後何も話さなかったため映像のことは有耶無耶になった。

 それからさらに二ヶ月後のこと。弘文は母に連れられ西谷(にしや)精神病院に訪れていた。両親ははじめ心身ともに健康の弘文が帰ってきたことを喜び、やや不自由な部分あれど問題なく過ごす息子をみて心配もしていなかったが、唯一失踪のことについて頑なに喋らない姿勢は気掛かりだった。子供が攫われとき犯人とのあいだに奇妙な絆が生まれ、親しくなるという過去の例もあったため、ほんとうは誘拐犯を知りながら隠しているのではと気を揉んでいた両親は精神科医に診せることにしたのである。

 西谷精神病院は西谷嘉樹(にしやよしき)が経営する個人病院で医師は彼含め二人と小規模ながら、昔から地域に寄り添う形の経営方針で信頼の厚い病院であった。両親がこの病院を選んだのもこのような評判きいたからに他ならない。

 羽賀弘文の担当は勤務医の七瀬由美(ななせゆみ)だった。彼女は心のうちを語る精神治療の構造的に、同性の方が遠慮が少ない女性患者に配慮し三年前にこの病院に雇われていた。七瀬は弘文と対面した。会ってみてむかしから知っているような気がしたのは、ここ最近の報道とむかしニュースでみた幼少期の写真のせいだろう。十五歳とは思われないほど大人びているが写真の男の子の面影があった。   

 彼女は母親から事情を聴くとすぐさま治療方針を固めた。最初は一週おきに面談をして精神状態を確認していき、精神が安定していると判断すると少しずつ面談を減らしていった。完全になくさなかったのは経過を観察するためもあったが両親の希望によるところが大きい。弘文も両親の希望を敏感に感じとっているのか現在に至るまでの約二年、月に一度の診察を横着することはなかった。

 そして三月下旬。この日も弘文は診察に訪れた。いつも通り扉のところで元気の良い挨拶をする彼に挨拶を返し、部屋に招くとむかいの革張りの椅子を勧めた。弘文は椅子に座ると目の前の机に持参したペットボトルのお茶を乗せた。いつからか彼は面談の際にお茶を持ってくるようになっていた。

 弘文は軽く頭を下げた。

「お久しぶりです先生」

「久しぶりね弘文くん」

 七瀬は微笑した。彼女は知的で凛とした面差しの女性で冷たい印象を与える美貌だが笑うすごく愛嬌があった。歳は今年で三十二になるが年齢を感じさせない若さがあった。

「そういえば普通科の高校に編入したんですってね。お母様が嬉しそうに話してましたよ。おめでとうございます」

「ありがとうございます。お恥ずかしいことに勉強に追いつくのに時間がかかりまして」

 そういって弘文は頬をかいた。弘文は二年前から普通の生活を送るため並々でない努力が課された。とくに学業の方は大変なもので学力の不足もあったが義務教育未修の十五歳になったため当然のことながら高校受験を見送ることになった。そして今年から行政の手厚い援助を受けつつ彼は高校三年のとしになってようやく地元の普通科高校に進学したのである。


「仕方のないことですよ。むしろ二年でここまで来たのですから誇っても良いのではないですか?自分のことを認めるのも必要ですよ」

 そういう七瀬由美の言葉は芯があって力強い。

「なるほど確かにそれは必要ですね」

「そうですよ。自分の努力を認めることは自信に繋がるんですからしっかり肯定してあげてくださいね」

「了解しました」

 頷く弘文をみて満足そうにした七瀬は話題を変えるようにして、

「それでは本日の面談を始めます」

 と、引きしめるようにいった。仕事となると持ち前の凛々しさにいっそう磨きがかかった。

「ここでは自由に話していただきます。またここでの会話が外部に漏れることは一切ありませんのでご安心ください。ですので弘文くんが今一番話したいことをお話しください」

「では、先生に聴いて欲しいことがあります」

「–––拝聴します」

 七瀬は改まった雰囲気の弘文をみて無意識のうちに気を引き締めた。普段であれば弘文は悩みがあるわけでないため世間話をして時間を過ごすのだが今回はそうではないと直感した。

「わたしの失踪時のことまた失踪期間についてです。警察にもお話していません」

 七瀬の心臓が激しく跳ね上がった。緊張ため表情が固くこわばっていくのを感じる。

「そんなに身構えなくて大丈夫ですよ」

 弘文が愛想よく話しかけた。

「まあ、与太話のぐらいにきいてください」

「あなたにとって大切な話なのよ。おろそかにするつもりはありません」

「それではわたしもちゃんと話さないといけませんね」

 弘文の声は段々と厳粛なものになっていった。どこか芝居がかってるような気もする弘文の態度だが、まわりの注意を惹きつけるだけの魅力があった。

 ややあって厳粛な雰囲気が崩れた。すると直ぐに悪戯っ子のようにいった。

「わたしは十年前のあの日。神隠しに遭ったのです」











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