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神樹神䛡大繋・神樹幻想秘話

神樹神䛡大繋 多々羅神

作者: アリス法式


蝦夷(えみし)の者共が騒がしい。

高天原(たかまがはら)天人(あまびと)の内々でそんな噂が囁かれ始めてしばらく、須佐(すさ)に蝦夷討伐の命が下りた。

根の国にて出禁を喰らい酒浸りの須佐にとって、寝耳に水な真言を高飛車に捲し立てる神官を思い出し辟易としながら、器に残った酒を煽る。


「武人さん、北へ参るのかい?」


酒精帯びたため息を吐き出し、横を向くと、酒場には似合わぬ暗い顔の老人が手酌で一人チビチビと杯を傾けている。


「ああ、天津(あまつ)の命令だ…。俺に拒否権はねぇ」


「……そうかい」


机に杯を叩きつけるとびしりと杯にヒビが入る。

こちらを見る酒屋の店主の視線も冷たさが増す。

対して、含むことがありそうな暗い声を出しながらも、老人は一向にその先を口にしなかった。

相も変わらずチビチビと杯を傾ける。


「…で?」


「なんじゃ」


「なんで爺さんは、そんな如何にもな暗い顔をしてんだ」


「…わかるのか?」


わからないでか。

思わず出かかった悪態をもごもごと封じ込め、須佐は先を促す代わりに彼の杯に酌をする。


「爺さん、名は」


「…足名(アシナ)じゃ」


観念したように、老人は言の葉を吐き出した。


「アシナ…、足名か。国境の人足頭(にんそくがしら)がなぜここに?」


「お主が、行く理由と同じじゃよ。蝦夷共が鉄を鍛え始めた、戦が始まるのじゃろ。

妻と末の娘を連れて逃げて来たのよ」


「他に子が?」


「上に七人おった、皆、蝦夷に嫁いだよ…。

国境といえどもあの地は我らが故郷じゃ、その地に根ずくのは悪くはないと思とった。

幸い、いい婿に恵まれてなぁ、元気に暮らして居るよ。

じゃが、末の子は五つになるばかりでな、さすがに嫁に出すのは、かわいそうでなぁ」


「…そうか」


須佐の胸にまた苛立ちが薄霧のようにかかった。

須佐は武人だ。これから敵を斬りに行くのだ。

その中には、この老人の義理の息子が混じっているかもしれない。もしかすれば、その娘を斬らなければいかないかもしれない。


「悩むな、武人殿。

蝦夷は、国中の者が思う以上に外津(そとつ)の根が深い、もとより、娘たちも覚悟の上よ」


返事の代わりに、また彼の杯に酌をした。

彼も薄々と感じているのだろう、上の子等にもう会えないそんな予感を。


「ととしゃま~」


鬱々とした霧を払ったのは、小さな娘特有の舌足らずな呼び声だった。

裾を掴む小さな手にひかれ足元見ると、小さな女子がくりくりとした大きな瞳で須佐を見上げていた。


「わっぱ、俺は父様ではないぞ」


「ととしゃま、や!」


にぎにぎと袖を引く童女は、一生懸命に隣の老人を指さす。

いつの間にか、足名は机に突っ伏してイビキを掻きながら眠りこけていた。


「ああ、父様か…。」


胸に淀んだモノを酒精と共に吐き出して、懐から取り出した数枚の銀板を店主に放る。

ジロジロと疑わし気に何度か眺め、軽く嚙んでから、ようやく口角を上げた店主の「またのご来店を」との一声を背中に聞きながら、須佐は老人を背に背負い、童女に裾を引かれて歩き出した。



 ―多々羅神(タタラガミ)



蝦夷と中津国(なかつくに)の国境は、天を突くような山々によって裂かれている。

故に蝦夷は、山々を掘り鉄を打ち剣を作った。

いまだ秘境、未開の多い蝦夷の土地は、外津神(そとつかみ)の領域であり、高天原を納める天津神(あまつかみ)にとって、国造りの礎となった国津神(くにつかみ)の柱と共に列席させ国譲りを完遂させたい思惑が、蝦夷と中津国の因縁となっている。


その度に流れる血は、神々ではなく多くは人の血である。


北へと向かう馬上にて思いを馳せる須佐は、無意識に、その髪を結っている櫛に手が触れていた。

足名の子、稲田(イナダ)と呼ばれる小さな女子が、自らの宝物であろうに一生懸命に差し出したその櫛は、須佐にとっては触るだけで壊れてしまいそうな瑪瑙細工(めのざいく)の一品であった。


「須佐殿、それは?」


「預かりものよ」


須佐の配下100人。

その戦人頭である五十(イソ)。大きな矢盾を背に背負い健脚にて須佐の横に並ぶ彼は、好感の持てる青年である。


「女子の物ですな、無頼漢の須佐殿にも春が参ったか」


「誰が、無頼漢か……」


大日女(おおひめ)さまを脅しつけて、岩戸に追い込んだのは有名な話ですので、酒の肴にはあまりに痛快な話でござりましたゆえ」


カカと笑う五十。

しかし、その笑いには嫌味は無く、毒気が抜かれてしまう。


「あれは、俺も後悔している。

おかげで、政務意外引きこもりな姉が、政務すら快適な岩戸の中で行う始末だ。

あの後、巫女と神官共にしこたま怒られたわ」


さらに、零れる須佐の愚痴に、ついには並ぶ配下の戦人達まで噴出してしまう。

北の死地へと旅する一団としては、とてもそうは思えない賑やかな光景は、福を呼びこんだか、旅路は順調そのもので須佐達一行は特に障害もなく、北の深山麓までその足を進めた。


山々を越え、森を越え、平原を越え、その先に見えた煌々と燃える深山。

その光景を見て一同は口を噤むこととなる。


元来、剣とは神々が造りしものである。

すべての剣の原型は神剣を模したものであり、神剣を造れる者は人の中にはいない。

しかし、蝦夷の深山は不完全ながらも、神剣の鍛造に迫るほどの威容を秘めていた。

深山の彼方此方から吹き上がる溶岩。

片目を塞いだ鍛冶人達が、気を見て熱くたぎった鉄塊をその中に投げ込んでいく。

大きな槌を持った鍛冶人頭が熱く滾った鉄塊に一振り、二振り。

槌を振るうごとに、鉄塊が伸び魂が込められていく。

先の尖った鉄塊は薄く平たく伸ばされて、溶岩を跨ぎその身を横たえる一柱(ひとはしら)へと恭しく差し出された。

横たえるその身は、多くの鱗に覆われた八つの山をも跨ぐほど大きな大蛇。

違いようもない、外津神の水神の一柱であろう。

差し出された鉄塊へと大きな口を開け、大蛇は呼気を吐く、みるみると冷やされゆく鉄塊は、疑いようもなく神剣の域へと踏み込んだ代物であった。


「これは……、驚いた。

外津神が、まさか、人の営みに手を貸すとは」


「…大蛇(おろち)か、厄介だな」


外津神の中でも大蛇と呼ばれる者たちは、とても生命力が強く、そして、その身は穢れを孕みやすい。下手に殺そうものなら、この地は先百年生命の住めぬ土地と化してもおかしく無い。


「おいおい、しかも、奴さん何個、頭をもってやがるんだい?」


彼らが視線を向ける先で。

一つ二つと、山を越える大きな頭が大地から持ち上がる。

外津神の中でもさらに異形。


「…邪神の類か」


その呟きは、山から響き渡る、鍛冶人達の歓声に飲まれて消えた。





「おう、お客人よく来たな」


須佐一行は、鍛冶人達にあっさりと向かい入れられた。

ところどころ、敵意を向けてくるものはいる。しかし、それは彼ら武人と戦人を迎える上において当たり前の警戒心の範疇を出ていない。

つまり、敵ではなく客人として、彼らは、鍛冶人達に向かい入れられたのだ。


「俺は、この鍛冶村の長、クシマだ」


「須佐だ、見ての通り武人だ」


鍛冶村の集会所に座する二人。

片目を黒い布で覆った、大男クシマ。

そして、戦準備を解かぬまま、腰に剣を履いた無頼漢、須佐。

異様な緊張感包まれた広間であるが、空気を破ったのは年の功か、クシマの方であった。


「武人殿、飲むか?」


「…いただこう」


身の丈ほどの瓶から、酒を酌み交わす。

一気。

呼気に酒精を帯びて吐き出すと、二人はおもむろに足を崩した。

戦意は無い。

外で見守っていた、戦人、鍛冶人達もホッと息を吐き出すと、それぞれ、思い思いに酒を酌み交わし始めた。


「…あれは何か、訪ねても?」


同時に三杯、杯を空にして口を開いたのは須佐だった。

その視線は、屋根の先。

いまだ、こちらを興味深げに眺めている大蛇へと向いていた。


「ヤタさまだ」


「…ヤタか」


「うむ」


また、重ねて一気。杯を空にする。


「…討たれるか?」


次に沈黙を破ったのはクシマの方であった。


「それが、天津の命令であればな」


「…難儀なものだなぁ」


「…ああ」


外の騒ぎと対照的に、大きな一室はひどく静かであった。

ただ、淡々と二人の男が、杯を重ねていく。

日が沈み、夜は、深く静かに更けていった。




暁の中を須佐は一人、山を登っていた。

鍛冶人達は、酔いつぶれ、戦人達も、赤ら顔でイビキをかいている。ただ二人、クシマと五十だけがわずかに身じろぎをし起きている気配を出している。

流れ出る溶岩に汗を流し、硫黄の匂いに鼻をしかめ、そしてたどり着いた先でその巨体は澄んだ目で須佐をじっと見ていた。


『中津国の武人よ、我を殺すか?』


響いた思念は意外なことに女性の声だった。


「殺す、と言ったら」


『…ふむ、抵抗はせんな、流れは違えども我も一柱だ、この地に住まう者共の生活を壊してしまうのも忍びない』


思った以上に理知的な大蛇に須佐は眉を顰めた。


「ならなぜ、剣を打った

中津国に目を付けられるのは、わかっていただろう」


『気に入ったからだよ、あ奴らはその目を捨てて我のために剣を打った。

我に巫女はいないが、その心意気が、我にとって眩しく見えた』


長く伸ばした首が弧をかくように須佐を包む、剣を振るえばいつでも断ち切れる位置だ。


『だから、ともに打ってみたくなったのよ、あ奴らの魂が込められた剣をな……』


一閃。

須佐の生きた一生においてその一太刀は、最も強く磨かれた一振りであった。

宙を舞うヤタの首は、大地を鳴動させ、溢れる溶岩を活性化させていく。

振り撒かれる自らの穢れを、その焔にて焼きつくすために。

咆哮と共に、大地から吹き荒れる灼熱が、ヤタの髄まで燃やし尽くしていく。

残された頭たちも、続くようにその身を灼熱へと投げだした。

まるで、鍛冶師が槌を振るうように。

一振り、二振り――――七振り。

すべての頭が灼熱へと消えた後、天が泣いた。

轟々と吹き落ちる嘆きの水が、水神の最後を洗い流すように流れ落ち――――。



一振りの剣が、須佐の眼前へ突き刺さった。



雨はすでに止み、雲は割れ、朝日が一条その刃を撫でた。


「天に群がる雲を裂くか……」


眩しいその一条の光に、須佐は目を眇めた。


剣を握る、須佐にヤタと呼ばれた蛇の思念が流れ込む。

語るは、蛇と、そして―――。




「ヤタ、あなたはそれでいいのか?」



天高く聳える神樹の麓にて、一匹の蛇に声をかけたのは一人の女性。


円鏡の飾り簪にて髪を結った彼女は、人としては高位に立つものだとわかる。

緋の衣を纏い朱を刺した唇は血色良く、所在なく伸びた指先は、日の当たると黒く照る艶やかなヤタの鱗を撫でた。


『邪なろうとも、我もまた一柱だ。

お主の賭けも、存外、分の悪いものでもない』


二度、三度。

別れを惜しむように彼女は、蛇の背を撫でる。


『…お主こそ良かったのか?』


「ええ、あなたの御霊は、知らない仲ではないしね。

宝物殿はあそこよ」


シュルシュルと呼気を吐くと、飽きれたような息を飲み込み、蛇は彼女の指さす蔵へと向かってその身を捩らせた。

蛇の氏族に於いても異端、大蛇-オロチ-の名を冠する蛇は、大きく口を開けると一息でその蔵を飲み込んだ。


天津の神々が封じし剣廟(けんびょう)


収められし八つの剣がその身を焼かんとばかりに威を放つ。

しかし、蛇は児戯とばかりにその威を受け流してしまった。

喰らうは天津神々が、人の身でも使えるようにと鋳型へと流し作られた人中の剣。


一本、二本、三本、……元の物と総じて八本。


蛇の体を食い破るように飛び出した新たな首は剣の鞘か、受け流した力の発露か。

その身、山のごとく隆起し。

見上げる程の大蛇の体はさらに大きく、八つの山を跨ぐほどまで大きく伸びていく。


重なる八つの咆哮は、北の空へと長く伸びていった。






「そう、あの忌々しい蛇は死んだのね」


主へ興じる湯呑が震えるのを、彼女は意思の力で押しとどめた。

動揺ゆえか、頭の上で揺れる円鏡に水晶が弾け澄んだ音を奏でる。

最後の時、あの蛇は、その身を燃やして、打ち据えながら一本の剣を吐き出したという。


「天叢雲…、蛇ごときが天を語るとはね」


その剣心に刻まれた銘は幾多の思いを綴られたモノか。


―――天叢雲(アメノムラクモ)


興味が失せたのか、執務へ戻る主へ悟られぬように彼女はそっと息を吐いた。


「キョウ、その剣を下げ渡す、鋳つぶせば人にも使えるでしょう」


「は、畏まりました。大日女(おおひめ)さま」


頭を下げる。


「新たな剣は、草薙と名付けなさい、叢雲など気取った名はいらぬ」


「……はい」


恭しく、木箱に収められた剣を抱え込む。

その剣身からは、すでにあの日触れた艶やかな温もりは、感じられなかった。

剣を言われた通り、人造の鋳造機(ちゅうぞうき)へと収めるべく岩戸を離れる。

剣は鞘へ―――。


通り過ぎた、岩戸の入り口前で、跪く一人の武人の肩が微かに震えていた。

彼の頭上にて輝く瑪瑙の櫛が、やけに彼女の眼に残った。



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